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2003年、宮島が見えた高台の家で。イラク戦争と幼稚園いじめの記憶

2003年という年を思い出すとき、まず頭に浮かぶのは六本木ヒルズが4月1日にグランドオープンしたというニュースだ。
テレビの向こうでは「ヒルズ族」という聞き慣れない言葉が飛び交い、東京では新しい金持ちの形が生まれつつあるらしいということを、
地方に住む自分は他人事のように眺めていた。
あの頃の自分にとって東京の高層タワーの話などまるで別世界のことで、目の前には幼稚園に入園したばかりの長男と、ようやく1歳になった長女がいて、家族としての基盤がやっと形になり始めたばかりだった。
夫婦そろってまだ若く、周りの親たちはみな年上ばかりで、育児の経験値も問題への対処能力も
乏しかった自分たちは、相談できる相手もいないまま二人きりで必死に生活を組み立てていた。
毎晩のように小さな問題に頭を抱え、
夜ごと妻と話し合いながら、育児と生活を一歩ずつ進めていくしかなかった。
今となっては大した問題ではなかったと笑えることも多いが、当時はそのひとつひとつがこの世の終わりのように重大で、二人でどうにか乗り越えていたのを覚えている。
当時暮らしていたのは広島の井口台という高台の住まいで、ベランダから遠くに宮島が見え、
夏の時期になると花火大会の光がぽつぽつと小さく見えた。
育児に追われて心の余裕などまるでなかったはずなのに、あの高台から眺めた宮島の輪郭と遠い花火の光だけは、なぜか今でも鮮明に思い出せる。世の中ではこの年、
地方が都市部の高齢者にセカンドライフの移住を呼びかける「スローライフ」という考え方が広がっていたらしいが、当時の自分たちにスローという言葉ほど縁遠いものはなかった。
毎日が慌ただしく、寝る間も惜しんでおむつを
替え、離乳食を作り、幼稚園の準備をしていた。ちょうどその頃、世の中では中国発のSARSが
猛威をふるい、日本でも旅行のキャンセルが相次いで社会全体がどこか落ち着かない空気に包まれていた。
テレビをつければ
テツandトモの「なんでだろう〜」が繰り返し流れ、緊張と脱力が奇妙に同居する1年だった。
小さな子供を抱えていた自分たちにとって、
感染症のニュースは他人事ではなく、外に連れ出していいものかどうか、妻と何度も相談した記憶がある。
加えてこの年はオレオレ詐欺という言葉が世間に広まり始めた年でもあり、実家の親にも電話で
気をつけるよう伝えたことを覚えている。
自分たちの世代が親になったばかりの一方で、
自分の親世代が新しい犯罪の標的にされ始めているという、なんとも落ち着かない時代の切り替わりを感じていた。
そんな不安の中でも幼稚園のお遊戯会という
小さな晴れ舞台はやってきて、
長男が「かもめの水兵さん」を踊った。
妻はソニーのビデオカメラを構えながら、
嗚咽し涙を流しながらその姿を撮影していた。
自分が産んだ子が歌い踊る姿というのは、母親にとって言葉にならないほどの感動なのだろう。
あの涙は、育児の苦労と喜びが一気に押し寄せた瞬間として、今でもはっきりと思い出せる。
ちょうど地上デジタルテレビ放送が東京、大阪、名古屋で始まった年でもあり、映像で家族の記録を残すという行為の意味を、あのビデオカメラ越しの涙を見ながら今になって考えたりもする。
当時のビデオはテープに録画するもので、
今のようにクラウドに保存されるわけでもなく、あのテープは今も実家のどこかの棚に眠っているはずだ。
しかし2003年は喜びだけの年ではなかった。
長男は幼稚園で同じクラスの子にいじめられていた。
その子は幼稚園でも問題視されるほどの行動を
繰り返しており、あるとき別の子が髪をむしられ重症になる事件まで起きて、親として強い恐怖と寒気を覚えたのを今でも覚えている。
妻はその子の親に意見をぶつけたが、相手は無関心でまるで取り合わなかった。
後で知ったことだが、その問題児の家庭では弟ばかりが可愛がられていたらしく、本人は親に振り向いてほしいという渇望を抱えていたのではないかと感じた。
自分自身も幼少期に弟ばかり守られ、
自分はいつも殴られる側だった経験があり、
その子の姿にどうしても自分の過去を重ねて見てしまった。
理解はできても、
我が子が迫害されることは到底許容できず、
複雑な感情が胸の中で交錯していた。
子供のいじめというのは、
加害者にも被害者にも家庭の影が落ちているのだと、あの頃に痛感させられた。
世の中に目を向ければ、3月にアメリカがイラクへの攻撃を開始し、12月には自衛隊のイラク派遣が閣議決定されるという、戦後日本にとって重い決断がなされた年でもあった。
国全体がどこか緊張していたその年に、
自分は目の前の育児と幼稚園の人間関係に
ただ精一杯だった。
国が抱える大きな戦場のかたわらで、
自分は家庭という小さな戦場で必死に踏ん張っていたのだと思う。
有事法制が成立し、りそな銀行に公的資金が注入されるというニュースを新聞で読みながら、
自分の頭の中は
いじめ問題と育児の疲労でいっぱいで、
日本経済の行方など考える余裕もなかった。
それでも世間には明るいニュースもあった。
阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を果たして日本中が沸き、大相撲では朝青龍がモンゴル人力士として初めて横綱に昇進し、貴乃花は静かに土俵を去った。
そして宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が
アカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞し、日本のエンタメが世界に認められたという誇らしいニュースも流れた。
映画館では「踊る大捜査線THE MOVIE2」が大ヒットし、家族連れで賑わっていたと聞くが、
自分たち夫婦が映画館に足を運ぶ余裕などまるでなかった。
家庭の中では重苦しい日々が続いていたが、
テレビの向こうで沸き立つ世間の高揚感が、
ほんの少しの息抜きになっていたのかもしれない。
2003年は家族の喜びと痛みが同時に押し寄せた、忘れられない1年として自分の中に刻まれている。

