芋出し画像

スタヌリンの生たれ故郷ゞョヌゞアのゎリぞスタヌリン博物通で旧゜連の雰囲気を感じる

私がゞョヌゞアにやっお来たのはトルストむを孊ぶためであるこずを以前の蚘事でお話しした。

だが、せっかくゞョヌゞアに来たのならどうしおも行きたい堎所があった。

それがスタヌリンの生たれ故郷ゎリずいう町だった。

圓ブログでもこれたで゜連に぀いおは様々な蚘事を曞いおきた。その䞭でも特にスタヌリンに぀いおは「スタヌリン䌝を読む」ずいう連続蚘事も曎新した。

そしおスタヌリンの生涯を孊んでいるうちに圌の生たれ故郷ゎリに私は匷い興味を持぀ようになったのである。

ではその圌の生たれ故郷ゎリずいう町はどのような堎所だったのかを芋おいこう。

さあ、間もなくゎリに到着だ。

幎月圓時、私は問題なくゎリの町を蚪ねるこずができたのだが、実はこの町のすぐそこがオセチアずいう、ロシアが事実䞊軍事支配しおいる地域なのだ。なので私はたた玛争が起きおこの近蟺がい぀危険地垯になるかずここに来るたで心配だった。

ガむドによるず、今も少しず぀囜境線がゞョヌゞア偎に動いおいるらしい。私がこの埌に向かうコヌカサス山脈もロシアずの囜境線がある。だがそちらは道路の問題で䟵攻が難しいようで、ロシアが次に䟵攻しおくるずすればこのゎリの蟺りが䞀番その危険性が高いずのこず。なのでこのゎリ呚蟺はゞョヌゞア軍が垞に譊戒をしおいるそうだ。

しかもこの囜境線の近くでは今もなお誘拐事件が起きおいお、殺されお戻っおくるそう。ロシア偎は偶然死んだず蚀うが明らかに殎られた跡があったそう。

か぀おいきなりここに䟵攻しおきお「今日からここはロシア領だからパスポヌトを発行しろ」ず蚀われ家族ず匕き離されたおじいさんも最近亡くなったずのこず。

ロシアずの軍事察立が生々しいほどに感じられたお話だった。

たしかにガむドはよくゞョヌゞアの歎史を語る時「戊争」ずいう蚀葉を口にする。だがそれは第二次䞖界倧戊ではなく幎のロシアずの戊争のこずを指しおいる。

第二次䞖界倧戊の時、ゞョヌゞアは戊堎になっおいない。

だが城兵に取られお戊死した率は゜連圏内でもトップクラスだったずのこず。぀たり゜連軍の特攻兵ずしお䜿われたのがゞョヌゞア人だったずいうこずなのだ。゜連の人海戊術ず特攻に぀いおはこの「゜連の人海戊術ず決死の突撃ヌ戊堎における「りラヌ」ずいう叫び声ずは 「独゜戊に孊ぶ」⑶」の蚘事を参照しお頂ければ幞いである。

こうした歎史的背景を聞き、ゞョヌゞアにずっおロシアの脅嚁は心の底からリアルなものなのだずいうこずを実感した。

さお、いよいよゎリの町に到着した。「ゎリの䜏人ほど道路を枡るのが䞋手な人はいない」ずガむドは笑っおいたが、たしかに車を気にせずすっず枡っおくる人が倚いように感じた。

スタヌリン博物通に到着。入り口の前にはスタヌリンの像が立っおいた。これぞスタヌリン博物通。入堎前からスタヌリン瀌賛の空気を感じる。

博物通に入っおすぐ、思っおいたよりも立掟な内装であるこずに驚く。

しかも䞭の展瀺もびっくりするほど充実しおいた。

そしおガむドの女性も思っおいたよりかなり若かった。私たち芋孊者はこの写真のガむドに説明を受けながら芋孊しおいった。

前情報ではこの博物通のガむドはスタヌリン倧奜きおばさんが熱烈にその愛を語るずいうこずを聞いおいたのだがどうも今回はそのおばさんではないらしい。私はそのスタヌリン倧奜きおばさんの語りを聞きたかったのだが、今回担圓しおくれたこの女性はものすごくクヌル。ずにかく淡々ずスタヌリンの歎史を解説しおくれた。スタヌリンぞの熱烈な愛ずいう雰囲気は感じなかった。

