子どもの無料招待を、その日のチケット代だけで評価してよいのだろうか|無料招待について考える③
拙著『サッカーを日本のナンバーワンスポーツに』と、スタジアム観戦から生まれた問い。
子どもを一人、Jリーグの試合へ無料招待する。
その日のチケット収入だけを見れば、0円である。
例えば、本来2000円で販売できる席だったとすれば、
「2000円のチケットを無料で配った」
とも言える。
では、本当にそれだけなのだろうか。
8歳の子どもが、初めてスタジアムへ行く。
目の前に広がる緑のピッチを見る。
ウォーミングアップで選手が蹴ったボールの音を聞く。
チャントを聞く。
選手入場を見る。
ゴールが決まった瞬間、何千人もの人が一斉に立ち上がる。
帰り道で、
「また行きたい」
と親に言う。
その子が10年後、20年後もサッカーを好きでいるとしたら。
最初の一試合の価値を、2000円というチケット代だけで測ってよいのだろうか。
今回は、子どもの無料招待について考えてみたい。
子どもは、自分でチケットを買えない
前回の記事では、無料招待の成否について、
一回目を何人作ったかではなく、二回目を何人作れたか。
という視点から考えた。
無料で一度来てもらう。
そこで良い観戦体験をしてもらう。
次は自分でチケットを買ってもらう。
これは、新しい観客を増やすうえで重要だと思う。
しかし、子どもについて考えると、少し事情が違う。
小学生は、基本的に自分でチケットを買わない。
自分で交通費を払うわけでもない。
スタグルもグッズも、多くの場合は親が買う。
だから、
無料招待した子どものうち、翌月何人が有料チケットを購入したか。
だけで効果を測ろうとすると、子どもへの招待の価値を見誤る可能性がある。
子どもについては、もっと長い時間軸で考える必要があるのではないだろうか。
初めてのプロサッカーは、かなり特別な体験である
私は、子どもにとって「生で見る」という経験には大きな意味があると思っている。
テレビやスマートフォンでサッカーを見ることはできる。
YouTubeには世界中のスーパープレーがある。
ゲームの中では世界的なスター選手を操作することもできる。
しかし、実際のスタジアムは違う。
プロ選手が目の前を走る。
想像していたより速い。
パスのスピードも違う。
身体がぶつかる音がする。
ゴールキーパーの声が聞こえることもある。
シュートがゴールへ飛んでいく。
そしてゴールが決まれば、知らない大人たちまで一斉に喜ぶ。
その体験は、画面の中のサッカーとは違う。
特に、それまでプロスポーツを生で見たことのない子どもなら、
「こんな世界があるんだ」
という発見になるかもしれない。
そこから何が起こるかは分からない。
サッカーを始めるかもしれない。
すでにサッカーをしている子なら、もっと練習しようと思うかもしれない。
好きな選手ができるかもしれない。
クラブの結果を気にするようになるかもしれない。
もちろん、何も起こらない子もいる。
それでいいと思う。
しかし何千人かに体験してもらえば、その中には人生の方向が少し変わる子がいるかもしれない。
磐田市では、小学生が一斉にジュビロを観戦する
この話を考えるとき、非常に興味深い取り組みがある。
磐田市では、市内の小学生がジュビロ磐田のホームゲームを一斉に観戦する事業を続けている。
2026年度で15回目となった。
2026年4月25日のFC岐阜戦では、市内小学校の5・6年生2836人が対象となり、特別支援学校の希望者も参加した。
驚くのは、その規模である。
子どもたちをスタジアムへ運ぶために、貸切バスが57台使われた。
入場料だけでなく、バス代などの事業経費も磐田市が負担している。(磐田市公式サイト)
つまり、
「空いている席を子どもに無料で配りました」
という程度の事業ではない。
行政も費用を負担し、学校も関わり、交通まで手配して、数千人の子どもにプロサッカーを体験してもらっている。
なぜ、そこまでやるのだろう。
磐田市が示している目的が興味深い。
スポーツに関心を持つきっかけを作ること。
地元チームへの愛着を育てること。
そして、磐田市をふるさととして誇りに思い、将来にわたって街を愛する気持ちを育むこと。
つまり、
ジュビロの観客を増やすためだけの事業ではない。
地域の子どもとクラブ、そして街をつなぐ取り組みなのである。(磐田市公式サイト)
「街を好きになった」という効果まで現れている
さらに興味深いデータがある。
観戦後、子どもたちに、
「ジュビロ磐田がある磐田市のことを、以前よりも好きになりましたか」
と聞いている。
「好きになった」が55%。
「どちらかといえば好きになった」が25%。
合わせて8割である。
「どちらかといえば嫌いになった」「嫌いになった」は、いずれも0%だった。(磐田市公式サイト)
もちろん、このアンケートだけで長期的な地域愛着が形成されたとまでは言えない。
試合直後の高揚感もあるだろう。
それでも面白い。
