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【就学前】「普通だったら」と悩む日々に。理不尽さよりも、この子を知りたかった話

就学を前にして、これまでの数年間を振り返る時間が増えました。

ふと思うことがあります。

もし普通に育っていたら、こんなに悩まなくてよかったのかな、と。

比べなくてよかったのかな。

検索ばかりしなくてよかったのかな。

療育や言語訓練の予定で、時間に追われることもなかったのかな、と。

周りの子は、放課後に公園へ行ったり、好きな習い事を始めたりしている。

その頃、私たちは療育へ向かい、言語訓練へ通い、次の支援先を探していました。

人より少し多く頑張らなければならない場面がある。

その姿を見るたびに、

「この子は何も悪くないのに。」

そんな気持ちになることがありました。

これからも、人より少しだけ頑張る場面が増えるのかな。

自信をなくすこともあるのかな。

そう思うと、親として理不尽さを感じずにはいられませんでした。


家の中にあふれていた笑顔

でも、不思議なことがあります。

そんな毎日の中でも、家では次女が変な歌を歌い始めたり、急に踊り出したりして、家族みんなで笑っていました。

表情が豊かで、発想がおもしろくて、家の中ではいつも笑わせてくれる存在でした。

外では伝わりにくかった言葉も、家では一生懸命身振り手振りで伝えようとしてくれる。

その姿が、とても愛おしかった。

だから私は、足を止めるわけにはいけなかったのだと思います。


普通の子にしたかったわけじゃない

支援を探したのも、

療育へ通ったのも、

言語訓練へ付き添ったのも、

普通の子にしたかったからではありません。

この子が、外でも少しでも生きやすくなってほしかった。

そして何より、

この子がどんな子なのか、もっと知りたかった。

どんなことが好きなんだろう。

どんな場所なら安心できるんだろう。

どうしたら、この子らしく笑えるんだろう。

私はずっと、その答えを探していた気がします。


知ろうとすること、そのものが愛情

今振り返ると、あの頃は「普通だったら」と思う日も、確かにありました。

でも、それ以上に大きかったものがあります。

それは、この子が大好きだったということ。

理不尽さは消えませんでした。

不安もありました。

今も、未来は分かりません。

これからも迷う日があると思います。

比べてしまう日もあるかもしれません。

「普通だったら」と思う日もあるかもしれません。

そんな時は、きっと愛が見えにくくなっているだけ。

なくなったわけではないのだと思います。

その子のことを考えていること。

もっと知りたいと思っていること。

どんな場所なら笑えるのか、どんな毎日ならその子らしく過ごせるのかを考え続けていること。

それは、もう十分すぎるほど愛なのかもしれません。

だから私は、これからも思い出したい。

知ろうとしている限り、愛はそこにある。

その言葉を、未来の私への小さなお守りとして残しておきたいと思います。



こちらも、私の大切なお守り言葉です。🌱

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