終わる世界と始まる家族のあいだで——1999年、息子が産まれた日
1998年の後半から
1999年の頭にかけての新婚生活を思い返すと、世間が語るような「甘い新婚時代」という言葉には、今でもどうしても強い違和感が残る。
テレビの中では「ミレニアム前夜」という言葉が踊り、Y2K問題だのノストラダムスだの、
人類滅亡の噂が半ば巨大な娯楽のように消費され、街全体がどこか熱に浮かされていた。
コンビニには「1999」の文字が並び、
深夜番組では終末論者と学者が並んで討論し、
その横でCMは未来的なCGを使って
新世紀を煽っていた。
J-POPは黄金期の真っ只中で、
CDショップへ行けば宇多田ヒカル、
浜崎あゆみ、GLAY、ラルク、
モーニング娘。の新譜が山積みになり、
街には常に何かしらのヒット曲が流れていた。
映画館では
『スター・ウォーズ エピソード1』公開への期待が異様な熱量を帯び、
雑誌は「新しい時代」を連呼していた。
社会全体が
「終わる世界」と「始まる世界」の境目を、
どこか祭りのように眺めていた時代だった。
だが、自分たちの生活には、
そんな浮ついた空気が入り込む余地は
ほとんど無かった。
結婚生活は、
最初から「妊娠」という極めて現実的な
重さを抱えた状態で始まっていた。
恋愛の延長線上にある柔らかな時間ではなく、
「これからどうやって生活するのか」
「どうやって守るのか」
「どうやって働き続けるのか」という、
生々しい現実が最初から目の前に置かれていた。
山の上の住宅街に借りた家賃7万円の賃貸アパート。
決して広くはないが、
若い夫婦二人で暮らすには十分な部屋だった。
仕事場には近く、少し下ればスーパーもあり、
生活条件だけ見れば決して
悪い場所ではなかった。
だが、
その部屋は「新婚生活の城」などではなく、
自分たちにとっては外の世界から逃げ込むための避難所に近かった。
部屋の外には、常に親の支配があった。
モラハラやパワハラという言葉は
まだ一般化していなかったが、
今振り返れば、あれは完全に支配だったと思う。
怒鳴り声、
圧力、
恩着せ、
罪悪感の植え付け、
監視、
人格否定。
しかも厄介なのは、
それが「家族だから当然」という顔をして
存在していたことだった。
親というより、
小さな独裁国家のような空気だった。
機嫌一つで空気が変わり、
逆らえば責められ、従えば「当然」とされる。
そして何より厄介なのは、
その環境の中で育つと、
それを異常だと認識できなくなることだった。
幼い頃から刷り込まれ続けた恐怖は、
人間の感覚そのものを書き換える。
理不尽を理不尽として感じる機能が壊れていく。だから当時の自分は、「逃げたい」と感じながらも、「逆らってはいけない」という感覚の方が遥かに強かった。
親の怒りは絶対だった。
親戚の圧力も絶対だった。
「家族に逆らう人間は冷たい」
「恩知らずだ」という価値観が、
空気のように染み込んでいた。
妻は、その世界に後から入ってきた。
他人だからこそ異常さが見えていたと思う。
しかし同時に、自分より遥かに立場が弱かった。土地への不満を毎日のように口にしていたのも、単なるワガママではなかったのだろうと思う。
山の上の住宅街特有の閉塞感。
歩いても景色は似たような家並みばかり。
車が無ければ動きづらく、
気軽に街へ出ることも難しい。
知人も少ない。
若く、初めての妊娠で精神的にも不安定な時期。しかも夫は仕事と親の顔色に縛られ、
完全には味方になりきれない。
今の自分なら、
その孤独がどれほど重かったか想像できる。
だが当時の自分には、
そこまで見える余裕が無かった。
1999年という年は、社会全体が奇妙だった。
未来への期待と終末感が、
同じ器の中で濁って混ざっていた。
テレビでは
「2000年問題で銀行システムが止まるかもしれない」と煽りながら、
その直後には
浜崎あゆみや宇多田ヒカルの曲が流れ、
深夜には『マトリックス』のCMが流れていた。
世界が終わると言いながら、
同時に新しい時代の到来に酔っていた。
インターネットが急速に広がり始め、
人々は
「未来へ向かっている」
という感覚を持ち始めていたが、
その一方で社会の根っこにはまだ
昭和的な圧力が色濃く残っていた。
会社は絶対。
年長者は絶対。
家族は絶対。
「個人の事情」より「組織への忠誠」が
優先される空気が、
まだ当たり前のように存在していた。
特に地方の中小企業や親族経営では、
その傾向が強かった。
今なら「出産だから休みます」で済む話も、
当時はそうではなかった。
欠勤や遅刻は人格否定に直結した。
「責任感が無い」
「社会人失格だ」
と平然と言われる時代だった。
だから、
妻が陣痛らしき痛みを訴えたあの夜も、
自分の中には「会社を休む」という発想が
存在しなかった。
深夜、眠っている自分を揺り起こして、
「産まれるみたいだから
病院へ連れて行ってほしい」
と言われた時の空気は、
今でも断片的に覚えている。
部屋の薄暗さ。
カーテンの隙間から見える街灯。
静まり返った住宅街。
急いで着替え、車のエンジンをかける。
夜の坂道を下っていくヘッドライト。
人気の少ない駅前。
産婦人科の白い明かり。
本来なら人生の大きな瞬間のはずだった。
だが、
自分の頭の中には
「朝から仕事だ」
「遅れたら怒鳴られる」
「親戚に何を言われる」
「迷惑をかけるなと言われる」
という恐怖が同時に渦巻いていた。
病院へ妻を送り届けた後、
自分は会社へ向かった。
当時は、それが「当然」だった。
今の感覚なら異常に見えるだろう。
