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ボスニア玛争ずは䞀䜓䜕だったのか。玛争経隓者ミルザさんぞのむンタビュヌを通しお


【ボスニア旅行蚘】8ボスニア玛争経隓者ミルザさんの物語あの玛争は䞀䜓䜕だったのか

前日のトンネルツアヌやこの日のサラ゚ボりォヌキングツアヌでは玛争経隓者のミルザさんず共に玛争の傷跡を巡った。

玛争時サラ゚ボにいたミルザさんから聞くお話は、本を読んで埗おいたものよりもはるかに胞に響くものであった。

遠いボスニアの地で起こった玛争。そしおサラ゚ボだけでおよそ人が犠牲になり、囜䞭が荒廃した悲惚な玛争。

私たちはそれを「異なる宗教や民族同士で殺し合う玛争が起こった」ずいう倧きな枠組みの䞭で捉えおしたいがちだ。

わかりやすい構図で語られる、玛争ずいう巚倧な出来事。

だが、事実は単にそれだけでは枈たされない。

民族や宗教だけが玛争の匕き金ではない。あたりに耇雑な事情がこの玛争には存圚する。

わかりやすい倧きな枠組みで党おを理解しようずするず、䜕かそこで倧切なものが抜け萜ちおしたうのではないだろうか。

なぜ玛争が起こり、そこで䞀䜓䜕が起こっおいたのか。

それを知るためには実際にそれを䜓隓した䞀人䞀人の声を聞くこずも倧切なのではないだろうか。

顔が芋える個人の物語を通しお、玛争ずいうものが䞀䜓どのようなものであるのか、それを少しでも䌝えるこずができるなら私にずっお䜕よりのこずだ。

ミルザさんも「サラ゚ボ垂民の数だけ玛争䜓隓のストヌリヌがありたすが、私の䜓隓が平和ぞの気づきぞず繋がり、平和な未来のためになるならいくらでも協力したす」ず快くむンタビュヌを匕き受けお䞋さった。

ガむドのミルザさん右ず劻の束井さん巊

玛争の始たりずミルザさんの埓軍経隓

ミルザさんは幎、サラ゚ボで生たれ、父ず母、お兄さんの人家族。

高校生の頃はアむスホッケヌの遞手だったそうで、ペヌロッパ䞭に遠埁しおいたそうだ。

そんな普通の高校生ず倉わらないミルザさんの生掻が卒業ず共に䞀倉するこずになる。

「私は幎にナヌゎスラビア軍に入隊するこずになりたした。

ず蚀うのも圓時ボスニアはナヌゎスラビアの䞀郚であり、高校卒業埌すぐにナヌゎスラビア軍に城兵されるこずになっおいたからです。

そのずき私は歳でした。

そしお私はナヌゎスラビアからの独立を宣蚀したクロアチアずの戊地に送られるこずになったのです。」

―幎圓時、ナヌゎスラビアは厩壊の危機にあった。

゜連の厩壊埌、瀟䌚䞻矩囜たるナヌゎスラビアに民䞻䞻矩ず民族䞻矩の嵐が吹き荒れるこずになったのだ。

民䞻䞻矩の原則に則っお政暩を取るには遞挙で勝぀こずが必芁だ。

遞挙に勝おる公玄の王道は経枈発展や瀟䌚保障。

しかしナヌゎスラビアは長匕く䞍況で誰もその公玄に芋向きもしない。

その公玄が実珟されるこずなど、誰も期埅しおいなかったのだ。

そこで各政党は民族䞻矩を声高に宣蚀し出す。

「私達の民族は䞍圓な扱いを受けおいる。悪いのは他の民族だ。これを倉えなければならないのだ。私達は私達だけの囜を持たねばならぬのだ」

ずいう過激な発蚀によっお民衆を煜り祚を集めようずしたのだ。

ナヌゎスラビアは倚様な民族が共存しおいた連邊囜家。

それぞれの民族がナヌゎスラビアから脱退しお自分たちの囜を䜜ろうず蜂起したのがナヌゎ玛争だったのだ。

その先陣を切ったのがクロアチアずスロベニア。

ナヌゎスラビアは実質セルビアが䞻導暩を握っおいたため、クロアチアずスロベニアが独立するのは郜合が悪い。

そこでセルビア率いるナヌゎ軍がクロアチアずスロベニアず衝突しナヌゎ玛争が始たった。

「歳で城兵されお私は戊堎に立぀こずになりたしたが、戊い始めは『クロアチアは平和を脅かす悪人だ』ず教育されおいたした。

しかし、戊っおいる内になぜか軍ずは関係ないはずのセルビア過激掟歊装組織が軍ず合流するようになっおいきたした。

私は圌らず共に戊う軍のあり方に疑問を持぀ようになりたした。

私達は本圓に平和のために戊っおいるのだろうかず思うようになったのです。

そしお幎月末、私は病気を装っお戊地を離れサラ゚ボに戻るこずができたした。

私はもう戊いたくなかったのです。

共に戊った仲間も私ず同じように逃げ垰る人が倚くいたした。」

それにしおも、歳で軍に城兵されいきなり戊堎に送られるずいうこずだけでも衝撃的な䜓隓だが、そこでさらに過激掟歊装組織の存圚から戊いそのものに疑問を持぀こずができたずいうのは、私にずっおは驚異的なお話だった。

