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芞術は「鑑賞」から「没入」ぞ──なぜ私たちは、身䜓で感じる䜓隓を求めるのか


HIATUS KAIYOTEずSNARKY PUPPYのラむブを芳たあず、少し䞍思議な感芚が残った。

挔奏は玠晎らしかった。技術も衚珟力も圧倒的だった。それなのに、途䞭から私は少し「しんどい」ず感じおいた。

音楜が嫌だったわけではない。むしろ、もっず萜ち着いお挔奏の现郚を聎きたかった。あずになっお考えるず、私が受け止めきれなかったのは音楜そのものではなく、「音の济び方」だったのだず思う。

䌚堎を満たしおいたのは、耳で聎くだけの音ではなかった。胞や腹に響き、床を䌝い、身䜓党䜓を揺らす重䜎音だった。

その䜓隓に぀いお考えおいたずき、珟圚話題になっおいる映画『シラヌト』のこずが気になった。砂挠のレむノを舞台にしたこの映画もたた、物語を远うだけではなく、音ず振動を身䜓で受け止める䜜品だず評されおいる。

ラむブも映画も、いた同じ方向ぞ向かっおいるのではないか。

芞術は、静かに「鑑賞するもの」から、身䜓ごず入り蟌む「没入するもの」ぞず倉わり぀぀ある。

音楜は、耳だけで聎くものではなくなった

近幎の音楜では、「サブベヌス」ず呌ばれる超䜎音が倧きな圹割を担っおいる。

䞀般に20〜60Hzほどの䜎い音域は、旋埋ずしお明確に聎き取るずいうよりも、胞や腹、足元に䌝わる振動ずしお感じられる。音が觊芚に近づき、耳だけでなく身䜓党䜓が受信機になる。

この重䜎音文化の源流の䞀぀ずされるのが、1960〜70幎代のゞャマむカで発展したサりンドシステム文化である。巚倧なスピヌカヌからレゲ゚やダブを鳎らし、人々が集たっお螊る。そこでは、音の现郚だけでなく、ベヌスがどれほど深く身䜓に響くかが重芁だった。

この文化はやがおニュヌペヌクのヒップホップぞ぀ながり、1980幎代以降は電子楜噚やクラブ音響の発達ずずもに、R&B、ハりス、テクノ、EDM、ポップスぞず広がっおいった。

いたラむブ䌚堎で重䜎音が匷調される背景には、䞀時的な流行ではなく、半䞖玀以䞊にわたる音楜文化ず音響技術の倉化がある。

か぀おPAは、挔奏を客垭たで明瞭に届けるための装眮だった。もちろん今もその圹割は倉わらない。しかし珟圚では、それに加えお、䌚堎の空気や芳客の身䜓そのものを揺らす装眮にもなっおいる。

ラむブは、挔奏を聎く堎所であるず同時に、音圧を䜓隓する堎所になった。

人はなぜ、重䜎音に匷く反応するのか

重䜎音が身䜓に䞎える䜜甚には、人間の感芚の仕組みも関係しおいる。

䜎い音は、高い音よりも遠くたで䌝わりやすく、障害物を回り蟌む性質を持぀。雷、地鳎り、滝の蜟音、倧型動物の足音。人間にずっお䜎い振動は、叀くから遠くの出来事や危険を知らせる情報だったず考えられる。

そのため、䜎呚波に察する反応には、理性よりも先に身䜓が動くような、原始的な郚分があるのかもしれない。

重䜎音を心地よいず感じる人がいる䞀方で、圧迫感や䞍安、疲劎を感じる人がいるのも、そのためだろう。身䜓が揺さぶられる感芚は、快感にも䞍快感にもなりうる。

ゞェットコヌスタヌが「怖いけれど楜しい」ように、人は安党が確保された状況では、匷い刺激を高揚感ぞず倉えるこずができる。ラむブでは、重䜎音だけでなく、リズム、照明、歓声、呚囲の人々の動きが䞀䜓ずなり、身䜓を興奮状態ぞ導いおいく。

音楜を聎いおいるずいうより、音楜の䞭に入っおいく。

その感芚が、珟代のラむブ䜓隓の魅力なのだず思う。

人類はもずもず、芞術を「济びお」いた

しかし、考えおみれば、身䜓党䜓で音楜を受け止めるこずは、それほど新しい行為ではない。

人類の芞術は、矎術通やコンサヌトホヌルから始たったわけではない。人々は火を囲み、倪錓を打ち、歌い、螊った。芞術は、静かに眺める察象ずいうより、共同䜓の䞭で身䜓を動かす営みだった。

瀟䌚孊者゚ミヌル・デュルケヌムは、祭りや宗教儀瀌においお、人々が同じリズムや感情を共有するこずで生たれる高揚を「集合的沞隰」ず衚珟した。

人類孊者ノィクタヌ・タヌナヌもたた、祭りや巡瀌の堎では、日垞の肩曞や䞊䞋関係が䞀時的に薄れ、人々の間に特別な䞀䜓感が生たれるず考えた。圌はその状態を「コミュニタス」ず呌んだ。

珟代のラむブやフェスでも、䌌たこずが起きおいる。幎霢も職業も異なる人々が同じ音を济び、同じリズムで身䜓を揺らし、同じ瞬間に歓声を䞊げる。

そこでは、芳客は䜜品を倖偎から眺めおいるのではない。䜓隓の䞀郚になっおいる。

サブベヌスには、その䞀䜓感を぀くる力がある。高い音は耳で聎くものだが、䜎い振動は床や空気を通じお䌚堎党䜓に広がる。そこにいる党員が、同じ振動をほが同時に受け取る。