しかしあの時代、
特に自分の周囲では、本当にそうだった。
出産立ち会いなど、
まだ「特別な人間の話」に近かった。
家族より仕事を優先することが、
美徳のように扱われていた。
そして何より、
自分は親父や親戚の怒りが怖かった。
怒鳴られること。
見放されること。
責められること。
その恐怖が骨の髄まで染み込んでいた。
今振り返ると、
病院に置いていかれた妻は
どれほど心細かっただろうと思う。
初産で、長時間の出産。
痛みも恐怖もあったはずだ。
それなのに夫は仕事へ向かい、
自分は病院に残される。
その孤独を想像すると胸が痛む。
だからせめてもの気持ちで、自分は母親に
「病院へ行ってやってほしい」と頼んだ。
その後、母親は病院に来た。
妻の傍に付き添い、
陣痛の波をそばで見守ったはずだ。
しかし後になって、
その話は少しずつ形を変えていった。
「わたしが付き添ってあげた」
「あの時どれだけ大変だったか」
「普通はそこまでしない」。
語られるたびに、善意は実績になり、
実績は貸しになり、
貸しはいつの間にか鎖になっていた。
頼んだ側の自分も、頼まれた側の妻も、
気づけばその重さを首に巻きつけられていた。
あの家族構造は、今思えば完全に壊れていた。
愛情と支配の境界線が曖昧で、
助けることと縛ることが混ざり合っていた。
何かをしてもらえば、
それは永遠に「恩」として保存される。
そしてその恩は、
都合のいい場面で何度でも取り出される。
家族というより、感情の貸借帳のようだった。
会社では、その日も普通に働いた。
特別な顔をするわけでもなく、
誰かに「妻が産気づいた」と言ったかどうかも、もう記憶が無い。
昼前に病院から連絡が来た。
産まれた、という一言。
仕事の隙間に受け取ったその言葉の感触が、
妙に薄かったことを今でも覚えている。
喜ぶべき瞬間に、喜ぶための場所がなかった。
病院に着いた時、妻はひどく疲弊していた。
初産ということもあり、
分娩には長い時間がかかっていた。
器具を壊すほど必死に力み続けたと、
後から看護師に聞いた。
産まれてきたばかりの息子の頭は、
長時間の出産の影響で少し尖っていて、
まるでコーンヘッドのように見えた。
自分は驚いて医師に
「これ、治るんですか」と聞いた。
すると医師は落ち着いた口調で、
「赤ちゃんの頭は柔らかいから自然に戻りますよ」
と説明してくれた。
その時ようやく、少し安心した。
産声を聞いた瞬間の感覚は、
今でも完全には言葉にできない。
ただ、「嬉しい」だけでは無かった。
もちろん、
生きて産まれてきてくれたことへの
安堵はあった。
しかし同時に、
「この子は、この環境から人生を始めるのか」
という重さもあった。
自分たちを取り巻く空気。
親の支配。
会社の圧力。
昭和的な価値観。
恐怖で繋がる家族構造。
そんな場所に、
自分の子供が放り込まれたような感覚があった。
そしてその時、
自分の中で初めて、
「父親になる」という感覚より先に、
「守らなければならない」という感覚が
立ち上がっていた。
この子を巻き込んではいけない。
自分と同じ恐怖の中に置いてはいけない。
両親であろうと、
自分たちの人生の主導権を渡してはいけない。
そんな思いが、
ぼんやりとではあるが
確かに胸の奥に生まれていた。
だが、頭で決意しても、
足はすぐには動かなかった。
病室を出ると、廊下には母親が待っていた。
「大変だったわよ」と言った。
その言葉が、
労いなのか、
報告なのか、
請求なのか、
自分にはわからなかった。
ただ「ありがとうございます」と頭を下げた。
その瞬間、
自分はまだ何も変わっていないと思った。
人間は、頭で理解しただけではすぐには変われない。
幼い頃から続く恐怖支配は、
人間の判断力を静かに鈍らせる。
「おかしい」と感じても、
「でも親だから」
「でも逆らったら怖い」という感覚が先に来る。
自分で決断することそのものに怯え、
逃げるでもなく従うでもなく、
ただ曖昧にやり過ごすことで日常を保っていた。
そしてその曖昧さを、一番近くで、
一番長く受け続けていたのが妻だった。
それでも、少しずつ変わっていった。
妻と息子を見ながら、
「このままではいけない」という感覚だけは、
確実に強くなっていった。
あの頃の自分は未熟だった。
守る力も足りなかった。
親の呪縛から完全には抜け出せていなかった。
結果として、
妻には本当に苦しい思いをさせたと思う。
それでも、
そんな混乱した時代に
自分の隣にいてくれたことに、
今は深く感謝している。
そして1999年。
世間がミレニアムに浮かれ、
不安と期待を同時に抱えていた
あのざわついた時代の空気の中で、
息子は産まれてきた。
世界は新しい時代へ向かう入口に立っていたが、自分たちもまた、
小さな家族として
別の入口に立っていたのだと思う。
あの頃は余裕など無かった。
未来も見えなかった。
だが、振り返ると確かにあそこが始まりだった。恐怖と未熟さと閉塞感の中で、
それでも
「家族を守りたい」という感情だけは、
本物だった。
そしてその感情だけが、
自分を少しずつ、
古い支配から引き剥がしていったのだと思う。
次回からは少し時間が空く。
2000年以降、家族の形が少しずつ変わっていく時期を経て、いつか妻との1年間のことを書くつもりでいる。
あの頃のことは、まだうまく言葉にならない部分も多い。
それでも、書かなければならないと思っている。
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