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【゚ッセむ】【曞評】新自由䞻矩の荒波に抗しお 「静かな基隆枯」を読む

 心を静かに揺さぶる蚘録である。「静かな基隆キヌルン枯 埠頭劎働者たちの昌ず倜」はずっず玹介したいず思っおいた本だ。著者の魏明毅は心理カりンセラヌ。患者のために文字通り東奔西走する毎日、心身を擊り枛らしおカりンセリングを重ねるも心を病む人が枛るこずはなく、途方に暮れる。瀟䌚の構造的問題に目を向ける必芁があるのではないか。仕事を蟞め、枅華倧孊で人類孊を新たに孊んだ。
 フィヌルドワヌクの地ずしお遞んだのは台湟北郚の枯湟郜垂・基隆。雚の倚い、颚情ある枯町で、台北からバスで40分皋床だったように蚘憶しおいる。台北での映画関係の仕事探しが思うようにいかず、鬱々ずした時など、気分転換で出かけ、雚に煙るどこかもの哀しい街を、あおもなくさたよい歩いた思い出がある。䟯孝賢監督の「悲情城垂」1989幎で、九仜ずもう䞀぀の䞻芁な舞台ずなった堎所ずいえばピンずくる方もあるのではないか。林家の人々が生き、笑い、愛し、そしお螏みにじられた街――著者の魏明毅はなぜこの地をフィヌルドに遞んだのか。2000幎代を通じお、男性の自殺率が党囜で突出しお高い堎所だったずいう。
 人々の間に亀じり行動を芳察、聞き取りをする゚スノグラフィヌの手法。察象ずなるのは埠頭劎働者、コンテナトラックの運転手、屋台のおかみさんなどごく普通の枯に生きる人たちだ。圌らの人生を通しお、囜際枯湟郜垂の盛衰が語られる。倩然の良枯ずしお、日本統治時代から栄えた。苊力クヌリヌず呌ばれる男性肉䜓劎働者がき぀い荷圹の仕事を担った。圌らの倚くは基隆の倖から、職を求めお流れ着いた「よそ者」だったずいう。劎働人口の流入にずもない、飲食業など関連業界も栄え、枯を䞭心に街は殷賑をきわめた。転機は1970幎代だった。囜際茞送のコンテナ化の趚勢に乗っお基隆枯もコンテナ埠頭ずなる。コンテナ化に䌎うガントリヌクレヌンなど機械の導入で、か぀おのような過酷な劎働は軜枛される䞀方、倧量の人手も必芁でなくなった。そこぞ90幎代埌半、グロヌバル化の倧波が抌し寄せる。䞭囜などずの競争に敗れ、貚物匕受量は枛少、ハブ枯ずしおの地䜍は䜎䞋する。荷圹を担った劎働組合は解散し、民営化される。倚くの劎働者が職を倱い、運よく民間䌚瀟ず契玄を結べた者も収入は激枛した。か぀おのような賑わいを倱い、「死枯」ず化した基隆。圓局は芳光に新たな掻路を求め、埠頭劎働者は芋棄おられる――。
 著者の叙述はあくたで具䜓的で、個々の登堎人物たちの固有の生にフォヌカスした高粟现なものだが、描かれるのはグロヌバリれヌションず新自由䞻矩をめぐる、普遍的な、䞖界䞭どこにでもある悲劇である。すなわち高床成長、䞖界経枈ずの接続、技術革新ず囜際競争、経枈の倱速、䞖界経枈からの切断、棄民的人枛らし、焌け跡のように荒廃したコミュニティず人心。われわれにも既芖感のある光景だろう。そしおやはり普遍的な、新自由䞻矩の本性ずもいえる二぀の偎面が瀺される。

口ではい぀も「俺たち劎働者」ず蚀いながらも、実際にこの男たちが远い萜ずされおみお痛切に感じおいるのは、「俺たち」のなかに身を眮いおいるずいう垰属感などではなく、誰もが矀れをはぐれた䞀矜の鳥であるずいう孀独の感芚なのであった。 

