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アイドルには黙っていろ、という国で——小泉今日子が語り続ける理由とは


導入「キョンキョンはロックだった」

2026年4月3日、テレビの前でぼくは少し背筋が伸びた。

『ミュージックステーション』に、小泉今日子が27年ぶりに出演していた。デニム生地のセットアップ、オールバックの髪。57歳になった彼女は、歌う前にこう言った。

「世界中の戦争が、早く終わりますように」。そしてゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」を歌った。

派手な演出はなかった。煽情的な言葉もなかった。ただ、歌があった。そのシンプルさが、かえって遠くまで届く気がした。

「キョンキョン」という愛称を、ぼくたちの世代はずっと使ってきた。しかしその愛称は、彼女が80年代に「消費される側」にいたことを示す記号でもある。

アイドルとして設計され、イメージとして流通し、「キョンキョン」という二音節に押し込められてきた女性が、還暦を前にして最もロックな発言を続けている。この逆説が、ぼくにはとても興味深い。

ここで少し立ち止まって、一つのことを確認しておきたいと思います。ロックとは音楽ジャンルのことではない。体制に抗い、自分の言葉で語り、消費されることを拒む精神のことだ——そう定義するなら、小泉今日子はロックだ。

ちょうど同じ週、SUGIZOがインスタグラムに「戦争反対」の長文を投稿していた(前回のコラム・78本目)。二人が示し合わせたわけではないだろう。

しかし日本のロックシーンとアイドルポップスという、政治と最も距離を置いてきた二つのジャンルから、同じ週に同じ方向の言葉が出た。その偶然が、偶然ではないように思えてならない。

なぜ今、語り始めるのか。その問いから、この記事を始めてみようと思います。

Part1「アイドルと政治の距離」

80年代のアイドルポップスは、政治と最も遠い場所にあったジャンルだ。

ぼくが20代の頃、キョンキョンはテレビの中にいた。毎週のようにブラウン管に登場し、笑い、歌い、司会者の質問に答えた。あの頃の彼女が政治を語る姿など、想像すらできなかった。

それはぼくだけの感覚ではないはずだ。同世代の多くが、同じように感じていたと思う。

松田聖子、中森明菜、小泉今日子——彼女たちは歌手である前に、メディアと芸能資本が設計した「イメージ商品」だった。清純さ、可愛さ、親しみやすさ。それらが商品価値を構成していた。

政治的な発言は、その価値を根底から毀損するリスクがある。事務所・スポンサー・テレビ局の三者が、暗黙のうちにそれを抑制してきた。

当時のテレビを思い出すと、その構造は明らかだ。アイドルが発言できる範囲は、司会者の質問の枠内にほぼ限定されていた。「好きな食べ物は?」「最近ハマっていることは?」——そういう問いへの答えとして、アイドルは存在した。

自分から何かを語るアイドルは、当時ほとんどいなかった。いたとしても、それは「キャラクター」として消費された。

前回のコラムで、ヴィジュアル系と政治の距離感について書いた。ヴィジュアル系は「消費される美しさ」を商品にしてきた。アイドルポップスは「消費される可愛さと清純さ」を商品にしてきた。

どちらも「消費される」という点で共通しており、政治的発言はその商品価値を揺るがす。構造としては、よく似ている。

ただし、アイドルには固有の問題がある。ヴィジュアル系は少なくとも「反体制的な美学」を内包していた。様式化された怒り、耽美な世界観——それは政治とは無縁だったが、

「体制への微かな抵抗」という匂いは持っていた。アイドルポップスにはそれすらなかった。笑顔、元気、夢——徹底して「現状肯定」のジャンルだった。

そのジャンルから出てきた人間が、政治を語る。この「ずれ」の大きさは、ヴィジュアル系出身のSUGIZOのケースより、さらに大きいかもしれない。

ただし、小泉今日子はアイドル時代から少し違った。「本音で語るアイドル」として、当時から異質な存在感があった。歌詞を自分で書き、インタビューで率直に語り、「アイドルらしくない」ことを隠さなかった。

1990年代に入ると演技にも本格的に取り組み、表現者としての姿勢を着実に深めていった。今の「政治化」は突然の変貌ではなく、長年の地続きの変化だ。その意味で彼女の「ロック」は、ある日突然始まったわけではない。

