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1993年のJリーグブームは、何を日本に残したのだろうか

拙著『サッカーを日本のナンバーワンスポーツに』から生まれた問い。

1993年5月15日。

国立競技場で、ヴェルディ川崎と横浜マリノスが対戦した。

日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグの開幕戦だった。

観客は5万9626人。

当時のJリーグは、わずか10クラブで始まった。(Jリーグについて)

あの頃を知っている人なら、

Jリーグブーム

という言葉の大きさを覚えていると思う。

選手がテレビCMに出る。

ユニフォームやグッズが売れる。

カズダンスが話題になる。

アルシンド、ラモス、リネカー、ジーコといった選手の名前を、サッカーに詳しくない人まで知っている。

スタジアムには人が集まり、チケットがなかなか取れない。

サッカーが、突然、日本社会の真ん中に出てきたような時代だった。

ところが、その熱狂は長く同じ温度では続かなかった。

Jリーグの観客動員は開幕直後の勢いから低下し、「Jリーグブームは終わった」と言われるようになる。

では、あの巨大なブームは、一時的な流行だったのだろうか。

30年以上たった今から振り返ると、少し違って見える。

ブームそのものは終わった。
しかし、ブームがつくったものまで消えたわけではなかった。

今回は、1993年に何が残ったのかを考えてみたい。

まず、「プロサッカー選手」が普通の職業になった

1993年以前にも、日本にはサッカーのトップ選手がいた。

日本サッカーリーグもあった。

しかし、多くのチームは企業の運動部だった。

サッカー選手であると同時に、企業に所属する社員でもある。

それがJリーグの誕生によって大きく変わった。

子どもが、

「将来、サッカー選手になりたい」

と言ったとき、その先に実際の職業が見えるようになった。

これは、今では当たり前すぎて気づきにくい。

現在の子どもなら、

Jリーガーになる。

日本代表になる。

海外へ移籍する。

という道を自然に思い浮かべることができる。

だが、その入口を社会全体に見せたのが1993年だった。

JFAも、Jリーグ開幕を日本サッカーの大きな転機として位置づけている。1990年代には三浦知良らスター選手がJリーグ人気を牽引し、その後、日本代表は1998年に初めてワールドカップへ出場した。(日本サッカー協会)

つまりJリーグは、

サッカーが好きな子どもに、「その先の人生」を見せた

のだと思う。

実際に、サッカーをする人も増えた

前の記事でも触れたが、JFAの登録者数を見ると、Jリーグ開幕前後には大きな変化がある。

1992年度の登録選手数は約69万5000人。

1993年度は約72万1000人。

1994年度には約82万1000人。

1995年度には約88万4000人。

1996年度には約90万3000人まで増えた。(日本サッカー協会)

小学生年代の第4種だけを見ると、

1992年度は約22万9000人。

1993年度は約23万7000人。

1994年度には約28万1000人。

1995年度には約29万8000人まで増えている。(日本サッカー協会)

もちろん、

「Jリーグを見たから全員がサッカーを始めた」

とは言えない。

景気、人口構成、学校スポーツ、少年団の普及など、さまざまな要因がある。

それでも、プロリーグ誕生と同じ時期に、サッカーの登録者、とりわけ子どもたちが大きく増えたことは興味深い。

テレビで見た。

スター選手を知った。

ユニフォームを着た。

ボールを蹴った。

少年団やクラブに入った。

そういう子どもが少なからずいたのだろう。

そして1993年に小学生だった子どもは、2026年の今、40代になっている。

もしかすると、

自分の子どもをサッカーへ連れていく親になっている人もいる。

指導者になっている人もいる。

Jリーグを見続けている人もいる。

そう考えると、

1993年のブームは、その年の観客動員だけでは測れない。

「日本代表を見る文化」も、Jリーグと一緒に育った

1993年には、もう一つ象徴的な出来事があった。

「ドーハの悲劇」である。

日本代表は、あと一歩で1994年アメリカワールドカップへの出場を逃した。

この出来事が「悲劇」として全国的に共有されたこと自体、すでに日本代表サッカーが社会的な関心事になっていたことを示している。

そして4年後。

1997年の「ジョホールバルの歓喜」を経て、日本は1998年フランス大会で初めてワールドカップへ出場する。(日本サッカー協会)