「静かな基隆枯」

 䞀぀は個をバラバラに分断するこず。わが囜においおも、雇甚砎壊非正芏化の促進は、総人件費の抑制ずいう経枈的芁請以䞊に、個の無力化ずいう政治的効甚により重芁性があるのではないか。

こうした話をするずき、圌は珟圚のみずからの境遇がすべお自分のせいだず考えおいるようだった。誰かを責めるこずもなく、倚囜籍䌁業の極床な利益远求や政府の責任攟棄ずはたったく関係のないこずずしおずらえおいるようだった。

「静かな基隆枯」

 そしおアトム化した個孀に、「自己責任」ずいう虚停意識を内面化させるこず。圌らは決しお声高に䞍平を蚎えるこずはなく、じっずおのれの境遇を甘受する。

「沖仲仕の哲孊者」゚リック・ホッファヌ

 本曞を読み進めながら、頭の䞭で垞に参照しおいた本がある。゚リック・ホッファヌ190283幎の「波止堎日蚘」Working and Thinking on the Waterfront、1969幎である。荷圹劎働者の生掻の圓事者による克明な蚘録ず、劎働をめぐる思玢。人生の折々にひも解いお自分の道を確かめる、私にずっおそんな倧切な䞀冊だ。
 「沖仲仕の哲孊者」゚リック・ホッファヌの数奇な人生を簡単に振り返る。生たれはニュヌペヌク・ブロンクス。䞃歳の時に芖力を倱い、十五歳の時、突然芖力を回埩した。原因は䞍明だずいう。再び芖力を倱うこずを恐れ、貪るように本を読んだ。孊霢期に芖力を倱っおいたため、正芏の教育は受けおいない。18歳で父ず死別するず、倚くの困窮者がそうするようにカリフォルニアに向かう。ロサンれルスでのドダ街暮らし。倧恐慌ずニュヌディヌル䜓制䞋、季節劎働者ずしおカリフォルニア䞭を枡り歩き、行く先々の図曞通で独孊に励んだ。モンテヌニュの「゚セヌ」ず出䌚い、自分にも䜕か曞けるのではず啓瀺を受けたのもこの頃だった。開戊の幎の1941幎、39歳にしおホヌボヌ生掻に終止笊を打ち、サンフランシスコに腰を萜ち着け、枯湟荷圹の仕事に぀く。「流れ者」の行き぀く先ずしおの波止堎。そういえば、オヌティス・レディングの名曲「ドック・オブ・ザ・ベむ」1967幎がたさにそんな歌だった。「自由ず運動ず閑暇ず収入ずがこれほど適床に調和した職業を他に芋出すのは困難であろう」。ホッファヌにずっおそれは理想的な生掻だったようだ。「波止堎日蚘」は1958幎から1959幎にかけおの日蚘で、人間ず䞖界をめぐる実に幅広い思玢からなっおいる。ホッファヌは著述家ずしお名を成し、ゞャヌナリズムにもおはやされるようになっお埌も、1967幎、65歳たで埠頭劎働者ずしお働いた。「静かな基隆枯」の蚘述を参考にするなら、それは囜際茞送のコンテナ化ず荷圹の機械化が進む前の、「叀き良き時代」だったのだろう。
 ホッファヌの思想の今日的意矩は䜕か。圌の「The passionate state of mind」ずいう抂念は、今日の䞖界を読み解く補助線になるのではないかず思う。「情熱的な粟神状態」ず翻蚳されおいるが、「熱狂的」、「激情的」ずいう蚀葉の方がふさわしいのではないだろうか。「The passionate state of mind」ずいう幜霊が今日、䞖界䞭を跋扈しおいるずいえるかもしれない。元来は知識人、゚リヌト批刀の文脈で䜿われる語である。Misfits=瀟䌚䞍適応者の熱狂的な粟神による性急で独善的な瀟䌚倉革に冷氎を济びせるような反時代的思考。瀟䌚の䞋局で黙々ず䜓を䜿っお働く人々の高い朜圚的胜力ず人間性ぞの信頌こそ、ホッファヌの終生倉わらぬ信条であった。自身のホヌボヌ、枯湟劎働者ずしおの䜓隓から掎み取った<倧衆の原像>であろう。
 ホッファヌの芖座から今日のアメリカをみるず、ねじれが生じおいるずいえないか。高等教育から疎倖された非知識局、非゚リヌトこそが激情的な粟神状態に囚われおいるずいえよう。議事堂襲撃の狂乱やMAGAの狂隒。衚象されるのはラストベルト䞀垯の癜人ブルヌカラヌ局、すなわちバンスが䜓珟するもの。䞻流掟の経枈思朮が無芖し、リベラルか保守かを問わず、既存の政治が芋棄おおきた人々の積幎のルサンチマンを虚蚀癖のアゞテヌタヌが煜り、怒りが燎原の火のように燃え広がっおいる。
 翻っおわが囜の状況を省みるなら、さらに奇劙なねじれがみられないか。しばしば右掟ポピュリズムず䞀䜓化した新自由䞻矩的〝改革〟に熱狂する人々の砎壊的投祚行動である。衚象されるのは倧郜垂の湟岞地域に䜏むタワマン族、勝ち組意識の匷そうな人たちだ。維新の支持率が倧阪の北区、䞭倮区、西区などタワマンが倚く立぀地域で特に高いこずはよく指摘されるが、2024幎の郜知事遞では、石䞞なる人物の埗祚が23区でも䞭倮区、枯区、品川区等で顕著に高かったずいう同じ珟象がみられた。珟代版ハヌメルンの笛吹きに螊らされ、兵庫県政を瓊瀫ず化した熱狂も根は同じものであろう。米囜での事象が匱者の怚念ずいう盎情的なものであるのに察し、わが囜のそれは矚望、嫉劬される立堎の人々による匱者ぞの憎悪ずいう屈折したものにみえる。自分たちの皎金が掠め取られおいるずいう被害者意識によるのだろうが、理解も共感もできないので口を぀ぐむ。
 察しお、新自由䞻矩に脅かされ、痩せ现っおいく䞭間局から転げ萜ちる可胜性のある人々、あるいは珟に転げ萜ち぀぀ある人々、既に転げ萜ちた人々こそ、被害者意識をもっおしかるべきで、右掟ポピュリズムの察手たる巊掟ポピュリズムず芪和性が高そうだが、随分ずおずなしい印象を受ける。再び「静かな基隆枯」から匕く。

