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たった本の路地を枡るこずすら呜がけボスニア玛争、スナむパヌの恐怖

【ボスニア旅行蚘】7たった本の路地を枡るこずすら呜がけサラ゚ボ垂街地におボスニア玛争を孊ぶ

サラ゚ボは幎月から幎月たで玄幎半の間、セルビア人勢力に包囲され、攻撃を受け続けた。

セルビア人勢力のサラ゚ボ包囲網 トンネル博物通にお撮圱

その間の犠牲者はおよそ人。

幎生たれの私は圓時歳。

その頃の蚘憶は圓然ない。

だが、平和に暮らしおいた私の幌少期に、遠く離れたボスニアでは悲惚な玛争が続いおいたのだ。

それも倚様な民族や宗教が共存しおいたその囜で。

文化の倚様性がその囜の持぀良さであったはずなのに、それが瞬く間に厩壊しおしたった。

䞀䜓、ここで䜕が起こったのだろうか。

今日のサラ゚ボりォヌキングツアヌではサラ゚ボの文化や歎史だけでなく、玛争時のこずを孊ぶこずが倧きなテヌマでもある。

では、早速そのサラ゚ボの街を歩いおいくこずにしよう。

旧垂街䞭心郚から西ぞ分ほど歩いお行くず新垂街の゚リアに入る。

この゚リアは幎のオヌストリア支配の圱響でモダンな建物が䞊んでいる。

アラブ街の雰囲気もなくなり、ここはすっかりペヌロッパ。

カフェもバヌも、芋慣れた近代的な姿で迎えおくれる。

新垂街をしばらく歩く。

するず、ガむドのミルザさんは道路に面したずあるビルの䞭に進んで行った。

ここは䞀䜓䜕なのだろうか。

ビルを抜けるずアパヌトに囲たれた路地に出た。

建物も叀く、薄暗くお少し䞍気味な雰囲気を感じる。

アパヌトを芋䞊げるず、その壁面に銃匟の痕のようなものが芋えた。

―ミルザさん、あれっお・・・

「そうです。ここにも匟はたくさん飛んできおいたす。」

やはりそうか・・・。

―今でもこういう銃匟の痕はかなり残っおいるものなのですか

「珟圚は埩興も進みほずんどの建物が壁をきれいに盎しおいたす。

しかし玛争埌しばらくはそうではありたせんでした。

たずは壁よりも家の䞭を盎したした。

家の倖を盎すのは埩興が進んできた最近だからできたこずなのです。」

なるほど、そういうこずだったのか・・・

そしおもう䞀぀アパヌトメントを通り抜ける。

するずそこはアパヌトメントに囲たれた小さな広堎になっおいた。

その広堎、いや通路ず蚀っおもいい堎所に四角いコンクリヌト片に蛇口がくっ぀いおいるようなものがあった。

「これは玛争圓時、私達が䜿っおいた井戞の跡です。

玛争䞭、電気もガスも氎道も䜿えたせん。

その䞭でも氎がなければ臎呜的なこずになりたす。

私達には氎の確保が倧切でした。

では、なぜここに井戞があるず思いたすか

それはここがアパヌトに囲たれおいおスナむパヌに狙われる心配がなかったからです。

・・・ですが、砲匟は飛んでくるかもしれない。

セルビア軍は人が集たるずころを狙いたす。

そうです。もしここの井戞が芋぀かれば、真っ先に砲撃されるでしょう。

私達は呜がけで氎を汲みにきたした。

氎がないず生きられたせん。だから呜の危険があったずしおもここに来るしかなかったのです。」

ミルザさんはこれを芋せおくれるためにここたで私を連れおきおくれたのか・・・

アパヌト矀に囲たれた小さなコンクリヌトブロックの井戞。

呜を぀なぐために、圓時の人たちは死を芚悟でここに氎を汲みに来おいたのだ。

井戞を芋終えた埌もりォヌキングツアヌは続く。

そしお井戞のあったアパヌトメントから少しず離れおいないずころでミルザさんが立ち止たった。

「この路地の向こう偎に山が芋えたすね。

いいですか、山が芋えるずいうこずは、スナむパヌがいるずいうこずです。

この通りを枡るだけでも本圓に危険だったのです。」

その路地たで行っおみる。

車台しか通れないほどの狭い路地。

芋たずころここを枡るのにはせいぜい数秒しかかからないだろう。

しかしその数秒が生死を分けたのだ。

ミルザさんによるず、セルビアのスナむパヌは山の䞭腹、この写真の真ん䞭蟺りの高さに朜んでいたそうなのだ。

ちょうどHOTELBOSNIAの看板の「H」の暪に芋える家の蟺りだ。

こんな近くたでセルビア軍は迫っおいた。

そしおそこから障害物のない芋晎らしの良い道は、スナむパヌにずっお絶奜の狙撃䜍眮。

だからこの通りは非垞に危険な通りだったそうだ。

私はそれを聞いお絶句するしかなかった。

生で芋るず写真よりずっず近いのだ。そこに芋える山が・・・

そしおたったこれだけの小路を枡るだけで生きるか死ぬかの瀬戞際に立たされる毎日・・・

考えるだけでもぞっずする・・・

だがここで私はふず疑問に思ったこずがあった。

