【ヒスイのふるさと】親不知で感じた大地の力
8月27日から遅めの夏休みで故郷の新潟に帰省しました。
ところが、帰省中の大半は警報級の大雨!ようやく天気が回復した30日、新潟県の最西端、糸魚川(いといがわ)市にある、親不知(おやしらず)海岸までドライブに出かけました。
日本随一のヒスイの産地

新潟県糸魚川市は、フォッサマグナや糸魚川ー静岡構造線など、日本列島の成り立ちを物語る多様な地質で形成された場所です。
フォッサマグナとは
ラテン語で「大きな溝」という意味です。明治時代に日本に来たドイツの地質学者・ナウマン博士が発見し、命名しました。日本海から太平洋までのびる1~3億年以上前にできた古い岩石の溝に 2000万年前以降にできた新しい地層がたまったものなので、上空から見下ろしてわかるような地形的な溝ではなく、山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。
糸魚川ー静岡構造線とは
糸魚川ー静岡構造線はその西縁の境界面(断層面)なので、「フォッサマグナ 」と「糸魚川ー静岡構造線」は同じ意味ではありません。
こうした多彩な大地をもつ糸魚川は、質・量ともに日本随一のヒスイ産地として知られています。


親不知海岸沿いの「道の駅ピアパーク」にある翡翠ふるさと館では、展示物としては世界最大のヒスイの原石のほか、縄文時代から続くヒスイの歴史にふれることができます。
東日本と西日本の境界線

富山県と長野県に隣接する新潟県糸魚川市。中でも親不知付近は、日本アルプスが日本海にせり出し、とても険しく特殊な地形です。
そのため、古くから交通の難所として人々の往来を妨げてきました。この糸魚川が東日本と西日本の境界線でもあります。
身近なところでは、電気の周波数。糸魚川市を境に東日本の50ヘルツと西日本の60ヘルツに分かれるのは、意外と知られていません。

東日本と西日本の違いは、食文化にも表れています。
おもしろいところでは、「赤いきつね」や「どん兵衛」など、おなじみのカップうどんです。ご存じの方も多いと思いますが、東日本向けと西日本向けでは、つゆやだしの味が異なります。
富山県に近い糸魚川市内では、食の物流も東日本の新潟県のほか、西日本の富山県からも入るため、お店によっては東西両方の商品が並びます。
断層が生んだ絶景、親不知

フォッサマグナの西側の縁には「糸魚川ー静岡構造線」という大きな断層が走っています。
断層とは、地面の中の岩盤が大きな力でずれてできた割れ目のこと。この断層のおかげで、糸魚川から静岡にかけては、日本列島を東西に分ける、はっきりとした地形の境目が生まれました。
親不知は、その断層の力によって、日本アルプスの一部がそのまま海に切り立つようにして生まれた海岸です。
山が海にストンと落ち込むため、海と山以外の平地がほとんどありません。そのため、昔から交通の難所として知られてきました。
「親不知」という名前の由来
「親不知」という少し切ない響きの地名には、こんな言い伝えが残っています。断崖絶壁と荒波の間を縫うように歩く、命がけの道。あまりの険しさに、親は子を、子は親を気にかける余裕もなかった、というのがその由来だといわれています。
実は2年前にも親不知を訪れており、そのときもnoteに書いています。
江戸時代、北陸道を旅する人々は、波が引いた一瞬を見計らい、岩場を通り抜けなければならず、まさに命がけの道でした。
松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅で、この地を通っています。長く旅人を苦しめてきた親不知の険しさは、今も残る旧道や断崖からうかがうことができます。
現在では、北陸自動車道やJR北陸新幹線が東西を結び、日本海側の交通を支える大動脈ですが、それでも周囲を見渡すと、かつて「天下の険」と呼ばれた面影が随所に残っています。
親不知海岸でヒスイ探し

私が訪れたときも、多くの人が波打ち際にしゃがみこんで、ヒスイの原石を探していました。見つけた小さな石を光にかざして眺める人、家族で夢中になって探す子どもたち。誰もがどこか穏やかな表情をしていたのが印象的でした。
大雨に見舞われた帰省でしたが、ようやく晴れた空の下で見た親不知の海と山からは、何億年もの時間をかけてつくられた、地球のロマンを感じました。
次に親不知海岸を訪れるときは、自分もヒスイを探してみようかな。