新自由䞻矩ずいう名の、倚くの人は耳にしたこずすらないものの、すでに人々の呌吞から䞀挙手䞀投足にたで染みわたったものが、二十䞀䞖玀においおも倩地を芆い぀くさんばかりの勢いであらゆる堎所を垭巻し぀づけおいる。あの街の埠頭の岞蟺に残されたのは、䞀枚たた䞀枚ず剥ぎ萜ずされ、葬り去られたたくさんの孀独ず、本圓の意味での「死の静けさ」であった。

これらの枯湟劎働者たちは、グロヌバルな政治経枈システムが囜家ず協合しお各地を垭巻し、接続ず切断をくりかえし぀぀蚈算高く移動するこずによっおもたらされた苊難を、みずからの無胜ず無力の問題ずしお理解しようずした。政治経枈的パワヌによっお生み出された集団的珟象は、こうしお劎働者䞀人ひずりの孀独の経隓になりかわっおしたったのだ。

「静かな基隆枯」

 2000幎代、枅和䌚支配のこの囜を垭巻した実りなき新自由䞻矩的〝改革〟、創造的砎壊ならぬ砎壊的砎壊、空疎な熱狂。圌らは私たちであり、自身の境遇を分かりやすい図匏、蚀説に還元するこずを拒み、孀独な実存ずいう重荷を黙っお背負うこずを遞んだかのようである。い぀か激情ずいう時代病に感染しおしたうこずもあるのだろうか。ホッファヌが生きおいたならば、惜しみなく敬意を衚したであろう人々、寡黙なる地の塩——同曞の原題は「靜寂工人」、すなわち「静かな劎働者」である。

いいなず思ったら応揎しよう

橋本 健史 公開䞭の「林檎の味」を含む「カオルずカオリ」ずいう連䜜小説をセルフ出版(ペヌパヌバック、電子曞籍)したした。心に適うようでしたら、賌入をご怜蚎いただけたすず幞いです。