歳にも満たないころから、軍から「クロアチアは平和を脅かす悪人だ」ずいう教育を受けおいたにも関わらず、自分で考えお戊いに疑問を持ち、そこから離脱するこずを遞んだミルザさん。

これはなかなかできるこずではないず私は思う。

そしお私は恐る恐る聞いおみた。

―戊堎にいたずいうこずは、銃を持぀敵兵が芋える䜍眮たでいたずいうこずですよね・・・

「そうです。もちろん敵兵の芋える䜍眮で私は戊っおいたした。」

死の危険が目の前にあったのだ。

戊堎ずはそういうものだず頭でわかっおはいおも、いざ目の前でこうしお話しおくれおいるミルザさんの口からそのこずを聞くず、やはりショッキングに感じおしたう。

「私は歳、歳ずいう難しい時期にそういう時間を過ごしたした。

氎もない。食べるものもない。

戊争は䜕も生み出したせん。

しかし䜕もない䞭で、私は生き抜く力、匷さをそこで埗るこずができたした。」

生き抜く力ず匷さ・・・

それがあるかないかでどれだけ人生が倉わっおいくのだろうか。

私もそういう力をい぀か持おるようになるのだろうか・・・

「サラ゚ボに戻っおきた埌、私はサラ゚ボにもいずれ危険が迫っお来るであろうこずを感じおいたした。

私は自分の目でクロアチアずの戊いを目にしたした。

その経隓からボスニアもきっず同じ運呜を蟿るであろうこずを盎感したした。

しかし、サラ゚ボの人たちはほずんどそのこずを信じたせんでした。

その埌しばらくしお、私の家に軍から電話がかかっおきたした。

ちょうど私は倖出䞭で、父が電話に出おくれたした。

父はすぐに危険を察知し、私をドむツに逃がしたした。

これが幎月末の出来事で、ドむツぞはハンガリヌを経由しお難民ビザを利甚しお入囜したした。私は間䞀髪で軍から逃れるこずが出来たのです。

ですがドむツでの生掻は長くは続きたせんでした。

ドむツに枡っおからおよそか月埌の幎月末、私はバスでサラ゚ボに垰囜したした。

いよいよボスニアにも玛争の危機が迫っおいるこずがわかったからです。

危険ではありたしたが、私は家族のためにドむツを離れおサラ゚ボに戻るこずにしたのです。」

家族を守るために再びサラ゚ボに戻っおきたミルザさん。

そしおミルザさんがサラ゚ボに戻ったおよそか月埌、恐れおいた事態が珟実のものずなる。

幎月日 サラ゚ボ包囲が始たったのだ。

サラ゚ボ包囲の開始ずその埌の日々

幎月日。

それは突然始たった。

この日を境にサラ゚ボ垂民は日にわたっお、セルビア軍の包囲䞋で極限の生掻を匷いられるこずになったのだ。

「私達も戊争は教科曞で習った昔のものだず思っおいたした。

しかし珟実にそれは起こっおしたいたした。

戊争は兵士ず兵士が戊うものだず思っおいたした。

しかし倚くの民間人が巻き蟌たれ、呜を倱っおしたいたした。

セルビア人の攻撃が始たり、しばらくは䜕が起こったのかもわからず、茫然自倱でした。

そしお氎もなく、食料もない日々に本圓に苊しみたした。

しかしそれがか月、半幎も続くずそれに慣れおしたう。感芚がマヒしおしたうのです。

生きるか死ぬかの苊しい日々が日垞ぞず倉わっおいったのです」

玛争が起こるこずを予期しおいたミルザさんですら、サラ゚ボ包囲が始たった瞬間はその事実を信じるこずができなかった。

だずしたら、他の倧倚数のサラ゚ボ垂民はそれをはるかに超えるショックを受けおいたのではないだろうか。

だが、それにしおもなぜサラ゚ボは突然包囲されるこずになったのだろうか。

どうしお垂民は気づくこずができなかったのだろうか。

「それを知るには圓時のボスニアの状況ず倧セルビア構想に぀いお考える必芁がありたす。」

ミルザさん曰く、

ナヌゎスラビアは倚くの民族が集たっお成立しおいる囜家で、圓時その䞭で最も力の匷かったのがセルビアだった。

セルビアは倧セルビア構想ずいう領土拡匵䞻矩を進めおいた。

぀たりナヌゎスラビアが厩壊に向かっおいく䞭で、少しでも自囜の支配する領土を増やそうず画策しおいたのだ。

そんな䞭でクロアチアずスロベニアはいち早くナヌゎスラビアからの独立を宣蚀。

それがセルビアにずっおは痛い打撃ずなっおしたったのだった。

そしおサラ゚ボ包囲盎前の幎月、今床はボスニアが独立を宣蚀。

今床こそクロアチアずスロベニアの二の舞にはなるたいず、セルビアが動き出す。

そしお氎面䞋で準備を進め、サラ゚ボに察しお奇襲に等しい包囲戊を開始したのだった。

「攻撃は激化し、毎日倚くの犠牲者がでたした。

サラ゚ボでは倚い日で3000発以䞊、平均しお329発の砲匟が飛び亀っおいたした。

特に危険を感じたのは、圓時配属されおいたボスニア軍叞什郚の入り口がセルビア軍に芋぀かり、自分が建物に入った数秒埌に入り口が爆撃されたこずがありたした。たた、実家近くの階段で倜䞭に友人ず座っお話をしおいた時、自分の胞に狙撃兵のレヌザヌが照射されたのを芋぀けた時もそうですね。すぐに逃げたので助かりたしたが・・・。

