結局、使い捨てカメラと旅はどうだったのか
先日、自転車旅のお供として連れ出した使い捨てカメラ。
少し私なりに感じた話をしてみたいと思います。
*
まず現実的なお金の話から。
カメラ本体と現像代を合わせて、4,820円でした。
27枚撮りなので、1枚約185円の計算になります。
最近では現像はデジタルデータ化も可能で、だいたい200万画素程度なんだそうです。
今のスマホなら、指一つで4000万画素近いクリアな景色が無尽蔵に切り取れる時代です。
5,000円近く払って粗い絵を買うというのは、少しどうかと思うところ。合理性やコストパフォーマンスの物差しで測れば、まったくもって割に合わない、ようにみえます。
しかしです。
そうして手に入れることができる写真には、不思議な魅力があります。


最初はなんとなく手に取った「写ルンです」。
別になんの考えもありません、ただ、楽しそうだなと感じただけです。
でも、スマホでは得られぬこの味。
これを高いととるか、安いととるかは人によるでしょう。
でもです。
いざ使ってみると、この味以外にも得られたものがありました。
それは、
「撮る」という体験はノイズにもなっていた
ということを知れたことです。

たとえば、一眼レフを持っていると、ふとした瞬間に自分の意識が「今ここ」から離れていることに気づくことがたまにあります。
すみません、正確に言うなら、「あったということに気づいた」ということです。
被写体を探したり、光の具合を見たり、構図を意識したり。
そんな大層な思想で撮影しているわけではないですが、それでもある程度は考えていたりします。
無尽蔵にシャッターを切れるという自由は、実は私の脳の思考リソースを絶え間なく使い続けていたようです。
「もっと綺麗に」「もっと良い角度で」
その思考が頭を占拠した結果、目の前を吹き抜ける風の冷たさや、土の匂いや、肌にまとわりつく湿度── その土地でしか得られないものの記憶が、どんどん薄まっていく。
記録することに気を取られ、肝心の「体験」という手ざわりを失っていく、そんなイメージ。

実際には、そんなことはないと思っていました。
別にカメラを持っていてもちゃんと体験している──
そう思っていたのですが、カメラが変わって気づきました。
使い捨てカメラは、思考の邪魔をしないのです。
手のひらに収まるなんとも頼りないプラスチックの塊。
設定など何もないです。せいぜい、フラッシュの有無ぐらい。
フィルムを「ジージー」回して、ファインダーを覗いてシャッターを押すだけ。
そうすると、頼りない「チャッ」という音が出る。それでおしまいです。
撮影がボタン1つで成立する事実は、言い換えると
「ちゃんと撮らなくていい」
潔く諦めることができる。今まではあり得なかった体験です。
そうやって諦めたことで気づいたことがあります。
撮影に向けられていた思考のスイッチが、旅の空気を身体で味わうための回路に切り替わる。
不自由だからこそ、自分が今いる世界の輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。
それは、今回の旅で得られた最も貴重な感覚です。

そもそも枚数制限や画質は本当に不便なのか。
使い捨てカメラはその機能が退化したわけではありません、ただそこにあり続けただけです。昔は普通に使っていましたし。
変わったのは世の中の方、ですよね。
最近ではどんどん加速していっています。
この時代の中で使い捨てカメラを使う。
すると、当時のスピード感に強制的に戻ることができる。
まるで水量を調整する堰のような…多分、不便なのではなく、その時代の流れに戻れる、が正解なんだと思う。

では、これからの自転車旅はすべて「使い捨てカメラ」で行くのかと問われれば、答えは「否」です。
次回もきっと、私は一眼レフを持って走り出すと思います。
なぜなら、自転車という乗り物が連れて行ってくれる世界は、常に不確定要素に満ちているからです。
つまり、脱線が多い。
その不意な寄り道で素晴らしい景色に出会うことも少なくありません。
その出会いに対して「残り枚数」を気にしたり、よりよい形で残せないということでブレーキを引くのをためらうのは、私のスタイルには少し馴染みませんでした。
というより、どっちがよいではなく、その旅の目的に合わせて選ぶ、という方がいいでしょうか。

指が写った写真。
デジタルカメラで撮るとサラっと省く対象になる写真ですが、使い捨てカメラだとこういうのも一つの味になる。
*
あとひとつ。
使い捨てカメラが見せてくれたのは、スマホでは出せない味のある画質だけではありません。
単純に持っていて楽しい、撮って楽しいです。
これは間違いない。
あのフォルム、重さ、ファインダーを覗いた時の、本当にこの画角なのか怪しい感、現像されるまでのソワソワ。
その体験こそが本質だったりするかもしれません。
昔は普通だったのに、久々に使うと新鮮に感じる…非常に不思議です。
今でも売られ続けている理由がわかる気がします。

ひたすらに走りに徹したい日や、脳のノイズを少しだけ黙らせたい日。
そんな時はまた、あの頼りない「チャッ」という音をポケットに忍ばせて、走りだしてみるのも悪くない。そう思っています。
MIYAKOIKI
↓そんな旅の話はこちら
