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99歳の恩師に学ぶ「自分に恥じない生き方」と「お天道様が見てござる」

今朝の新聞に,46年前,新任の時にお世話になった校長先生の投稿が掲載されていた。今年7回目となる投稿だ。

御年99歳。来年1月には100歳を迎えられる。今なお健筆を振るい,前を向いて生きる恩師の記事を読むたび,自然と背筋が伸びる思いがする。

今回の投稿は次の通り。

生きゆく道は楽ではないが (HM・99歳・農業)
生きゆく道は決して楽ではありません。苦悩との闘いです。生きるということは、日常的な飲み食いや喜怒哀楽の上に、清く、正しく、美しい営みがなければならないと思います。まことに「生は悩み」です。
厚生労働省の2025年の国民生活基礎調査によると、「生活が苦しい」と答えた世帯が半数を超えています。政治は、安全保障や憲法など、国の根幹に関わる課題に向き合うのはもちろん、日々の生活に不安を抱える国民の声にこたえなければなりません。
人生の幸せや災いは、境遇に左右されるものではありません。みな自分自身の心の中から起こってくるものだと思います。誠実・勤勉・感謝の心や姿勢を持ち、一生懸命生きていると、「お天道様」が幸運を授けてくれると信じています。
米寿には図書充実基金を地元中学校に贈り、98歳の春には、氏神様の新築基金として貧者の一灯を寄進することができました。私の体験知です。
いつしか「お天道様は見てござる」が口癖となり、哲学となりました。人生100年時代。生かされている恩に報いるため、「超百寿」への道を歩み続けたいと念じています。

記事の中で恩師は,日々の苦難や社会の現状に触れつつ,こう言葉を寄せておられた。
「人生の幸せや災いは,境遇に左右されるものではありません。みな自分自身の心の中から起こってくるものだと思います。誠実・勤勉・感謝の心や姿勢を持ち,一生懸命生きていると,『お天道様』が幸運を授けてくれると信じています。」 「いつしか『お天道様は見てござる』が口癖となり,哲学となりました。」

「お天道様が見てござる」

いい言葉だと思う。この言葉に触れたとき,私が日頃から大切にしている想いと深く重なり合った。

「お天道様」という表現は,見方を変えれば「自分自身の視線」と言い換えることもできるのではないだろうか。自分の行動を,一番近くで,誤魔化すことなく見つめているのは,いつだって自分自身だ。

そしてこの感覚は,スポーツにおける「フェアプレー」の精神,そのさらに上をいくものだと私は感じている。

どのスポーツにもルールがある。ルールを守り,正々堂々と競い合い,互いを高め合うこと。それがスポーツマンシップだ。
しかし,真のフェアプレーとは「ルールで決まっているから守る」という受動的なものではないはずだ。審判が見ていなければ何をしてもいい,笛が鳴らなければOK,うまくファールをもらいにいく……そうした行為は,果たして「自分自身」に対して誇れるプレーと言えるだろうか。

ルールを守る以上に,自分の行動に恥じない納得のいくプレーをすること。これこそが「お天道様が見ている=自分に恥ずかしくないプレーをする」ということであり,真のフェアプレー精神なのだと思う。

アスリートたちが誰に見られていようがいまいが,己の美学に従って全力を尽くす姿。それこそが,最も心を揺さぶられる瞬間だ。


恩師は来年1月,100歳になられる。 その節目には,ぜひお祝いに駆けつけたいと考えている。

あと4ヶ月。 恩師が示してくれた「誠実・勤勉・感謝」の心を胸に,自分自身も「お天道様」に胸を張れるような毎日を積み重ねていきたい。

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