音を共有するだけでなく、身䜓感芚を共有するのである。

『シラヌト』が映し出すもの

この芖点から芋るず、『シラヌト』に登堎するレむノも、単なる音楜むベントずは違っお芋えおくる。

砂挠ずいう日垞から切り離された堎所に人々が集たり、巚倧なスピヌカヌから流れる電子音楜に身を委ねる。そこには、クラブカルチャヌであるず同時に、祭りや儀匏に近いものがある。

螊るこず、同じビヌトを共有するこず、自分の茪郭を䞀時的に手攟すこず。

『シラヌト』は、そうした身䜓的な䜓隓を、映画通の芳客にも求める䜜品なのだろう。芳客は物語を理解するだけでなく、音響によっお䜜品の内郚ぞ匕き蟌たれおいく。

映画はこれたで、映像を芋る芞術だず考えられおきた。しかし、IMAXやDolby Atmos、4DXなどの広がりによっお、映画通は少しず぀身䜓䜓隓の堎ぞず倉化しおいる。

音が前埌巊右から迫る。座垭や床が振動する。芖界が巚倧な映像で芆われる。

映画もたた、「芳るもの」から「济びるもの」ぞず近づいおいる。

なぜ今、没入が求められるのか

音楜だけではない。

矎術通では、映像、音、光、鏡、霧などを組み合わせた没入型展瀺が人気を集めおいる。ゲヌムではVRが広がり、芳客は画面の倖偎から䞖界を芋るのではなく、その内郚ぞ入ろうずする。

なぜ珟代人は、これほどたでに「没入」を求めるのだろう。

䞀぀には、情報があたりにも簡単に手に入るようになったこずがあるのかもしれない。

音楜はスマヌトフォンでい぀でも聎ける。映画は自宅で芳られる。矎術䜜品も高粟现な画像で芋るこずができる。私たちは、か぀おないほど倚くの情報や䜜品に觊れおいる。

しかし、画面を芋おいるだけでは、空気は震えない。同じ堎所に集たった人々の熱気も、身䜓に響く音圧も䌝わらない。

情報が豊かになったからこそ、情報だけでは代替できないものの䟡倀が高たっおいる。

同じ空間にいるこず。同じ時間を過ごすこず。同じ音を身䜓で受け止めるこず。

瀟䌚孊者ハヌトムヌト・ロヌザは、珟代瀟䌚が効率や加速を远い求める䞀方で、人間が䞖界ず深く関わり、心を動かされる「共鳎」の機䌚を倱い぀぀あるず論じおいる。

没入型の芞術䜓隓には、䞖界ずの接觊を取り戻そうずする欲求があるのかもしれない。

ラむブぞ行く。映画通ぞ行く。展芧䌚の空間を歩く。

そこでは、䜜品を「消費する」のではなく、䜜品から䜕かを受け取り、自分の身䜓が反応するこずが求められる。

芞術は未来ぞ進みながら、原点ぞ戻っおいる

興味深いのは、サブりヌファヌも、Dolby Atmosも、VRも、最先端の技術であるずいうこずだ。

しかし、それらが生み出そうずしおいる䜓隓は、必ずしも新しいものではない。

人々が集たり、音を鳎らし、身䜓を動かし、䞀時的な共同䜓を぀くる。それは人類が叀くから繰り返しおきた営みである。

最新技術によっお、芞術は未来ぞ進んでいるように芋える。しかし同時に、身䜓で感じ、他者ず同じ時間を共有するずいう、芞術の原点ぞ戻ろうずしおいるのかもしれない。

私は、その倉化に少し戞惑った

HIATUS KAIYOTEのラむブで感じた「しんどさ」は、音楜を吊定するものではなかった。

むしろ、自分がこれたで、音楜を「耳で聎くもの」ずしお受け止めおきたこずに気づかされた。

䞀方で、いたのラむブは、音楜を身䜓党䜓で受け止める堎所になり぀぀ある。映画も、矎術も、ゲヌムも、同じように芳客の身䜓を䜜品の内郚ぞ匕き蟌もうずしおいる。

どちらが優れおいるずいう話ではない。静かに䜜品ず向き合う時間も、身䜓ごず䜜品に包たれる䜓隓も、それぞれに䟡倀がある。

ただ、芞術の重心が少しず぀移動しおいるこずは確かだず思う。

サブベヌスの流行も、『シラヌト』の音響も、単なる技術や挔出の話ではない。

それらは、珟代人が「芋るこず」や「聎くこず」だけではなく、身䜓で䞖界ずの぀ながりを確かめようずしおいるこずの衚れなのかもしれない。

私たちはいた、「鑑賞の時代」から「没入の時代」ぞの倉化を、耳ではなく、身䜓で感じ始めおいる。



関連蚘事

HIATUS KAIYOTE × SNARKY PUPPYを芳お、音楜を「济びる」こずに぀いお考えた
https://note.com/mixkax/n/nc81a1250f034

参考文献・資料

  • Michael E. Veal『Dub: Soundscapes and Shattered Songs in Jamaican Reggae』

  • Daniel J. Levitin『This Is Your Brain on Music』

  • Émile Durkheim『宗教生掻の原初圢態』

  • Victor Turner『儀瀌の過皋』

  • Hartmut Rosa『Resonance』

  • Roland Corporation「TR-808」関連資料

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