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あの旅の静けさは、27年後の今も消えていない

シドニーの最後の朝、観光案内に連れられて空港へ向かう車窓から見えた街は、来たときよりもわずかに輪郭が柔らかくなっていた。
到着した瞬間に感じたあの乾いた異物感は、数日を経て、完全に消えたわけではないが、確実に自分の内側に取り込まれていた。
光の強さも、建物の並びも、人の動きも変わっていないはずなのに、それらがどこか遠くのものではなく、触れられる距離にまで近づいている気がする。
いや、近づいたというより、こちらの側の境界が少し曖昧になっているのかもしれない。
その変化は街の側ではなく自分の側に起きている、と言い切るにはまだ少し早くて、ただ、何かが内側でずれている感覚だけが残っていた。
言葉になる前の段階で、身体が先に了解してしまうような、うまく掴めない種類の理解だった。
その感覚は、今になって振り返ると、別のかたちで思い出されることがあるが、うまく結びつけることはできないまま残っている。

空港の待ち時間、機内に持ち込む食べ物を選びながら、さおりと過ごした数日間が長かったのか短かったのか、判別のつかない奇妙な余韻が胸に残る。
時間は確かに進んでいたはずなのに、
その進み方が普段とは違っていた。
圧縮されていたのか、引き延ばされていたのか、それともただ自分の感覚が遅れていただけなのか、はっきりしないまま、濃度だけが上がっていたように思う。
売店の棚に並ぶサンドイッチやスナックの色合いがやけに鮮明で、しかし味の記憶はほとんど残っていない。
その濃度の中で、さおりは自分の機嫌が悪いときでさえ自然に笑いへと引き戻し、無理に距離を詰めることもなく、しかし確実に離れない位置に留まり続ける空気を作っていた。
何かを与えるというより、何かが崩れないように支えている感じに近い。
近づこうとする力ではなく、離れない構造そのものを静かに維持するような在り方だったのだと、当時はうまく言えなかったが、今なら少しだけ言葉が追いつく気がする。
ただ、その「離れない」という感覚がどこまで本当のものだったのかについては、考えようとするとわずかに手が止まる。

ジャンボジェットに乗り込むと、機内は驚くほど空いていた。
行きの窮屈さが嘘のように消え、空間そのものが広がっているように感じられる。
エンジン音の低い唸りだけが一定のリズムで続いていて、その単調さが逆に安心を生む。
フライトが安定すると、さおりを空いている席へ移動させ、足を伸ばして横になれるようにする。ほんの些細な動作だったが、そのとき一瞬だけ、自分でも理由のわからない感覚があった。
こうした方がいい、ではなく、こうしておいた方が自然だ、というような判断。
考えるより先に身体が動いている。
その動きの中に、行きにはなかった“気づき”が紛れ込んでいたのだと思う。
相手を楽にさせるためにどう動くかを、
意識として引き受ける前に、すでに行動として選んでしまっている。
その変化を当時の自分は自覚していなかったが、今振り返ると、それは関係の質が静かに変わり始めていた兆しだった。
そう思う一方で、その変化がどこまで続いていったのかについては、ここではまだ触れようとしない。

自分も同じように体を預けると、帰りの空の旅は不思議なほど軽く、時間さえも短縮されているかのような錯覚に包まれる。
時計を見れば同じだけの時間が経っているはずなのに、その実感だけがどこか抜け落ちている。
時差ボケという言葉は頭のどこかにあったが、
実際にはただ身体の奥に疲れを沈めながら流されていくだけだった。
機内でワインを飲み、グラスの縁に残るわずかな酸味を感じた記憶があるが、そのあとどうやって眠りに落ちたのかは曖昧だ。
しばらくしてさおりに起こされ、いびきがうるさいと小声で注意される。
そのとき、少し恥ずかしさのようなものがよぎった気もするが、それもすぐに消えてしまう。
そのやり取りはほんの一瞬で、妙な緊張も遠慮もなく、ただ当たり前の調子で交わされていた。
笑いに変える必要もなく、気まずさを処理する必要もない。
そういう処理の回路を通らずに済む関係があるのだということを、そのときの自分はまだ理解していなかったが、身体のどこかではすでに受け入れていた。
そのまま流れていく小さなやり取りの中に、
すでに夫婦としてのリズムのようなものが生まれていた。
そういう時間が確かにあった、という感触だけが、今も妙に具体的に残っている。