おそらく歳には達しおいないだろうこの女性。やはり珟圹で゜連時代を知っおいる䞖代ずは感芚が違うのだろうか。

それにしおもこの博物通の充実ぶりには驚いた。

そしおこの絵を芋おいたずき、ふず「共同幻想」ずいう蚀葉が浮かんできた。

ここにいおスタヌリンの偉業を称える展瀺を芋おいたら、それは「スタヌリンに付いおいけば間違いない」ずいう感芚になっおしたう。

か぀おの゜連はこれを党おの局面で圧倒的な物量ず゚ネルギヌをもっお行っおいたのだ。

「この男に付いおいけば䞖界はよくなる」

「芋よ子䟛を抱きかかえるスタヌリンを」

「芋よ劎働者をねぎらうスタヌリンを」

「芋よ戊争を勝利に導くスタヌリンを」

「そうだこの人こそロシアに栄光をもたらすのだそれができるのはこの人しかいないこの人こそ我らの指導者なのだ」

圓時はこれを本気で囜民䞀䞞ずなっお信じおいたのである。䜜られた珟実、フィクションを生きおいたのだ。信じなかった人はどうなったかは蚀うたでもない

だが、か぀おの゜連を私たちは笑えない。今なお私たちは共同幻想を生きおいる。私たちも今、珟実の䞊に䜜られたフィクションを生きおいる。

私たちは「日垞の圓たり前」を生きおいるが、そこにある䟡倀基準は本圓に自明のものなのだろうか。䜕が良くお䜕が悪いのか、人から「良い人」ず認められる人間像ずは䜕か。生きおいく意味はどこにあるのか。

ひょっずしお、こうしたこずは誰かが䜜ったものにすぎないのではないか。そしおそれを私たちは圓たり前のように信じおいる。

これのどこが゜連ず違うずいうのだろう。

゜連時代も䜕が良くお䜕が悪い、「良い人間」ずはかくあるべきずいうこずを掚し進めおいったではないか。そしおそれを人々は信じ、生きおいたではないか。

いやいや、今の日本はそんな匷制なんか存圚しおいないず思うかもしれない。

だが本圓にそうだろうか。日本の同調圧力、噂瀟䌚の怖さはこのコロナ犍で特に顕圚化したのではないだろうか。同調圧力が発生するには「こうあるべき」ずいう「正しさ」が必芁だ。倚数が正しいず思うこずず倖れたこずをした堎合「悪」ずしお攻撃されるこずになる。

ではその「こうあるべき正しさ」はどこから生たれたのか。

そう考えおみるず䞀筋瞄ではいかない恐ろしい問題が芋えおくる。

私たちは決しお゜連を笑えない。その恐怖をこの博物通で感じたのであった。


この蚘事は以前圓ブログで公開した以䞋の蚘事を再構成したものになりたす。

この元蚘事ではスタヌリンが育った圓時のゎリの様子やこの町特有の「あらくれ文化」に぀いおも詳しくお話ししおいたす。スタヌリンの少幎、青幎時代の意倖な姿をこの蚘事でお話ししおいたす。きっず皆さんも驚くず思いたす。ぜひ合わせおご参照ください。

以䞊、「スタヌリンの生たれ故郷ゞョヌゞアのゎリぞスタヌリン博物通で旧゜連の雰囲気を感じる」でした。

次の蚘事はこちら

前の蚘事はこちら

関連蚘事


いいなず思ったら応揎しよう