臨機応変が得意な組織ほど、同じ問題を繰り返す。
突然、問題が起きた。
予定していた担当者が動けない。
必要な連絡も十分にされていない。
このままでは、業務そのものが止まってしまう。
ところが、経験のある職員がすぐに動いた。
関係者に連絡し、予定を組み替え、足りない部分を自分で引き受ける。
周囲もその人の指示に従った。
少し混乱はあったものの、大きな問題にはならなかった。
「さすがですね」
「臨機応変に対応していただき、助かりました」
その場は無事に収まった。
確かに、見事な対応だったと思う。
ところが、しばらくして、よく似た問題が再び起きた。
担当者が決まっていない。
必要な情報が共有されていない。
直前になって誰かが気づき、慌てて調整する。
そして、また経験のある人が動いた。
同じように連絡し、同じように予定を変え、同じようにその場を収めた。
そのとき、少し不思議に思った。
これほど上手に問題を解決しているのに、なぜ同じ問題がなくならないのだろう。
考えてみると、理由は単純だった。
問題がきれいに解決されすぎていたのだ。
大きな失敗にならない。
苦情も出ない。
業務も止まらない。
だから、組織としては「解決した」と判断する。
しかし、実際には原因は何も変わっていない。
担当者が曖昧なまま。
連絡方法も変わらない。
手順も見直されない。
問題が起きたときに、誰が何をするのかも決まらない。
ただ、今回も誰かが何とかしただけだった。
臨機応変に対応できる人がいることは、組織にとって大きな強みだ。
想定外の事態が起きたとき、決められた手順だけでは対応できないこともある。
その場で考え、判断し、動ける人は必要である。
ただし、その力に頼り続けると、組織は問題から学ばなくなる。
問題が起きる。
誰かがうまく処理する。
その人が評価される。
そして、何も変わらない。
この循環が続いていく。
そのうち組織は、「何かあっても、あの人がいるから大丈夫」と考えるようになる。
しかし、それは組織が強いのではない。
その人の対応力に依存しているだけだ。
本当に怖いのは、その人がいなくなったときである。
これまで表に出なかった問題が、一気に表面化する。
急に組織が弱くなったように見えるが、そうではない。
もともとあった弱さを、誰かの臨機応変さが隠していただけなのだ。
問題に対応した後、本来ならもう一つ仕事が残っている。
なぜ、その問題が起きたのか。
次に同じことが起きたとき、誰が対応するのか。
そもそも、同じ問題を起こさないために何を変えるのか。
そこまで整理して初めて、問題を解決したことになる。
臨機応変な対応は、問題解決の終わりではない。
むしろ、組織として考え始めるための出発点なのだと思う。
優れた組織とは、問題が起きたときに上手に対応できる組織ではない。
同じ臨機応変を、二度と必要としない組織である。
