【🎨展覧会レポ】ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション「南桂子銅版画展ー旅のはじまり」
【#326、約4,100文字、写真約20枚】
東京・日本橋にあるミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションに初めて行き「南桂子銅版画展ー旅のはじまり」を鑑賞しました。その感想・レビューを書きます。
▶︎ 結論
行って損はない、特徴的な美術館だと思いました。それは主に、1)浜口陽三の全作品が揃っている、2)浜口陽三のパートナー・南桂子のメルヘンな作品を見たことで心がぽかぽかした、3)ヤマサ醤油の意外な側面を発見できたことによります。東京・日本橋にひっそりとある、個人ギャラリーのような美術館。都内の代表的な美術館に行き飽きた人にはオススメです😀
おすすめ度:★★★☆☆
会話できる度:★★☆☆☆
混み具合:★★☆☆☆
展覧会名:南桂子銅版画展ー旅のはじまり
場所:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
会期:2026年01月24日~2026年04月12日
休館日:月曜日
開館時間:11:00~17:00
住所:東京都中央区日本橋蛎殻町1-35-7
アクセス:水天宮前駅から徒歩約5分
入場料(一般):600円
事前予約:ー
所要時間:約1時間
撮影:すべて不可(入り口付近の休憩スペースは可能)
巡回:ー
URL:こちら
▶︎ 訪問のきっかけ

訪問のきっかけは、1)武蔵野市立吉祥寺美術館で、浜口陽三、南桂子の存在を知った、2)いつか行きたい美術館として「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」をブックマークしていたためです。
▼ 吉祥寺美術館の感想
▶︎ アクセス

ミュゼ浜口陽三は、水天宮前駅から徒歩約5分。ちょっと目立たないビルの1階にあります。普通に歩いていたら、家具のショールームかな?と思うような佇まいでした。


▶︎ 「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」とは?

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションは、銅版画家・浜口陽三の作品を紹介する小規模な美術館です。
1996年、浜口陽三がパリやサンフランシスコの海外生活を終え、日本に帰国。1998年、本人の意向もあり、持ち帰った多くの作品を展示するため、ヤマサ醤油株式会社(非上場)が美術館をオープンしました。

常設展示室はなく、年約4回の企画展を実施。浜口陽三や南桂子の銅版画をはじめ、現代美術の企画展も実施しています。会場を構成する1階と地下1階は、心地よいフォルムの螺旋階段がつないでいました。

なお「ミュゼ(Musée)」とは、フランス語で美術館を指します。これは、浜口陽三がフランスで人生の大半を過ごしたことに由来しています。私は当初、それを知らなかったため「ミュゼって浜口陽三の雅号や爵位なのかな?」と思ってしまいました😅

また「ヤマサコレクション」とある通り、ヤマサ醤油株式会社が文化事業の一環として、美術館を運営しています。美術館が現在ある場所は、もともと、ヤマサ醤油の倉庫があったそうです。

浜口陽三は、ヤマサ醤油の第10代目社長・濱口儀兵衛の三男として生まれました。そのため、ヤマサ醤油は、創業の関係者として、浜口陽三の作品を保存・公開しています。

なお、展覧会の内容はすべて撮影禁止。ただし、入り口から展覧会に入るまでのスペースは撮影できます。
✔️ 浜口陽三って誰?

浜口陽三は、カラーメゾチントという独特の銅版画技法を開拓したことで、後世に名を残しました。
1909年:和歌山県生まれる
1928年:東京芸大 彫刻科へ入学
1930年:梅原竜三郎のアドバイスで大学を中退
1953年:フランスへ渡る
1998年:ミュゼ浜口陽三がオープン
2000年:逝去(91歳)
なお、濱口家は、代々芸術に縁のある人が多かったようです。ヤマサ醤油の5代目当主・濱口灌圃は、江戸後期に南画家として活躍しました。また、10代目当主・濱口儀兵衛も、自らも南画を学んだ経験がある南画収集家でした。

会場内には、若干の浜口陽三の作品も、原版とともに展示されていました。以前、吉祥寺美術館に行った時、そこには浜口陽三の180の版画作品のうち、150を所蔵(原版も80所蔵)とありました。
一方、ミュゼ浜口陽三には、すべての作品を所蔵しているそうです(さすが!)。また、版画作品に加え、原版、試刷り、素描などを含め800点以上を収蔵しているそうです。

▶︎ 「南桂子銅版画展ー旅のはじまり」

南は、40歳を過ぎてから銅版画をはじめ、パリで制作し続けました。繊細な線と透明な色彩、鳥、少女、お城などのモチーフによる独自の作品世界で知られ、戦後を代表する銅版画家の一人として、近年注目を集めています。この展覧会では、憧れや旅立ちなど、作品に流れる静かな力強さに注目します。


