「やさしい波動」

「先生、こんにちわ」
隣に住む家のトミ子さんが、話しかけてきた。
物理学者の健一は、縁側で新聞を読みながら、軽く挨拶をした。

「先生、私の家の庭の花を見てどう思いますか」
「いつも。綺麗に手入れされていて感心させられます」
「私、毎朝、お花に『ありがとう』って話しかけて世話しているの。きっと私の波動が伝わるのね」

「私、習ったことがあるのだけれど、言葉のエネルギーの波動が、花に良い影響を与えるらしいの」
「波動ですか」

波動という言葉を聞いて、物理学者としての血が騒いだ。
「波動というのは、本来、物理量のことでして、周波数と振幅で表される、規則的な振動を指す言葉です」
「あら、そうなの」

「その振動が、植物の細胞に何か特別な作用を及ぼすという科学的根拠はありません」

「でもね、先生。うちの植物、話しかけない日は、心なしか元気がないのよ」
「それは恐らく、水やりの間隔か、日照の加減かと思いますよ」

「ふふ、先生は、頭が固いのねえ」
数日後、今度は健一の方から、トミ子さんに声をかけた。

「トミ子さん、実は、ちょっとした実験をしてみました」
「あら、何かしら」

「植物を二鉢用意して、片方には毎日話しかけ、片方には何も話しかけずに生育を比較してみました」
「まあ、面白そう」
「結果、両方とも、ほぼ同じように育ちました」

「先生は、お花に毎日話しかけてくださっていたのね」
「……いや、それは、対照実験としてですけど」
二人の会話は、いつもどこかで噛み合っていなかった。

「先生、今日は波動がいい日だわ」
「気圧配置が安定してるからだけだと思いますよ」
「あら、それも、地球の波動の一種でしょ ?」
「……いや、それは、また別の話で」

ある晴れた日、健一は、縁側で隣の家の植物を眺めていた。
「先生、何を見ているんですか」
「いや、この葉の揺れ方は、なかなか、良い周波数をしているなと思って」

「それ、波動でしょ」
「……そうかもしれませんね」
健一は、そう言って、少しだけ笑った。

二人の間には、いつも心地よい風が吹き抜けていった。
科学では証明できなくても、その庭には確かに、とても穏やかで優しい「波動」が満ちていたのである。
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