サッカーに「幻滅」しないために――2026年W杯から考えるフェアプレーの真価
この画像のような光景を見たことがありますか?盗塁のスタートをきったランナーのユニフォームを一塁手が引っ張っています。ないですよね。
世界最高峰の舞台で感じた「もやもや」
2026年北中米ワールドカップ(W杯)。世界最高の技術がぶつかり合う夢の舞台に胸を躍らせる一方で,どこか「すっきりしない」思いを抱いた。
先日,日本サッカー界の重鎮,川淵三郎氏は自身のXでこう綴りました。
「今回のW杯を見てサッカーに幻滅を感じた人が多かったのではないかと心配しています」
この言葉に,多くのファンが頷いたはずです。華麗なプレーの裏側で,私たちは何を目撃してしまったのでしょうか。
「スキャンダル」と呼ばれた判定と,曖昧な基準
象徴的だったのは,準々決勝のイングランド対ノルウェー戦です。
後半10分,ノルウェーが勝ち越しのゴールを決めたかに見えましたが,ゴール前でポジション争いをしていたアーリング・ハーランド選手が相手チームの選手を押して倒したことがVAR検証によってファウルと判定され,ゴールが取り消されました。
激しいポジション争いの中での接触でしたが,ノルウェー側は「まったくもって荒唐無稽だ」「スキャンダルだ」と激しく抗議しました。
テレビ観戦していたときの解説者は「これがファウルなら,エリア内のプレーはほぼPKになる」と言っていました。判定基準の不透明さがサッカー本来の面白さを奪っているように感じました。
勝利至上主義の陰で
また,技術以上に目についてしまったのが,選手のモラルの問題です。
審判を欺くために大げさに倒れる演技
「ファウルをもらいにいく」という,スポーツマンシップに反する駆け引き
「勝つためには手段を選ばない」という姿勢は,果たしてアスリートとして誇れるものなのでしょうか。ルールで縛る以前に,一人の人間としての品格が問われているように思います。
他競技に見る,潔い「自己申告」の文化
サッカー界が原点に返るためのヒントは,他のスポーツにあります。
たとえばバレーボールでは,ビデオ判定(チャレンジ)が行われる前に,選手が自ら「ワンタッチしました」などと自己申告する場面が当たり前のように見られます。検証にかかる時間を無駄にせず,試合の流れを尊重するその姿勢こそ,真のフェアプレーではないでしょうか。
また,1984年ロサンゼルス五輪での柔道・ラシュワン選手のエピソードも忘れてはなりません。彼は負傷した山下泰裕選手の足をあえて攻めませんでした。それは「自分のモラルが許さなかった」からです。こうした「自分に納得のいく勝ち方」を求める誇りが,今のサッカーには欠けているのかもしれません。
日本から発信するフェアプレーの誇り
救いもあります。Jリーグの野々村チェアマンは,選手や審判,クラブが一体となって目指すガイドラインを全選手に示しました。
「フェアプレー賞受賞国世界一」の日本だからこそ,ルールに縛られるのではなく,自らの誇りとしてフェアプレーを貫く文化を世界に発信できるはずです。
見終わったあとに,誰もがすがすがしい気持ちになれる。 2026年のW杯を機に,そんなサッカーの未来を,関わるすべての人と共につくっていきたいと切に願います。
先日、京セラドーム大阪に6歳の孫を連れていきました。初のプロ野球観戦でした。野球のことはこれっぽっちも知らない孫でしたが、試合終了後の第一声は「じいちゃん、阪神負けたけど野球見るんも応援するんも、めっちゃ楽しかった!」でした。
スポーツのおもしろさ、熱く応援する人たちの生の姿を見せることができてよかったです。