それから23年が経った2026年の今、
長女は出産し、家族に孫が誕生した。
長女夫婦は自分たちと同じように二人で育児に苦しみながらも、懸命に向き合っている姿を見せてくれる。
その姿を見るたびに、
23年前の自分たち夫婦の姿が重なって見える。
相談相手がいない孤独も、夜ごとの話し合いも、きっと形を変えて彼らも経験しているのだろう。先日、息子が久しぶりに家に来たので、
二人でつけ麺を食べに行った。
長女がつけ麺好きだったことをふと思い出し、
夫婦用に持ち帰りを買って届けると、
長女の旦那が玄関に出てきて受け取ってくれた。「大変だろうががんばれよ」
「ありがとうございます」という
短い会話を交わし、家を後にした。
親としての役割が形を変え、
静かに支える立場へと移行していることを、
あの短いやり取りの中で実感した。
つけ麺の後は、息子と喫茶店でコーヒーを飲み、家に帰ってサブスクを観ながらくつろいだ。
引っ越してまだ1年も経たないこの新しい生活では、行きつけの店もまだ定まっていない。
以前は妻とよく行っていた寿司屋があったが、
今は新しい街で新しい店を探している最中だ。
息子と近所の寿司屋に連絡を入れ、タクシーで出かけた。
新しい寿司屋は以前の店より少し高級で、年齢を重ねた自分にふさわしい落ち着いた空間だった。息子と向かい合い、
亡き妻の話をしながら酒を飲んだ。
息子と飲む酒は不思議と早く酔いが回り、
20年以上に及ぶ家族の記憶が一気に立ち上がってくるような感覚に包まれた。
「今ここに妻がいれば」と思うと、
切なさが胸に広がった。
かもめの水兵さんを踊っていたあの小さな長男が、今は社会人として企業に勤め、生まれたばかりの孫のことを気にかけながらこうして酒を酌み交わす相手になっているのだから、
時間というのは本当に不思議なものだと思う。
そうしているうちに、メンヘラだった次女も就職を決めた。
長女は来年結婚式を挙げる予定で、
順番としては一般的には逆なのだろうが、
彼らが選んだ人生の流れを自分は尊重している。妻はこれらの現実を見る前に亡くなってしまった。
本来なら妻と二人で見届けるはずだった未来を、今は自分ひとりで見届けている。
それは義務ではなく、妻への愛が形を変えて残ったものなのだと感じている。
「妻が亡き後は自分が」という静かな覚悟が、
心の奥にずっとある。
喜びと寂しさ、誇らしさと切なさ、
そのすべてが混ざり合った感情の中で、
自分は今、
家族の未来を見届ける立場に立っている。
あの2003年、
国が緊張し社会が揺れる中で必死だった家族の姿と、今その家族が実を結んでいる現在を重ねてみると、あの慌ただしかった1年が、
今この穏やかな時間の土台になっていたのだとわかる。
実家のどこかに眠っているはずの
あのビデオテープを、
今度探して見てみようと思う。
あの頃はまだガラケーすら持っていない家庭も
珍しくなく、家族の連絡手段は固定電話が中心だった。
息子が就職し、
長女が結婚を決め、
孫が生まれたという知らせも、
今ではスマートフォンひとつで
一瞬にして届く時代になった。
便利になったとしみじみ思う一方で、
あの2003年のように、電話一本、
テープ一本に思いを込めていた不便さの中に
こそ、濃密な時間があったようにも思う。
ヒルズ族という言葉に象徴される新しい豊かさが東京で生まれ、その一方で地方の小さな家庭では感染症と犯罪と子供のいじめという、
目には見えにくい不安と向き合っていた。
日本という国全体が戦争という重い決断を下し、経済も金融も揺れ動いていたその年に、
自分たち夫婦はただ目の前の家族を守ることだけを考えていた。
振り返れば、
それは決して特別なことではなく、
どの時代のどの家庭にもある、
ごくありふれた必死さだったのだろう。
だが、そのありふれた必死さの積み重ねこそが、今こうして孫を抱き、息子と酒を酌み交わし、
長女の結婚を見届けようとしている自分の今日につながっているのだと思うと、
あの慌ただしかった1年を
粗末に扱うことなどできない。
妻がいたらきっと、
あのお遊戯会のビデオを何度も見返しては、
また涙を流していたことだろう。
その涙の続きを、
自分が今、少しずつ見届けている。

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nao46222 チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^