Jリーグがなければ、日本代表がワールドカップへ行けなかった、と単純には言えない。

だが、

プロリーグができる

選手が日常的に注目される

日本代表にも関心が集まる

ワールドカップ予選が国民的イベントになる

という流れはあったのではないか。

いまでは日本代表がワールドカップへ出場することを、多くの人が当然のように期待する。

しかし、1993年にはまだ一度も出場していなかった。

Jリーグ開幕とワールドカップ初出場までの5年間は、

日本人が「日本も世界で戦えるかもしれない」と考え始めた時期

でもあったのだと思う。

10クラブだったリーグは、全国60クラブになった

1993年のJリーグは10クラブだった。

鹿島。

市原。

浦和。

ヴェルディ川崎。

横浜マリノス。

横浜フリューゲルス。

清水。

名古屋。

ガンバ大阪。

広島。

それが2026年現在、J1・J2・J3を合わせて60クラブになっている。(Jリーグ公式サイト)

ここには、ブームとは別の時間が流れている。

1993年に一斉に60クラブができたわけではない。

毎年少しずつ増えた。

地域リーグから上がってきたクラブもある。

市民クラブから始まったチームもある。

企業チームを母体にしたクラブもある。

地方都市にも広がった。

Jリーグは2023年時点で、10クラブ・8都府県から60クラブ・41都道府県へ拡大したと整理している。(Jリーグについて)

これは、1993年のブームとは違う。

むしろ、

ブームのあとに始まった30年間の地道な積み上げ

である。

そして私は、ここに1993年が残した最も大きなものの一つがあると思う。

サッカーが、

「東京や大阪などの大都市で見るプロスポーツ」

だけではなく、

自分の町にもプロクラブがあるスポーツ

になったことである。

「企業のチーム」から「地域のクラブ」へ

Jリーグが残したのは、プロリーグそのものだけではない。

考え方も残した。

Jリーグは1996年から「Jリーグ百年構想」を掲げ、スポーツを生活の中に根づかせ、地域に根ざしたクラブづくりを進めてきた。(Jリーグについて)

これは、日本のスポーツ界ではかなり大きな転換だったと思う。

それまで企業スポーツでは、

会社がチームを持つ

という形が中心だった。

Jリーグでは、

クラブが地域の名前を背負う

という形が広がった。

浦和。

鹿島。

松本。

今治。

長崎。

いわき。

町田。

鳥栖。

地方都市の名前が、全国のニュースに出る。

サッカーを通じて、知らなかった町の名前を覚える。

アウェイゲームで、その町へ実際に行く。

地域の人がクラブを自分たちの存在として語る。

これは1993年の開幕時には、まだ完成していなかった文化だと思う。

むしろ30年以上かけて育った。

だからこそ、

1993年に残ったのは完成品ではなく、「地域クラブ」という種だった

とも言える。

スタジアムへ行くことも、一つの文化になった

開幕直後の熱狂ほどではなくても、Jリーグを見る人はいなくならなかった。

そして長い時間をかけて、観戦が日常になった人が生まれた。

2024年には、J1・J2・J3のリーグ戦だけで年間1193万人以上がスタジアムを訪れ、公式試合全体では約1254万人と過去最多を記録した。(Jリーグについて)