南桂子の作品が約40点、浜口陽三の作品が約10点展示されていました。展示構成はとても簡素。説明用のパネルは、経歴を伝えるものも含めて数枚のみ。それ以外は、主に作品を掛けているだけでした。
私は平日に訪問しました。会場内には常に5〜6名の観覧者がいました。観覧料は600円(展示数などを考えると、何とも言えない価格でした)。
✔️ 南桂子って誰?
南桂子について、美術館に掲示されていた主な経歴は以下でした。銅版画を習い始め、ユニセフに作品が採用されるのは、ともに40代を過ぎてからという、遅咲きのアーティストだったようです。

1911年:富山県に生まれる
1949年:油絵を教えてもらっていたアトリエで浜口陽三と出会う
1954年:フランスで浜口陽三と住み始める
1954年:ドイツ人銅版画家・フリードランデルの研究所で、銅版画を習う(43歳)
1958年:ユニセフのグリーディングカードに《平和の木》が採用(47歳)
1996年:日本に帰国、麻布台に住む
2004年:逝去(93歳)、以降ミュゼ浜口陽三で、毎年、南桂子展を実施
2026年:テート美術館の卓上公式ダイアリーに採用

✔️ 展覧会感想
エッチングによる南桂子の作風はとても素朴でした。また、そこには、人の手による温もりが感じられました。そのため、銅版画は、ホワイトキューブのようなパキッとした空間に展示するのではなく、本の挿絵、住宅のリビングや喫茶店などの生活空間の方がマッチすると思いました。
実際、南桂子の作品は、筑摩書房 現代文Bや、国語総合の教科書の表紙に加え、さまざまな本に採用されました。展覧会には、その実物も展示されていました。

作品はどれも繊細なタッチが感じられました。そのため、このような作品をひたすらカリカリつくるには、性格的に向き・不向きがありそうだな、と思いました。

南桂子といえば、久米田康治が描くような目が特徴的。しかし私はそれよりも、彼女の描くメルヘンチックな風景や動物、色使いが気に入りました。


作品の中で、自分の部屋に飾るとしたら《みどり色の木》《月と城》《花》でした。《花》は、赤色のコントラストがきいていて、デザインもかわいいため、心がぽかぽかしました。

なお、吉祥寺美術館が実施していたように、会場内に作品をつくるための原版もあると、作品の背景も含めてイメージが湧きやすいと思いました。
◾️ 大きな謎:2人は夫婦なの?
答:法的な夫婦ではなかった。
南桂子は、フランスで28年間住みました。なぜ、フランスへ移住したのか?なぜ豪勢な暮らしができたのか?費用は浜口陽三が工面したのか?それらは、展示室のパネルで一切触れられていませんでした。
また、この美術館には浜口陽三と南桂子の両コレクションがあります。そのため、彼らはどのような関係だったのか気になりました。
浜口陽三がフランスに渡ったのは1953年、南桂子が渡ったのは1954年と、1年の差があります。南桂子は当時、油絵を学び、童話などを書いていました。そして、交流があった浜口陽三が先に渡ったフランスで、自分を試すために同じ場所を目指したようです。
銅版画は、銅版やさまざまな道具、液剤、プレス機が必要なため、ふとしたきっかけで始められるアートではありません。南桂子は富山県の実業家の生まれだったため、フランスでの生活や作品制作費用は、浜口陽三ではなく、実家(+自身)が捻出したようです。
また、作品がユニセフのカードに採用され、生活に余裕ができたことで、浜口陽三の生活を南桂子がサポートする一面もあったらしいです。
そして、結婚をしなかった理由は、フランスという土地柄が影響していたようです。当時、パリの芸術家たちは、不羈にして形にとらわれない自由なパートナーシップが普通でした。そのため、2人はお互いをアーティストとして尊敬し合いながら、生活を共に過ごしたようです。
浜口陽三と南桂子は「お互いが良きライバル、かつ、気の合う仲間以上の関係」だったのかな、と思いました。その辺りが美術館では一切触れられていないことに違和感がありました。
この美術館の核は、浜口陽三と南桂子の作品です。そのため、彼らの生涯や作品の説明を白いパネルの機械的な年表で済ませるのでは、美術館の役割を十分に果たせていません。
そのため、上記のパートナー関係の背景なども含め、写真を多く使いながら、A5・約10ページ・カラー刷りなどの小冊子をつくり、会場で配布した方が良いと思いました(お2人ともすでに亡くなっているため、毎年のアップデートはほぼ不要だと思います)。
▶︎ まとめ

《木の中の2羽の鳥》
いかがだったでしょうか?知名度は高くない美術館だと思います。しかし、東京駅からも比較的近いことに加え、有名どころの美術館に飽きた人にはオススメです。日本を代表する版画家(浜口陽三、南桂子)の作品を鑑賞できたことに損はありませんでした😀
▶︎ 今日の美術館飯


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