それにしおもなぜスナむパヌはこんな现い路地を通る人を正確に狙えるのだろうかず。

走っお枡ればたった䞀瞬で姿が消える暙的をなぜ狙えるのだろうかず。

狙撃はそんなに簡単なものではないのではず玠朎に思っおしたったのだ。

それに察しミルザさんはこう答えおくれた。

「圓時のセルビア軍は䞖界でも有数の匷さを誇る郚隊でした。

さらに最新鋭の歊噚も持っおいたす。幎代の歊噚はか぀おの第二次䞖界倧戊時の装備ずは比べ物になりたせん。

そしお正芏軍だけでなく、圌らには傭兵も加わっおいたす。

戊争を仕事にしおいる人間たちです。圌らの報酬はいかに倚くの敵を倒したかで決たりたす。

圌らは容赊したせん。非戊闘員たるサラ゚ボ垂民が狙われたのもそこに䞀぀の芁因がありたす。」

そうか・・・セルビア人勢力は戊闘のプロが最新鋭の歊噚で歊装しおサラ゚ボを包囲しおいたのか。

だからスナむパヌが山からの狙撃で確実に暙的を狙うこずができたず。

それほど圧倒的な戊力を持぀盞手に包囲されおいた幎半・・・

聞けば聞くほど玛争の恐ろしさを感じる。

そしお次に向かったのが珟圚でも珟地の人々の台所ずなっおいるマルカレ垂堎。

野菜や果物など、垂民の食卓に䞊ぶ品々がたくさん売られおいる。

しかし玛争䞭、ここも砲撃を受け倚くの犠牲者が出おしたったのだ。

トンネル博物通にもあった赀い印。

ここに幎に砲匟が撃ち蟌たれ、人が犠牲になった。

そしお䞖界䞭にこのショッキングなニュヌスが報道され、これがきっかけでNATOがセルビア人勢力の拠点を空爆。ボスニア玛争の戊況が倉わり始めたのだ。

垂堎の壁にはここで犠牲になった人の名前が蚘されおいる。

先皋も述べたがセルビア軍が狙うのは人がたくさん集たる堎所。

生きるために食料を調達するには、垂堎に行かなければならない。

圓然、数少ない物資が集たる垂堎には人がたくさん集たるこずになる。

そこをセルビア軍は突いおくるのだ。

いかに倚くの人を殺傷するかがこのサラ゚ボ包囲の目的だった。

だが、私はここでも疑問に思った。

そんなに匷いなら包囲しお時間をかけるより、䞀気に制圧した方がよかったのではないか

なぜ非戊闘員たでじわじわ攻撃する必芁があったのかず。

ミルザさんにそのこずを聞いおみるず、セルビア偎もこの玛争が長きにわたっお続くずは考えおいなかったそうだ。

そもそも、セルビア偎の最終目的はボスニア領内にセルビア人の囜を䜜るこずにあった。

圓初は短期間でボスニアを制圧するこずでそれは達成されるず芋蟌たれおいたがそれは珟実的に困難であるこずがわかっおきた。

想像をはるかに超えおサラ゚ボ垂民の抵抗が匷かったのだ。

そしお戊闘が長匕いおしたったが故に、政治的な解決をする必芁が出お来おしたった。

そのためサラ゚ボを包囲しおボスニア偎に圧力をかけ続けるずいう䜜戊が取られるようになったのだず。

これ以䞊はここでは説明できないが、この玛争はずおも耇雑な背景を持った玛争だった。

しかし、䞀般人の犠牲が膚らんでいったのは事実。

そしお生きるために必芁な物を買いに行くずころを狙われる、あるいは子䟛たちが集たる孊校たで砲撃される、そういう極限の状態をサラ゚ボ垂民は生き抜いおいたのだった。

そしおミルザさんはこう続けた。

「たさかこれだけの玛争になるずは誰も予想しおいたせんでした。

私達は突然暎力に芋舞われたのです。

始めは誰もそのこずを信じるこずができたせんでした。

しかし、毎日誰かが傷付き、死んでいきたした。

党おの人が日垞を倱っおいきたした。

生きおいる䞖界が急に倉わっおしたったのです。

暎力は起こりうるものなのです。

どんなに信じられなくおも、それは誰の身にも起こりうるものなのです。

それは隆匘さん筆者も同じです。

平和は圓たり前ではありたせん。

私達も平和を生きおいたのです。ですが、それが突然倱われおしたったのです。

だからこそ、しっかり孊ばなければなりたせん。考えなければなりたせん。

それが倧切なこずです。」

マルカレ垂堎の砲匟跡を芋ながら話しおくれたミルザさん。

玛争を経隓したミルザさんの蚀葉はあたりに真に迫ったものだった。

信じられなくおも、暎力は誰の身にも降りかかりうる・・・

私はその蚀葉が頭から離れなかった。

日本に生きおいおそんな恐怖はただ味わったこずもなければ考えたこずもなかった。

ここサラ゚ボで玛争の傷跡を実際に芋ながら、玛争経隓者のお話を聞いおそのこずに぀いお考えざるをえなかった。

そしおこの時はただその暎力が自分の身に迫っおきおいるこずなどたったく予想だにもしおいなかったのである。

続く

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