コングラに背中を押された。普通の私、本気で完璧主義のジャイアントキリングを狙う⁈|完璧主義|制作ログ1
また、コングラボードをもらった。
しかも、これで3週連続。

もちろん嬉しい。
読んでくれた人。
スキを押してくれた人。
マガジンに追加してくれた人。
皆さん、本当にありがとうございます。
コングラボードの通知は、予測不能。
狙ってもらえるものじゃない。
だから、noteを続ける大きな励みになっている。
ただ、今回のコングラボードを見ながら、私は少し別のことを考えていた。

思い返してみると、
コングラボードをもらう時、私はだいたい次の何かに踏み出しかけている。
別に、コングラボードが私の人生を導いていると言いたいわけではない。
たまたまかもしれない。
たぶん、たまたまである。
でも私は、こういう偶然には勝手に意味を見いだすタイプだ。
今回も、ありがたく背中を押されたことにする。
人生が動いた。でも、そのままでは本にならない
初めてコングラボードをもらった頃、私は今よりずっとAI初心者だった。
AIの一言で、号泣した。
そして、その感情をどうにか本にしたいと思った。
ここだけ切り取ると、かなり熱い。
ただ、少し冷静になると問題がある。
2社目に企画書を送る前に、Geminiに見せた。
「知らない人が号泣した話は、読者には必要ない」
Geminiに、開口一番バッサリと斬られた。
ぐうの音も出ない。
知らん人の号泣話である。
私にとっては人生が動くくらいの出来事でも、読者からすれば
「そうですか」で終わる可能性がある。
そこで、考え直した。
私の体験そのものではなく、この体験から何を渡せるのか。
本の後半には、読んだあとも日常で使えるワークを入れる構成にしていた。
実用を考えていなかったわけではない。
けれど、号泣したことも、失敗したことも、本当は全部書きたかった。
そこは、本にするなら「きっかけ」程度で十分だった。
情緒から機能へ。
理想から実用へ。
Geminiの助言を受けて、私はそう考えた。
同じ頃、初めてのコングラボードをもらった。
その二つに背中を押された。

2社目へ送る予定だった企画書はボツにした。
Ver.2を一から考え直すことにした。
その決意を書いたのが、制作ログ⑥だった。
最初の企画書を作り始めてから、約10カ月。
私はまた、企画書の前にいる。
いや、やっと戻ってきた。
中間発表、待っているのは私だけじゃない
今は、note創作大賞の中間発表を待っている。
残る未来と、残らない未来がある。
もし残ったら。
たぶん、企画書どころではなくなる。
せっかく残ったのなら、9月、10月は新しい記事を書いたり、
今ある内容をさらに発信したり、できることを考えたい。
では、残らなかったら。
普通に凹むと思う。
応募した以上、期待していないと言ったら嘘になる。
でもここまで書いて、ひとつ見落としていたことに気づいた。
「残る」と「企画書を作る」は、そもそも二択ではなかった。
残っても、Ver.2は作る。
残らなくても、Ver.2は作る。
別の世界線だろうと、パラレルワールドだろうと、呼び方はどっちでもいい。
私は、その全部に存在する。
しかも全員、企画書の前にいる。
他の世界線の私が、この先どう進めるかは分からない。
知るすべもない。
だから、この世界の私はやるしかない。
あの企画書作りを、もう一度始める。
やりたくないわけではない。
むしろ、やりたい。
だからこそ厄介なのだ。
一度目は、何も知らなかった。
今は知っている。
企画書を考え始めた完璧主義者が、自分の理想を詰め込み始めるとどうなるのか。
他にもっといい方向性があるのではないか。
この切り口も調べておいた方がいいのではないか。
こっちの案も捨てるには惜しい。
本当にこれでいいのか。
調べる。
考える。
迷う。
準備ばかりですぐに動かない。
始めたら止まらない。
てんやわんやである。
今も、リサーチしすぎて、情報の海で溺れている。
それでも、なんとか二周目のスタートラインに浮いている。
AIに相談した。相談しすぎた。
一周目の私は、AIに相談しまくった。
アイデアを出してもらう。
いい。
別の方向からも考えてもらう。
それもいい。
もう少し違う案を出してもらう。
それも捨てがたい。
気がつけば、アイデアに埋もれていた。
私は完璧主義なので、まだアイディアがあると言われれば見ておきたい。
頼りになるが、手軽さゆえに、すぐ取っ散らかる。
チャットが乱立する。
ブランチしてさらにチャットを増やす。
どこで何を話したのか分からなくなる。

大事そうなところをスクショする。
OneNoteに貼る。
そこに自分で書き込む。
整理する。
その画面をまたスクショする。
そしてAIに見せる。
デジタルを駆使しているように見える。
実際は、机いっぱいの資料と赤ペンである。
ここで、この記事を読んでいるあなただけに、ひとつ白状しておきたい。
実は以前、NotionをChatGPTのエージェントモードで作らせた。
自分でAIと使い勝手を相談して、かなり真面目に設計した。
現在。
全く使っていない。
何か、「思ってたんと違う!」
これじゃない。
今は……
スプレッドシートにプルダウンとリンクをつけただけの、超シンプル運用。

いつか打ち明けようと思っていた。
どさくさに紛れて、打ち明けておく。
企画書は、考えていない時に動き出す
いつものように、他の人のnoteを読んでいた。
先に言っておくが、完璧主義とは、まったく関係のないタイトルに惹かれて読んでいた。
盗んでいない。
本当に関係ない。
その記事を読み終えて、スキを押した。
その直後だった。
ふっと意識が別の方向に切り替わったような感覚があって、
「これ、企画書に使えるかも」
と、頭の中で小さな光がキラッとした。
めまいがしたわけではない。
目がチカチカしたわけでもない。
エアコンの効いた涼しい部屋で、私は普通に椅子に座ってPCに向かっていた。