Part2「『独立』という転換点」

2018年、小泉今日子はバーニングプロダクションを退所し、個人事務所「明後日」を設立した。この出来事が、彼女の発言の転換点になった。

彼女自身はこう語っている。「独立して自分で責任を取れるから、発言していこうって決めた」。

この一文を、ぼくはしばらく眺めていた。

裏を返せば——大手事務所に所属している間は、発言の責任を「自分だけ」では取れなかった、ということだ。個人の意見が、事務所のリスクになる。スポンサーへの影響になる。

テレビ局との関係に波及する。そういう構造の中では、一人の人間の言葉は、組織の論理によって抑制される。

これは小泉今日子個人の問題ではない。日本の芸能界の構造問題だ。タレントが所属事務所の意向に反する発言をすると、仕事が減る——そういう暗黙の了解が、この業界には根強くある。

メディア露出が商品価値であるなら、その流通ルートを握る事務所の意向は絶対に近い。大手事務所に所属することで仕事が得られる代わりに、発言の自由が制限される。その制限は明文化されているわけではない。しかし「空気」として確実に存在する。

「芸能人タブー」の根っこにあるのは、個人の臆病さではなく、システムへの依存だ。

独立するとは、その流通ルートから外れることを意味する。仕事が減るリスク、露出が下がるリスク、業界内での立場が変わるリスク——それらを引き受けた上で、小泉今日子は語ることを選んだ。そのリスクの重さを、ぼくは軽く見たくない。

独立から二年後の2020年、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを投稿した。芸能人としては異例の、明確な政治的抗議行動だった。政治家から「誹謗中傷だ」という反論も来た。

しかし彼女は引かなかった。結果として法案は見送りになり、彼女はこう記した。「小さな石をたくさん投げたら山が少し動いた」。

個人事務所の名前「明後日」——ぼくには、今日でも明日でもない、少し先の未来を見据えるという姿勢が込められているように聞こえる。今の損得ではなく、次の世代に何を残すかという問いとして。

この時間軸の長さが、彼女の発言に一種の落ち着きを与えているのかもしれない。焦っていない。急いでいない。しかし、止まらない。

Part3「二重の圧力の構造」

小泉今日子が政治を語るとき、二つの圧力が同時にかかっている。

一つ目は「芸能人タブー」だ。これはSUGIZOのコラムでも論じた。日本ではミュージシャンや俳優が政治的発言をすると「本業に集中しろ」という声が上がる。メディアは「賛否を呼んでいる」と報じ、「政治発言は論争的なものだ」というフレームを強化する。

そのフレームが繰り返されるたびに、語ることへのハードルは上がっていく。

二つ目は「女性タブー」だ。これが小泉今日子のケースに固有の問題だ。

彼女はこう語っている。「女である私が社会や政治についてのことにちょっと声を発するだけで、『付き合っている男性の影響ですか?』って聞かれたりする」。

この問いの奇妙さを、少し丁寧に考えてみたい。

男性アーティストが政治を語っても、「誰かの影響ですか?」とは問われない。SUGIZOが「戦争反対」と言っても、「付き合っている女性の影響ですか?」とは誰も聞かない。

しかし女性が語ると、その意見は「自分の意見」として受け取られず、「誰かに影響された結果」とみなされる。女性は自分の意見を持てない、あるいは持つべきではない——そういう無意識の偏見が、この問いの背後にある。

二つの圧力が重なるとき、その重さは足し算ではなく掛け算になる。「芸能人タブー」だけなら「でも言いたいことを言う権利はある」という擁護が成立する。「女性タブー」だけなら「でも表現者として語る権利はある」という擁護が成立する。

しかし二つが重なると、「あなたの意見はそもそも意見として認められない」という二重の否定になる。これが掛け算である理由だ。

前々回のコラムで、ビリー・アイリッシュがカニエにNOを突き付けた話を書いた。そのときビリーへの批判の一部は「若い女性が生意気だ」という方向に向かった。小泉今日子が政治を語るとき、批判の一部は「誰かに言わされている」という方向に向かう。

攻撃のベクトルは違う。しかし根っこにある「女性は黙れ」という構造は同じだ。国は違えど、時代は違えど、女性アーティストが声を上げるとき、その声には余分な重力がかかっている。

それでも小泉今日子は語り続けている。「広告の仕事をたくさんやっていたときは、仕事に対してマイナスなイメージがあることはできなかった。そういうのが嫌で独立した」とも語っている。

