越後親不知を行く
新潟県の最西端、富山県に隣接する糸魚川市の親不知(おやしらず)。
北アルプスから日本海に伸びた山裾の断崖絶壁が続き、古くから北陸道最大の難所として知られてきた。
昨年、久々に親不知を訪れたが、子供の頃に眺めて恐怖心さえ覚えた景色は今も変わらず。今回は「天下の剣」、親不知を紹介する。
親不知の歴史
「親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯のあわと消えゆく」
これは元暦2年/寿永4年(1185年)、壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛(平清盛の弟)が越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)に落人として移り住んでいることを聞きつけた妻が、子供を連れて越後に向かう途中、この難所で子供を波にさらわれてしまい、悲しみの中、読んだ歌である。
当時、旅人は日本海の荒波の中、この断崖絶壁を避けては通れず、危険な波打ち際を自分が通るのが精一杯で、親は子を忘れ、子は親を省みるいとまがないほどに険しい道であったことが「親不知子不知(おやしらずこしらず)」と呼ばれる所以(ゆえん)とも、いわれている。

北陸最大の難所
「天下の剣」とも呼ばれ、北陸道最大の難所として知られる親不知。
その距離は日本海に面して約15km。えちごトキめき鉄道(旧北陸本線)青海駅から富山県境の市振駅付近までにあたる。
この市振。越中(富山県)と越後(新潟県)の境界でもあり、江戸時代までは関所が置かれていた。
現在は交通網も整備され、当時ほどの「難所」ではなくなったが、それでも高速道路、鉄道の建設には困難を極め、北陸自動車道も開通が、もっとも遅れたのが、この親不知を通る上越IC(新潟県上越市)~朝日IC(富山県朝日町)の区間だった。
国道8号線も市振から親不知、青海にかけて断崖絶壁に沿った形でシェルターに覆われており、急カーブ、急勾配の連続。車の運転にも、かなりの神経を使う。
ちなみに北陸新幹線は親不知付近では日本海よりも、かなり山側を通っているため、すべてトンネルの中で景色は見えない。



東西日本の境界線
この地域はフォッサマグナとよばれる日本列島を横断する大断層線があり、親不知がある新潟県糸魚川市から静岡県静岡市にかけて通っている。
地層だけでなく、この周辺を境に東日本と西日本の多くの文化が分かれる。
代表的なものが電力。電力周波数の境界もこの糸魚川市。
糸魚川から東側は東日本の50Hzで、西側は西日本の60Hzに分かれる。糸魚川市自体は東日本の50Hzで東北電力の管轄だ。





奥の細道
「ひとつ家に 遊女と寝たり 萩の月」
親不知は松尾芭蕉ゆかりの地としても知られ、奥の細道にも登場している。
これは芭蕉が、元禄2年(1689年)に市振を訪れた際に読んだ俳句。
旅の途中、早川(糸魚川市)で派手に転んだ芭蕉は、ようやくたどり着いた市振の宿で、隣室に泊まっていた新潟から伊勢にお参りに出掛けるという遊女から「旅の道連れにしてほしい」と頼まれる一幕があり、不憫と思いつつも断った芭蕉が詠んだとされるもの。
おわりに
歴史ある北国街道の難所、親不知。
先人たちの努力の末、現在は北陸自動車道、国道8号線、えちごトキめき鉄道(旧JR北陸本線)、そしてJR北陸新幹線が通る日本海側の交通の大動脈へと移り変わった。
しかし、一歩、歩き始めると当時の面影が随所に残っており、ここで命を落とした多くの人たちの上に現在の姿が成り立っている事を思い知らされる。
風光明媚な場所で、現在は観光地としても情報発信されている親不知。
2024年3月に北陸新幹線が福井県の敦賀駅まで延伸したことは記憶に新しく、関東・関西の双方からアクセスも向上して訪れやすくなった。
これから夏に向け、冬は荒波の日本海も、とても穏やかな顔に変わる。
晴れた日には能登半島まで望むことができるので、ぜひ、この大自然の姿に触れていただきたく願うばかりだ。