これは面白い。

1993年のように、

「日本中がJリーグの話をしている」

状態ではない。

それでも、年間1000万人を超える人がスタジアムへ行っている。

つまり、

ブームとしての熱量は低くなったが、行動としての観戦は残った。

とも言える。

毎週末スタジアムへ行く。

シーズンチケットを買う。

アウェイへ遠征する。

子どもを連れて行く。

スタジアムで知り合った人と会う。

試合前に地域の店へ寄る。

こうした行動は、一時的なブームではない。

生活習慣である。

文化と言ってもいいのかもしれない。

1993年を見て育った選手が、日本サッカーを次へ運んだ

もう一つ考えたいのは、世代である。

1993年に10歳だった子どもは、1983年前後の生まれになる。

小学生や中学生のときにJリーグを見た世代が、その後プロ選手になる。

さらに、その次の世代は、

Jリーグがすでにある環境で育った。

プロサッカー選手がいる。

日本代表がワールドカップへ行く。

海外でプレーする日本人がいる。

それが当たり前になっていく。

1998年大会後には中田英寿が海外へ移籍し、その後、日本人選手の欧州進出も広がっていった。(日本サッカー協会)

こうして考えると、

スターを見た子どもが、次のスターになる

という循環の出発点の一つが、1993年だったのではないかと思う。

もちろん、日本サッカーの歴史はJリーグ以前から続いている。

高校サッカーもあった。

少年団もあった。

日本リーグもあった。

多くの指導者や選手が、その基盤をつくってきた。

だから1993年だけを特別視しすぎるべきではない。

それでも、

サッカー選手を、社会全体が日常的に見るようになった

という意味では大きな境目だった。

ブームが残したものは、ブームの形をしていない

1993年の映像を見ると、どうしても華やかな部分に目がいく。

満員のスタジアム。

派手なユニフォーム。

スター選手。

テレビ番組。

グッズ。

カズダンス。

でも、30年以上たった今残っているものは、そういう形をしていない。

全国60クラブ。

少年団や街クラブ。

週末のスタジアム。

サポーター。

クラブスタッフ。

アカデミー。

地域スポンサー。

アウェイ遠征。

日本代表を応援する習慣。

海外でプレーする日本人選手。

そして、

「サッカー選手になりたい」

と普通に言える子ども。

こちらの方が、1993年の本当の遺産なのかもしれない。

もし1993年のブームが「冷めなかった」としたら

少し逆に考えてみる。

もし1993年の熱狂が、そのまま30年以上続いていたらどうだっただろう。

毎日のようにサッカー選手がテレビに出る。

どのスタジアムも常に満員。

社会全体がずっとJリーグの話をする。

そんな状態は、おそらく現実的ではない。

ブームとは、日常から突出しているからブームなのである。

だから、

ブームを維持する

ことを目標にする必要はないのだと思う。

大切なのは、

ブームの中で生まれた接点を、ブームが去ったあとも残すこと。

1993年の場合、

プロリーグが残った。

クラブが残った。

育成組織が残った。

観戦する人が残った。

地域との関係が残った。

子どもたちの夢が残った。

そして、それらが30年以上かけて別の形へ成長した。

だから私は、

1993年のJリーグブームは、冷めたのではなく、一部が日本のサッカー文化へ変わった。

と考えたい。

すべての熱狂が文化になったわけではない。

離れていった人も大勢いる。

それでいいのだと思う。

ブームの100%を保存する必要はない。

そのうちの一部が、

見る

やってみる

続ける

応援する

次の世代へ渡す

ところまで進めばいい。

前回の記事で考えた、

ブーム → 接触 → 体験 → 習慣 → 文化

という流れで見ると、1993年はかなり多くのものを「文化」の側へ運んだブームだったのではないだろうか。

そして、ここから次の疑問が生まれる。

1993年には、Jリーグという新しい受け皿があった。

では現在、ワールドカップで日本代表を見てサッカーに興味を持った人には、

その次に行く場所が、十分に見えているのだろうか。

次の記事では、

ワールドカップで増えた「見る人」を、どうすれば日常のサッカーへつなげられるのだろうか。

を考えてみたい。


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