燃えるテッパンの夜。あの日じゅうっと鳴った。
🚌 ほんの少し前、旅は止まっていた──そのときの記録👇
『取り残されて、新城――タロコのふもとでひとやすみ』
2012年7月12日 花蓮
夜の街を散歩していたら、ふいに人だかりができていた。なんだろうと思ってのぞいてみると、鉄板の上で牡蠣と卵が跳ねながら、溶け出した汁の中でじゅうじゅうと音を立て、蒸気をあげていた。そこに青菜が落とされ、いくつもの色がヘラの動きにあわせて上になったり下になったりをくり返しながら、さらにじゅうっと音を立て、また蒸気があがった。

ひとつの円の中で、牡蠣と卵と生地が、焦げと香りと湯気になっていく。
店の外では、おばあちゃんが銀のヘラを両手にかざし、仕上げに向けて俊敏な筋肉を上下左右に無駄なく動かしていた。その巧みなヘラさばきは、もう身体の一部みたいだった。長い年月のあいだに繰り返されてきた動きが積み重なって、ヘラはまるで自由に舞うように動いていた。その姿は、もはや料理というより、ひとつの芸術だった。
ヘラの先で微妙な熱を鋭敏にとらえるその様子は、まるで精密な機械にあらかじめ組み込まれた計算式のようだった。十人前もの焼き加減を、一度に正確に把握しながら、ほんの一瞬ごとに繊細な調整をくり返していた。
感覚だけをたよりに、ぱたんぱたんと手際よく、矢継ぎ早に切り分けられ、ひっくり返されていく生地たち。鉄板に接する時間がわずかに違うだけで、焼き加減に差が出そうな気もした。けれど、次々と皿に盛られていくそのオアチェンたちは、どれも色も形も、ぴたりとそろい、わずかな違いをもその気配から見いだすことができなかった。

白い皿の上に、最後の一枚がそっと置かれた。ひとつの仕事を終えた鉄板の表面には、うっすらと細やかな光がにじんでいた。銀のヘラが、油が塗り込まれたその余熱をなぞるように滑り、焼け残ったかけらを、ひとつ、またひとつ、円の外へと静かに落としていった。
鉄板には新しい命を迎える準備がはじまっていた。油がまた、丁寧に塗り込まれていく。
そして間もなく、小ぶりの牡蠣が再び鉄板に落ち、鶏の卵がからみはじめた。お玉からとろりと流れた粉の生地が、また“じゅうじゅう”と音を立て、物語はふりだしにもどった。
自分にあてがわれる一枚が、今まさに鉄板の中でかたちを成している──
そんな予感を抱きながら、ゆっくりと列の先頭に近づいていく。
かつては眺めているだけだったヘラの動きが、いつの間にか目の前へと迫り、現実としてその躍動感が立ちあがってきた。
相席のテーブルに、ひとり腰をおろした。まもなくして、ほくほくと湯気を立てる一皿が運ばれてくる。
私はついに、オアチェンと対峙する機会を得ることになった。
牡蠣入りオムレツのことを「オアチェン」と呼ぶ。台湾ではどこでも食べられている屋台の伝統的な料理である。牡蠣と卵、それに溶いた片栗粉とサツマイモ粉の生地に、たっぷりの青菜で構成される。ほど良い分量はおやつとしても、小腹が空いた時の夜食としても重宝されている。
向かいのテーブルの皿には、自分と同じオアチェンがあった。隣のテーブルにも、オアチェン。あっちの家族連れの皿にも、オアチェン。どこのテーブルを見ても、みんな、同じオアチェンを食べていた。
目の前のカップルは、オアチェンの顔をしていた。隣のおじいさんも、オアチェンの顔をしていた。学生も、大人も、子どもも、みんな、オアチェンの顔をしていた。きっと、自分もオアチェンの顔をしていた。
いつのまにか、台湾のごくふつうの日常の風景のなかに、自分もまぎれていた。それが、嬉しかった。

🍚地図中央「海埔蚵仔煎(ハイプー・オアチェン)」が、
あの鉄板じゅうじゅうの現場。
1973年創業、いまも変わらず煙をあげてるらしい。
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