男社会から脱出するために 第二部:「弱者男性」はどこから生まれるのか(全九回)
第四章 「俺のどこが特権者なんだ」
フェミニズムの議論に触れた男性が、「俺のどこが特権者なんだ」と反発することがある。
この反応は、単なる無理解として片づけないほうがよい。そこには、構造を語る言葉と、個人が自分の人生を経験する言葉とのずれがあるからだ。
たとえば、非正規雇用で所得が低く、職場でも権限を持たず、友人も少なく、恋愛経験もほとんどなく、休日の大半を一人で過ごしている男性がいるとする。将来に展望を持てず、自分が社会から必要とされている感覚も薄い。
その人に対して「男性は社会的に特権を持っている」とだけ言えば、本人は強い違和感を覚えるだろう。自分の日常には、権力も余裕も選択肢もほとんど見えないからである。
この違和感を理解するには、「男性という集団が特定の制度や慣行の中で相対的に有利である」という話と、「この男性個人が社会的に強い立場にいる」という話を分けなければならない。両者は同じではない。
構造的な優位とは、必ずしも豊かさや幸福を意味しない。特定の不利益を受けにくいこと、社会の標準的な主体として扱われやすいこと、性別を理由に能力や適性を疑われにくいことなどが、構造的な優位だ。しかし、その一方で同じ男性が、階級、雇用、健康、障害、学歴、地域、孤立といった別の軸では大きな不利益を受けていることもある。
つまり、男性であることによる相対的な優位と、個人としての無力感は両立する。
この区別を曖昧にすると、議論はすぐに二つの極端へ流れる。
一方では、「男には特権があるのだから、その男が苦しいという訴えは重要ではない」となる。
もう一方では、「こんなに苦しい男がいるのだから、男性優位など存在しない」となる。
しかし、どちらも一人の人間が複数の社会的位置を同時に持つという事実を無視している。
ここで必要なのは、どちらかを否定することではない。構造と経験の両方を保持することである。
構造と経験は、同じ言語を話していない。
このことを理解しないと、フェミニズムの言葉は低い位置にいる男性へ届きにくい。「お前は強者だ」と言われているようにしか聞こえないからである。
しかし、逆に本人の苦しみだけを基準に社会全体を理解することもできない。「自分は弱いから、男性という集団に有利な制度は存在しない」という結論にはならない。
一人の男性は、ある場面では性別による有利さを持ち、別の場面では極端に不利な位置にいることがある。この複雑さをそのまま引き受ける必要がある。
「俺のどこが特権者なんだ」という問いに対して必要なのは、「黙って特権を自覚しろ」と返すことでも、「そうだ、男は何も得をしていない」と同意することでもない。
より正確な答えはこうなる。
あなた自身が社会的に弱い位置にいることと、男性というカテゴリーが特定の領域で有利に扱われることは両立する。そして、さらに重要なのは、あなたを苦しめているものの一部もまた、「男ならこうあるべきだ」という同じジェンダー秩序から生まれている可能性がある、ということである。
この視点が、弱者男性問題を男女対立から構造分析へ移す出発点になる。
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