そんな事が日垞的に起こっおたのです。

そんな日々が続く䞭、私は幎月末、サラ゚ボを脱出し䞀人でロヌマに枡るこずになりたした。

・・・家族を守るために。」

―家族を守るためにミルザさん䞀人で脱出をしたのですか

「はい、そうです。

私達家族はよく話し合いたした。

玛争はい぀か終わる。

しかし、その頃にはサラ゚ボには䜕もない。仕事も倱っおしたった今、生きおいくこずすら困難な状況になっおいるだろうず。

生き抜くためにはお金が必芁です。

家族の内誰かがお金を皌いで皆を守らなければならない。

私達は玛争の先を芋据えおいたした。

そしお兄は䞡芪を守るためにサラ゚ボに残り、私が囜倖ぞず脱出しお金を皌ぐこずになったのです。」

ドむツからサラ゚ボに戻ったのは家族を守るため。

そしおサラ゚ボからロヌマぞ脱出するのも家族を守るため。

家族を戊地に残しお倖囜ぞ脱出するのはどれほどの苊悩だったのだろう。

家族を守るためにあえお脱出しお金を皌ぎに出なければならない・・・

この頃ミルザさんはただ代に入ったばかり。

そんな幎頃の時にミルザさんは究極の決断を突き付けられおいたのだ。

玛争はその人の人生を決定的に倉えおしたうものなのだ。

「サラ゚ボを脱出するずいっおも、これは非垞に危険なこずでした。

セルビア兵に芋぀かるこずは、死を意味したす。

私は幎月末の真倜䞭、共に脱出する友人ず人で空枯の滑走路付近たで来おいたした。

サラ゚ボ空枯滑走路付近

私はここを走っお暪切り、監芖をすり抜け山の近くにある友人の芪戚の家ぞ向かいたした。

私達はそこで少し䌑憩を取り、それからただ真っ暗の朝時、山ぞ向かっお進み、山の䞭をキロ近く歩き続けたした。

雪も深く気枩もマむナス床近くなる真冬の山です。これは本圓に厳しかったです。

私達は敵に芋぀からないこずを祈りながら歩き続けたした。」

「私達が目指しおいたのはコニツずいう町でした。

ここはセルビア軍勢力の倖にあった町なので、ずりあえずここたで行ければ脱出もうたくいくだろうず考えたのです。

ミルザさんはコニツぞの幹線道路沿いの山を進んだ

コニツぞは幹線道路が通っおいたす。

私達は道路沿いに山を進みたした。

この道はよく車が通りたす。

ここを通る車に誰が乗っおいるのか、私達には党くわかりたせんでした。もしセルビア軍の車だった堎合、それは最悪の事態を意味しおいたした。

ですから絶察に芋぀かっおはならなかったのです。

ミルザさんが実際に通った鉄道の橋。

私達は線路やトンネルも駆䜿しお進みたした。」

―なぜ線路だったのですか

「玛争圓時鉄道はほずんど走っおいたせんでした。

さらに、線路からは芋通しがよかったので遠くを走る車をいち早く芋぀けるこずができたす。

私達は車を発芋するずすぐに線路に䌏せお車をやり過ごしたした。

鉄道のトンネルは隠れるには絶奜の道でした。」

芋぀かったら終わりずいう極限の緊匵状態。

䜕か䞀぀、たった䞀぀でも刀断を誀っおしたったら、それは死を意味する。

ミルザさんはそんな極限状態の䞭コニツぞの道を進み続けたのだ。

コニツを流れるネレトバ川

朝の時に出発しおから実に時間の行軍。

倜の時、ミルザさん達は぀いにコニツの町に到着した。

「私達はここで䌑み、翌日モスタルに向けお出発したした。

モスタルからは枯町のスプリットたでバスが出おいるこずを知っおいたからです。

幞いなこずにその道を歩いおいる途䞭、スむス人の車に乗せおもらうこずができたした。

定員を超えおいたので私は荷物のスペヌスに小さくなっお乗り蟌みたした。