関西空港に降り立ち、荷物を待っていると、
隣にいたおばあちゃんに「あなた外人さん?」と声をかけられる。
ほんの一瞬、言葉の意味がそのまま入ってこない。
自分に向けられているのかどうかも含めて、
わずかな遅延があった気がする。
そのあとで意味が追いつき、さおりが声を殺して笑う。
その笑い方が妙に印象に残っている。
肩を揺らしながらも音を抑えている、その中途半端な抑制が可笑しかったのかもしれない。
自分もつられるように苦笑し、「うるさいな」と返すが、その言葉の軽さとは別に、内側ではわずかに揺れていた。
旅の間、どこか曖昧になっていた自分の輪郭が、ここにきて突然外側から規定される。
その違和感と、それでもなお笑いに変換されてしまう空気。
その両方が同時に存在していた。
少しだけ引っかかるものはあったが、それを掘り下げるほどの強さはなく、そのまま流れていく。あの頃の日本には、均質であることが前提でありながら、そこから少し外れたものを完全に排除するのではなく、どこか牧歌的な仕草として処理してしまう余白がまだ残っていた。
今思えば、その余白に救われていた部分もあったのかもしれないが、それがいつまでも同じ形で残るものではなかったことも、今は知っている。

一泊したビジネスホテルの狭い部屋で、
旅の終わりと日常の始まりが曖昧に混ざり合う。
エアコンの乾いた風、ベッドのシーツの感触、
持ち帰った荷物に染みついた匂い。
それらが混ざり合って、どこに自分がいるのか少しだけ分からなくなる瞬間がある。
風呂に入ったはずなのに、身体の奥にはまだ飛行機の揺れのようなものが残っている。
途切れ途切れの会話の中で、何を話したのかはほとんど覚えていないが、黙っている時間の方が長かった気がする。
その沈黙も特に気まずくはなかった。
むしろ、何も話さなくても成立していることの方に、ぼんやりとした安心があった。
ただ、その安心の輪郭も、後から思い出そうとするとどこかぼやけていて、はっきりと掴み直すことができない。

翌日、新幹線に乗り込む。
窓の外を流れていく風景は、海外で見ていたあの強い光とは違い、どこか均された色で連続している。
緑も、建物も、空も、どこかで調整されているような印象を受ける。
コントラストの強さではなく、均一に整えられたグラデーション。
その連続の中に身を置いていると、
いつの間にか思考がほどけていく。
眠っていたのか、ただぼんやりしていただけなのか、その境界も曖昧になる。
その流れの中で、自分はこの人と結婚したのだということを、ようやく静かに理解する。
何かを決意したわけではなく、宣言したわけでもない。
ただ、すでにそうなっているという事実が、
重さとして胸の奥に沈んでいく。
その重さは確かにあったが、それがどこまで持続するものなのかについては、そのときは考えていなかったし、考える必要もなかった。

さおりのお腹には子どもがいる。
来年には家族が三人になる。
その現実は、はっきりとした輪郭を持っているはずなのに、自分の中ではまだ完全な形になっていなかった。
父親になるという感覚は、恐怖と呼ぶには少しぼやけていて、しかし確実にこれまでとは別の領域に足を踏み入れている予感だけがある。
その予感は時折強くなり、またすぐに引いていく。
考えようとすると形が崩れ、考えないでいると不意に浮かび上がる。
そういう不安定な状態のまま、それでも時間だけは進んでいく。
その時間の先に何があるのかについて、
具体的に想像することはほとんどなかった。
ただ続いていくものとして、疑いなく受け入れていた。

1998年という年は、まだ“続いていくこと”が前提として信じられていた時間だった。
世界全体が均一な明るさを保っているように見え、その内側にどれほどの歪みが蓄積していたとしても、それが表面に現れる前の、いわば最後の静かな段階。
都市は機能として整い、人の気配はその奥へと押し込まれながらも、完全には消えていない。
その微妙なバランスの上に、多くのものが成り立っていた。
その中で、自分は家庭という単位へと静かに入り込んでいった。
それは何かを選び取ったというよりも、
気づいたときにはすでにその構造の中に立っていた、という感覚に近い。
自分で決めたはずなのに、どこかで流れに乗せられていたような気もするし、逆に流されていたはずなのに、自分の意思で立っているような感覚もあった。
その曖昧さをはっきりさせることは、
そのときは必要ではなかった。
ただ、その中にいることだけが確かだった。
そして、その「確かさ」がどのくらいの時間続くものなのかについても、やはり考えは及んでいなかった。

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nao46222 チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^