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楽々古事記【44】トミビコとの戦い

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④多祁理宮(たけりのみや)

③筑紫の岡田宮を出た兄弟は、安岐国(あきのくに)の多祁理宮に七年滞在しました。

⑤高島宮(たかしまのみや)

次に吉備国(きびのくに)の高島宮に八年滞在しました。

⑥速吸門(はやすいのと)

次の地へ舟で向かっていたところ、潮の流れが急な海峡で、亀の背に乗った男がいたので、末っ子のイワレビコが声をかけてみました。

※カムヤマトイワレビコ(神倭伊波礼毘古命)
=のちの神武天皇

「亀の背に乗ってなんしよん? 誰?」

「オレは、一応は国つ神やっちょるモンやけど…」

「そうなん。お前、この辺の海には詳しいと?」

「うんまぁ、それなりにはね」

「それじゃぁさあ、オレ達に仕えてみらん?」

「うん、いいよ」

そういったワケで、イワレビコは亀男を自分の舟に乗せ、

「棹根津日子」(サオネツヒコ)

という名を与えました。

⑦白肩津(しらかたのつ)

次の地へ向かう途中、何やらイヤな感じがしたので、青雲(おあくも)の白肩津の港に舟を泊めました。

「おい…、なんか変やないかイワレビコ?」

「うん…なんか不気味やね兄ちゃん」

すると突然、

ヤァーーーーッ!

という声と共に、見知らぬ男たちが雪崩のように襲ってきました。

「て、敵だッ!」

それは、そこで待ち構えていた「登美毘古」(トミビコ)の集団でした。

不意を突かれた兄弟でしたが、何とか体制を持ち直して互角に戦いました。

【登美毘古】(トミビコ)
登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)と言いますが、
「長髄彦」(ナガスネヒコ)
という他の神話の表記の方が有名かもしれません。
トミビコは以降の回でも登場しますので、
トミビコ(長髄彦)
と、覚えやすいように表記していきます。


【戦いが終わって】

「ふぅ~、引き分けか…。惜しかったね兄ちゃん」

「うぐッ…ぐぐぐッ」

「どげんしたと? イツセ兄ちゃん!」

「て、敵の矢に…うぐッ」

なんということでしょうか…、このトミビコ(長髄彦)との合戦で、長男の五瀬命(イツセ)が敵の矢に当たって、重傷を負ってしまいました。


では、今回はこれにて終了。
なのですが…

葦原中国という語句の解説を忘れていましたので、今更ですが書いておきますね。汗

【葦原中国】
(あしはらのなかつくに)
むかしむかしの日本という国は、湿地や沼地が多く「葦(あし)」がたくさん生えていました。
かの徳川家康も、豊臣秀吉に「お前には江戸をやるから頑張れよ」と言われて江戸に赴きましたが、江戸に到着して辺りを見渡したところ、葦が鬱蒼と茂った湿地沼地ばかりで、「先が思いやられる…」と落胆したそうです。
また、葦原中国は別名(美称)で豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)などとも呼ばれています。
これは、「稲が実る豊かな水源を持った国」という意味です。
そして、中国(なかつくに)というのは、天上界と黄泉の国の中間にある国という意味であり、また、今の感覚で云えば「外国を省いた日本のこと」という意味合いでもあります。
以上、遅れましたが葦原中国の語句解説でした。
スンマセン、、、

ということで、系図と東征図を貼って終わりますね。

図① 系図

トミビコ(長髄彦)は、中下くらいです。

図② 東征図

北九州市で飲食店などをやっています。
気になる方は下記のプロフィールをご覧くださいませ。

ではでは。。。


次回:【45】イツセ散る
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