それでも歩かずにモスタルに行けたのは幞運なこずでした。

スプリットからはむタリアのアンコナたで船ぞ行き、そこから鉄道でロヌマぞ向かいたした。」

こうしおミルザさんは無事ボスニアを脱出し、ロヌマぞず向かうこずになった。

―それにしおも、他にも倚くの囜がある䞭でミルザさんはなぜむタリアのロヌマを目指したのですか

「圓時、ナヌゎスラビアのパスポヌトでビザなしで入囜出来る囜が近隣諞囜でむタリアだけでした。

私は新しく出来たばかりのボスニアのパスポヌトを持っおいたのですが皎関職員皆、初めお芋たず盛り䞊がっおいたした。

ですが恐ろしいこずにこのか月埌にはサラ゚ボからモスタルぞの道も完党に封鎖され、むタリアぞの入囜も封鎖されおしたいたした。

私は間䞀髪のずころで助かったのです。」

―ロヌマに行かれおからはどのように生掻されおいたのですか

「近所に䜏んでいた友人がロヌマに䜏んでいたので、私はしばらくその友人の䞖話になるこずになりたした。

そしおロヌマのナヌゎ人コミュニティから仕事を玹介しおもらい、生掻を始めたした。配氎管敎備や倧工、幎配の方ぞの投薬のバむトなど、様々な仕事をしたした。

そしお独孊でむタリア語を孊び芳光ガむドの仕事を務めるようになりたした。」

ミルザさんはロヌマで幎過ごし、そこで束井さんず出䌚われご結婚。

その埌ミラノでも幎間生掻し、幎に埩興の進んだサラ゚ボに戻りBEMI TOURを立ち䞊げ珟圚に至る。

「これが私の芋おきたボスニア玛争です。玛争で私の生掻は䞀倉するこずになりたした。

私達は突然平和な生掻を倱い、暎力に芋舞われたのです。

生きおいれば、信じられないこずもたしかに起こるのです。」

ボスニア玛争は本圓に悲惚な結果をもたらした。

代前半だったミルザさんの青春時代も、玛争によっお倱われおしたった。

思い出すだけで蟛い出来事がいっぱいだろうず思う。

できれば思い出したくない、話したくないず思うこずもミルザさんは包み隠さず䌝えおくれた。これは本圓にありがたいこずだった。

「幎の玛争終結埌、兄がロヌマに逃げおきたした。

兄はそれからしばらく私ず暮らしたした。

しかし、私の家に来おからか月ほどは粟神的に非垞に䞍安定な状況にありたした。

兄にずっおサラ゚ボでの極限の生掻から日垞に戻るのはずおも困難なものでした。

それほど、あの玛争は私達の心に深い傷跡を残したした。

ボスニアには今でもその傷から立ち盎れず、粟神的に苊しんでいる人がたくさんいたす。

玛争時の話は今でも皆したがりたせん。

それほど悲惚な蚘憶だったのです。

ですが、私の玛争䜓隓が平和のためになるなら、喜んで協力したいず思いたす。

玛争の䜓隓を日本の皆さんにも䌝えお頂けたら嬉しいです。」

ミルザさんはそうお話ししお䞋さった。

ミルザさんずはサラ゚ボに滞圚しおいた日間、たくさんお話しさせお頂いた。

ここで語るこずができたのはそのほんの䞀郚に過ぎない。

だが、それでもできるだけその時の雰囲気を䌝えられるよう曞いおみた぀もりだ。

ミルザさんの䜓隓が少しでも皆さんに䌝わるこずができたならこんなに嬉しいこずはない。

私自身も玛争や戊争に぀いお本圓に考えさせられた。

いや、日本に垰っおきた今も考え続けおいる。

誰かの䜓隓を盎接聞くずいうこずがどれほど貎重な䜓隓であるかずいうこずを心の底から感じたサラ゚ボでの日々だった。

さお、次の蚘事ではこの話を聞いた圓の私自身が予期せぬ暎力に遭うこずになった話をしおいきたい。

続く

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