サッカーを見せた結果、
サッカーだけではなく、街への感情まで動いている。
からである。
これは、子どもの無料招待を「チケット売上」で評価するだけでは見えない価値である。
一斉観戦は、一度きりでもない
そして磐田の取り組みを調べていて、もう一つ面白いことに気づいた。
2025年には、一斉観戦とは別に、磐田市内の小中学生を対象として、ジュビロ磐田のホームゲーム3試合を無料観戦できる招待企画も行われていた。
6月、7月、8月の3試合である。
さらに同伴する大人にも優待価格が設定されていた。(ジュビロ磐田公式サイト)
これは私が以前から考えていたことに近い。
子どもへの招待は、
一人一回だけでなければならないのだろうか。
一度見て面白かった。
だったら、もう一度行ってみる。
一度目は学校のみんなと。
二度目は家族と。
三度目は友達と。
こうして観戦が特別な学校行事から、少しずつ日常の選択肢へ変わっていく可能性がある。
これは前回考えた「二回目」の話ともつながっている。
Jリーグ全体でも、子どもへの招待は広がっている
もちろん、子どもへの無料招待をしているのは磐田だけではない。
2025年秋には、Jリーグ全体で小中高生約5万人を対象にした招待キャンペーンが実施された。
Jリーグ自身も、観戦のきっかけとして「家族や友人に誘われて」が多いことを理由の一つとして挙げている。(Jリーグ公式サイト)
国立競技場の試合では、小中学生1万人を招待対象とした事例もある。(Jリーグ公式サイト)
そして現在の2026/27シーズン開幕招待でも、クラブによっては小中学生1000人単位の招待が設定されている。(Jリーグ公式サイト)
こうした取り組みは、もっと広がってもよいのではないかと思う。
すべての子どもが、一度は地元のプロスポーツを見られないだろうか
例えば、地域にJリーグクラブがある。
その地域で育った子どもが、中学校を卒業するまでに一度もそのクラブを生で見ない。
これは、少しもったいない気がする。
サッカーを好きになる必要はない。
クラブのサポーターになる必要もない。
ただ、
自分が育った街にはプロスポーツクラブがあり、そこではこんな世界が広がっている。
ということを、一度くらい体験してもいいのではないだろうか。
私は、
すべての子どもが義務教育を終えるまでに、一度は地元のプロスポーツを生で見る機会を持つ。
くらいのことを考えてもよいと思う。
サッカーだけでなく、野球、バスケットボール、バレーボールなど、地域によって対象は違っていい。
しかしJリーグクラブがある地域なら、そのクラブは非常に分かりやすい地域資源である。
5000人のスタジアムなら、分ければいい
もちろん、磐田のような一斉観戦を、すべてのクラブでそのまま実施できるわけではない。
スタジアムの大きさが違う。
学校数も違う。
ホームタウン人口も違う。
例えば5000人規模のスタジアムへ、市内の小学生3000人を一度に招待するのは難しい。
既存サポーターの席も必要である。
だったら、分ければいい。
春は市内北部。
夏は南部。
秋は東部。
あるいは小学5年生。
次の試合は小学6年生。
市全体でなくてもいい。
クラブのホームタウンが複数自治体にまたがるなら、自治体ごとに順番でもいい。
「全員を同じ日に招待する」ことが目的なのではない。
大切なのは、
地域で育つ子どもたちに、成長する過程のどこかでプロサッカーを生で見る機会を届けること。
ではないだろうか。
2万人、3万人規模のスタジアムなら、さらに可能性は広がる。
一シーズンに一度だけでなく、二度、三度と子ども向けの招待試合を設定してもいい。
そして、子どもだけを無料にする意味もある
子ども一人だけでは、スタジアムへ行けないことが多い。
親が一緒に行く。
兄弟も行く。
すると、
子ども1人無料
+親2人有料
+兄弟
+スタグル
+グッズ
ということも起こる。
実際、磐田市内小中学生向けの3試合招待でも、同伴者には優待価格のチケットが用意されていた。(ジュビロ磐田公式サイト)
子どもの無料招待は、
無料客を一人増やす施策
ではなく、
家族単位でスタジアムとの接点を作る施策
とも考えられる。
さらに面白いのは、親自身がそれまでサッカーを見ていなかった場合である。
子どもが学校から案内を持って帰ってくる。
「行きたい」と言う。
仕方なく親も行く。
そして親の方がハマる。
そんなことだってあるだろう。
無料招待の入口が誰であるかと、最終的にファンになる人が誰であるかは、必ずしも同じではない。
子どもの価値を「LTV」で考えてみる
マーケティングには「LTV」という考え方がある。
Customer Lifetime Value。
日本語では「顧客生涯価値」と呼ばれる。
簡単に言えば、
一人のお客さんが、その企業やサービスとの関係を続ける間に、どれだけの価値をもたらすか。
という考え方である。
これをサッカーに当てはめると面白い。
10歳で初観戦する。
13歳で友達と観戦する。