二重の圧力を知った上で、それでも語ることを選んでいる。その選択の重さを、ぼくは軽く見たくない。

Part4「言葉の強さについて」

小泉今日子の言葉は、叫ばない。

「小さな石をたくさん投げたら山が少し動いた」。この一文の強さの正体を考える。感情的な言葉ではない。自分の行動を「小さな石」と称し、「山が動いた」という結果を「少し」と抑制する。過大評価も過小評価もしない。この温度感が、多くの人に届いた理由ではないか。

「政治の話って言うけど、結局は自分の生活や人生の話」という言葉も同様だ。政治を「難しいもの・遠いもの」として語らない。「生活・人生」という身近な言葉に引き寄せる。

「自分には関係ない」と思っていた人に、「いや、これはあなたの話だ」と静かに気づかせる。これが届く言葉の条件の一つではないか。

SUGIZOと比較してみる。SUGIZOは強い言葉を使い、ミサイルの価格という具体的な数字を交えながら、論理と感情を組み合わせた長文で語る。

その言葉は、すでに問題意識を持っている人の怒りに火をつける。背中を押す。「そうだ、俺もそう思っていた」と言わせる。

小泉今日子は短く、温度を抑えた言葉で語る。その言葉は、まだ政治に距離を感じている人の、日常の中にそっと入り込む。「なんか、そうかもしれない」と思わせる。

届く相手が違う。届き方が違う。二つの方法論が、それぞれの場所で機能している。怒りは怒りのある場所に届き、祈りは祈りを必要としている場所に届く。

2026年4月3日の「ビューティフル・ネーム」も、そのような意味で興味深い選択だった。「世界中の戦争が早く終わりますように」というメッセージを、直接的な言葉ではなく、ゴダイゴの歌というかたちで届けた。

言葉ではなく歌で語るという迂回路——72本目で書いた忌野清志郎の「覆面」という迂回路とも少し違う。清志郎は怒りを迂回させた。小泉今日子は祈りを歌に託した。

怒りと祈り。迂回路の目的が違えば、届く場所も違う。

ぼくが「背筋が伸びた」のは、おそらくその祈りの静けさのせいだったと思います。怒鳴られると身構える。しかし静かに祈られると、何かが解けていく気がする。そして解けた後に、ふと考え始める——ぼくは、何を語れるだろうかと。

Part5「語る条件を持ちながら、語らなかった」

小泉今日子は「独立して責任を取れるから語れる」と言った。

ぼくはフリーランスのコンテンツクリエイターだ。所属事務所はない。専属契約のスポンサーもない。誰かの顔色を窺いながら言葉を選ぶ必要が、構造的にはない。つまり「語る条件」を、ぼくはすでに持っている。

それでも、語ってこなかった。

この事実を、今回のコラムを書きながら改めて突きつけられている。

そしてもう一つ、居心地の悪い事実がある。フリーランスとして「自分で責任を取れる立場」にあるということは、語らないことも「自分の責任」だということだ。語らない言い訳を、構造のせいにできない。

事務所のせいにできない。スポンサーのせいにできない。語らないとすれば、それはぼく自身の選択だ。その居心地の悪さを、ここに正直に書いておきたい。

条件があれば語らなければならないのか——その問いを立てると、少し違う景色が見えてくる。小泉今日子の「独立して語ろうと決めた」は、彼女の選択だ。独立という条件が、彼女に語ることを「可能にした」。

しかし可能であることと、しなければならないことは違う。条件を持つことは、義務ではない。

ただ正直に言えば、もう一つの問いも浮かんでいる。ぼくが語らなかったのは、本当に「選択」だったのか。それとも「先送り」だったのか。小泉今日子が「嫌で独立した」と言ったとき、その「嫌」には明確な理由があった。

ぼくの「語らない」には、同じだけ明確な理由があるだろうか。あるいは、理由を問われることを避けてきただけではないか。

45年間ギターを弾いてきた。週末にステージに立ち続けてきた。フリーランスとして、誰の顔色も窺わなくていい立場にいる。それでも語らなかった。その理由を、ぼくはまだうまく言語化できていない。

SUGIZOも、小泉今日子も、それぞれの言葉で語り続けている。ぼくは二人の言葉を聞きながら、この連載を書いている。

それ自体が、ぼくなりの語り方なのかもしれない——と思いかけて、またやめる。そう簡単に、自分を納得させたくない。

キョンキョンはロックだった。そしてぼくのギターは、まだ政治を語ったことがない。

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