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あの頃の私も、この子を大切に思っていた

最初の私は、「普通」に近づいてほしいと思っていました。

少しでも困らないように。

少しでも周りと同じように過ごせるように。

追いついてほしい。

そんなことを願っていました。

でも、その気持ちを口にすることにも抵抗がありました。

「普通になってほしい」なんて思ってはいけない。

周りにあまり知られたくないと思う自分もいて、そんなふうに思う私は親としてよくないのではないか、と自分を責めることもありました。

頭では、「この子はこの子」と理解しようとしていました。

でも、心はまだ追いついていませんでした。

だから私は、たくさん検索しました。

療育を探して、病院を探して、支援を探して。

この子に必要なものは何だろう。

何をすればいいんだろう。

必死でした。

今思えば、診断名を知りたかったというより、「安心」を探していたのかもしれません。

そうやって動きながら、私は少しずつ次女を見ていました。

苦手なことだけではなく、好きなこと。

できないことだけではなく、夢中になれること。

どんな場所なら笑っていられるのか。

どんな環境なら、この子らしく過ごせるのか。

いつの間にか私は、「普通に近づける方法」を探すより、「この子に合う場所」を探すようになっていました。

生き生きできる場所。

安心できる場所。

この子が、この子らしくいられる場所。

それが私の中で、一番大切なものになっていました。

今振り返ると、私の考えは少しずつ変わってきました。

でも、それは「あの頃の私が間違っていた」ということではありません。

すぐに動けなかった私も。

普通を目指していた私も。

支援を探し続けていた私も。

今、この子に合う環境を考えている私も。

どの私も、その時の精一杯で、次女のことを大切に思っていました。

今でも、ふと顔を出すことがあります。

「あの時もっと早く動いていたら違ったのかな。」

そんな思いがよぎる日もあります。

でも、そのたびに今の次女を見ます。

楽しそうに笑って、工作に夢中になり、自分の世界の話をたくさん聞かせてくれる姿を見ていると、思うのです。

あの頃の私も、ちゃんとこの子を大切に思っていた。

だから、昔の私を責めるより、「よく考えてきたね」と声をかけてあげたい。

そして今の私も、完成ではありません。

就学を経験したら、また違う考えになるかもしれません。

数年後には、「あの頃はそんなことを考えていたな」と振り返る日が来るのかもしれません。

これからも選択は続きます。

迷う日もあると思います。

立ち止まる日もあると思います。

そのたびに、また考えは少しずつ変わっていくのかもしれません。

でも、私の中には一つだけ、あたたかく残しておきたい言葉があります。

「その時の私も、この子を大切に思っている。」

昔の私にも。

今の私にも。

そして、これから迷う未来の私にも。

そう伝えてあげたいと思っています。

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