ただ、頭の中だけで何かがつながった。
こういう時だけは早い。
即、ChatGPT。
そこから壁打ちが始まった。
そして気づけば私は、企画書Ver.2の作り方そのものを考えていた。
同じ轍は踏まない。踏みたくもない。
今回は、いきなり企画書の中身を考えるのではなく、
まずChatGPTに、これまでのAIの使い方を分析してもらった。
この約10カ月、私はAIをどう使ってきたのか。
うまく使えている部分はどこか。
使えていない部分はどこか。
本当は、どう使えばよかったのか。
返ってきた答えは、思ったより手厳しかった。
AIの提案に流されて、自分が言いたかったことを見失ったこと。
会話が膨らみすぎて、何を決めているのか分からなくなったこと。
何でも調べたくなって、幅ばかり広がったこと。
その一方で、AIとの壁打ちだからこそ言葉になったものもたくさんあった。
完璧主義4タイプ+混合型。
「60点でいい」が刺さらない理由。
完璧主義を捨てるのではなく、動ける完璧主義として使っていくという考え。
noteで書いて、考えて、読者の反応を見て、また考えてきたこと。
全部、約10カ月前にはなかった。
そこで、今回の企画書作りでは方針を変えることにした。
もっと広げるのではなく、深める。
何でも調べるのではなく、必要なことを調べる。
AIに案を出し続けてもらうのではなく、決めたものを守らせる。
増やすより、選ぶ。
そして、削る。
そうしないと、また同じことが起きる。
企画書を考えているのに、企画書から遠ざかる。

一周目で散々やった。
今回は、できればもうやりたくない。
知らない勢いは、初回限定だった
少し残念なこともある。
最初の企画書を作った頃の、あの初々しさはもうない。
AIの一言で号泣して、「これを本にしたい」という熱量だけで走り始めた。
今思えば、かなり怖いもの知らずだった。
企画書がどれだけ大変かも
商業出版がどれだけ難しいかも
AIの提案に埋もれる怖さも
知らなかった。
今の私は、一度企画書を完成させている。
そして以前より、自分の完璧主義を理解している。
どういう時に動けなくなるのか。
どういう時に止まれなくなるのか。
そんな時の自分には、何が必要なのか。
完璧主義を捨てるのではなく、使える形に変えていく。
私は勝手にそれを「動ける完璧主義」と呼び、実践している。

我ながら、けっこういいと思っている。
普通の人の、ジャイアントキリング
私は専門家ではない。
特別な肩書があるわけでもない。
輝かしい経歴もない。
そこら辺にいる普通の人だと思いたい。
そんな私がAIと一緒に考えてきた、完璧主義4タイプ+混合型。
「60点でいい」と言われても刺さらない人。
意味は分かる。
正しいことも分かる。
でも、それでも動けない人。
動き始めたら止まれない人。
不安ばかり大きくなる人。
理想ばかり追いかけてしまう人。
そういう人が、自分の完璧主義の傾向を、一つの特性として俯瞰できるようになって、
「完璧主義って、そんなに悪いものでもないかも」
その先で、
「むしろ、これ、強みにできるかも」
くらいまで思える本を作りたい。
完璧主義の見え方を、ちょっとひっくり返してみたい。
相手は大きい。こちらは普通。
ジャイアントキリングの条件だけは、そろっている。

表現はふざけているが、本気である。
動ける完璧主義もAIも、私も、まだ途中
とはいえ、私の完璧主義そのものが消えたわけではない。
準備ばかりですぐには動かず、始めたら止まらない。
その仕様は、今のところ健在である。
ただ、以前と少し違うのは、
その自分を横から見ているもう1人の自分もいることだ。
最初の頃、もう1人の自分が言うことは単純だった。
「そろそろ止めよう」
「それ、今日じゃなくてもよくない?」
「続きは明日やればいい」
とにかく、手を止めるための声だった。
でも、noteで発信を続け、
「ちゃんとしなきゃ」のシリーズを最後まで書き切った今、
その声のレパートリーはかなり増えた。
ただ止めるだけではなく、
「止まっているなら、まず小さく動こう」
「まず完成させて、それから完璧を考えよう」
「今あるよさを壊す前に止めよう」
自分でもちゃんと納得できる理由をつけて、次に何をするかを選べることが増えた。
毎回うまくいくわけではない。
聞こえているのに、無視して続けることも普通にある。
それでも、以前より制作の効率は上がったと思う。
俗にいう、当社比ですけど。

AIも日々進化している。
AIが変われば、こちらも使い方を調整しなければならない。
そして私の完璧主義も、
「動ける完璧主義」として、これからもアップデートしていく。
ただし、この両者がいつも都合よく、ばっちり同じタイミングで進化してくれるわけではない。
きっと、また何か起こる。
AIと話しすぎるかもしれない。
余計なところを調べ始めるかもしれない。
また「思ってたんと違う」が生まれるかもしれない。
でも、そこから何かが生まれる。
ネタになって、記事になって、ときには企画の種になる。
無駄な迷走は減らしたい。
でも、予定外の寄り道まで全部なくしたいわけではない。
一周目の初々しい私は、もういない。
その代わり、この10カ月、失敗し、寄り道し、
そのたびに何かを拾ってきた私がいる。
手ぶらではない。
どちらかと言えば、拾いすぎている。
二周目は、選ぶところから始める。

拾いすぎた分は、また記事のネタにすればいい。
続きは、次の制作ログで。
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