高校生になって何度か行く。
大学生になりアウェイにも行く。
社会人になってユニフォームを買う。
ファンクラブへ入る。
シーズンチケットを買う。
30代になって、自分の子どもを連れていく。
もちろん、こんな理想的な人ばかりではない。
途中でサッカーから離れる人もいる。
別のクラブを好きになる人もいる。
県外へ引っ越す人もいる。
それでも、一人のファンとクラブとの関係は、数十年続く可能性がある。
だとすれば、
10歳のときの2000円を無料にしたことだけを切り取って、「2000円の損失」と評価するのは正しいのだろうか。
ということになる。
ただ、子どもについてはLTVだけでも足りない
ここまで書いてきて、私は少し違和感も感じる。
子どもの無料招待を、
将来たくさんお金を使ってくれる顧客を育てるため。
とだけ説明するのも、何か違う。
なぜなら、子どもへのスポーツ体験には、売上では測れない価値もあるからである。
サッカーを始める。
身体を動かすようになる。
憧れの選手ができる。
地元クラブを知る。
友達と共通の話題ができる。
街に愛着を持つ。
そして何より、
強烈な思い出が残る。
磐田市が一斉観戦の目的に「スポーツへの関心」や「地元チームへの愛着」、さらに「ふるさとへの誇り」を掲げているのは、このためなのだろう。(磐田市公式サイト)
だから子どもへの無料招待は、
マーケティング投資
であると同時に、
地域の子どもへの文化的な投資
でもあると思う。
一試合が、その子の一生を変えるかもしれない
少し大げさに聞こえるかもしれない。
でも、私は本当にそう思う。
初めてプロサッカーを見た。
そこで見た選手に憧れた。
サッカーを始めた。
あるいは、
サッカー選手にはならなかった。
でもサポーターになった。
スポーツの仕事をするようになった。
地元を離れてもクラブの結果だけは気にしている。
帰省したときにスタジアムへ行く。
自分の子どもを連れていく。
どこで人生が動くかは分からない。
一冊の本かもしれない。
一人の先生かもしれない。
一本の映画かもしれない。
そして、
一度のサッカー観戦かもしれない。
3000人を招待して、3000人全員がファンになる必要はない。
100人でもいい。
10人でもいい。
その中の一人にとって、
「あの日、初めてスタジアムへ行ったこと」
が人生の大切な記憶になるなら、それは0円の体験ではない。
「無料客を増やす」ではなく、「原体験を渡す」
無料招待について考え始めたとき、私は主に経済の話を考えていた。
無料で来てもらう。
スタグルやグッズを買ってもらう。
二回目は有料で来てもらう。
それは今でも重要だと思う。
しかし、子どもについて考えると、もう少し長い時間軸が必要になる。
来月の売上ではない。
来シーズンの入場者数でもない。
10年。
20年。
場合によっては30年。
そう考えると、子どもの無料招待は、
「未来の顧客を獲得する施策」
であるだけでなく、
「未来のサッカーファンへ原体験を渡す施策」
なのではないだろうか。
日本サッカーの裾野を広げたい。
スタジアムをもっと身近な場所にしたい。
サッカーを日本のナンバーワンスポーツにしたい。
そう考えるのであれば、すでにサッカーを好きな人だけを相手にしていても、裾野はなかなか広がらない。
まだサッカーを知らない子。
スタジアムへ行ったことのない子。
その子たちに、
「一度、本物を見てみない?」
と入口を作る。
その一回が何につながるかは、誰にも分からない。
だからこそ、やってみる価値があると思う。
子どもの無料招待は、未来への投資なのではないだろうか
子ども一人を無料招待した。
今日のチケット収入は0円だった。
会計だけを見れば、それで終わる。
でも、その子がスタジアムで目を輝かせていたとしたら。
帰宅して選手の名前を検索したとしたら。
次の日、学校で友達に試合の話をしたとしたら。
「また行きたい」と親に言ったとしたら。
数年後、自分でチケットを買ったとしたら。
そして20年後、自分の子どもの手を引いて同じスタジアムへ来たとしたら。
その最初にあったのは、
一枚の無料チケット
だったことになる。
だから私は、
子どもの無料招待を、その日のチケット代だけで評価してはいけない。
と思う。
一試合分の売上を失ったのではない。
もしかすると、
一人の子どもに、一生続くかもしれないサッカーとの入口を渡した。
そう考えることもできるのではないだろうか。
そして次回は、もう一度「席」の側から考えてみたい。
試合が始まってしまえば、今日の空席は二度と売ることができない。
ならば、その消えてしまう席を、未来の観客を育てるために使うことはできないだろうか。
スタジアムの空席は、本当に「売れなかった席」で終わってよいのだろうか。
無料招待について考える連作の最後に、その問いを考えてみたい。
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