戦後ゼロ年:1946年2月9日(土)
風船爆弾はドーリットル空襲の復讐
米兵と日本女性のイチィチャ
(2/9/1946、シカゴ・トリビューンより)

風船爆弾ドーリットル空襲への報復
完全な失敗に終わる
ワシントンD.C、2月8日(AP):
日本軍は戦時中、東京へのドーリットル空襲に報復しようと試み、合計9,000個の風船をアメリカ本土に向けて放ったが、実際に北アメリカ大陸に到達した可能性があるのは約900個に過ぎなかった、と陸海軍合同発表が今夜明らかにした。
爆弾および無線装置を搭載した風船の10個中9個は太平洋を横断することができなかった。宣伝手段としても、軍事兵器としても、それらは効果的でなかったと、アメリカ軍部は詳細な調査の後に結論づけた。
アメリカおよびカナダの報道機関およびラジオ局による「極めて完全な」自主検閲により、日本側はこの作戦の結果についての情報―宣伝や国内の士気高揚に必要とされていた情報―を入手することができなかった。
6名が死亡
報告書によれば、「風船爆弾による犠牲者は、オレゴン州で対人爆弾の爆発により死亡した6名である。これらの犠牲者は、おそらく1カ月以上地上にあった爆弾が原因であり、経験のない人々がこの爆弾を扱ったことによる悲劇的な結果である」としている。

【参考】風船爆弾
シカゴの米兵、日本の“サンバレー”で休養 大いに食べる
(ウォルター・シモンズ特派員)
長野、2月8日:
イリノイ州シカゴのウェスト・スペリオル通り1635番地在住のレナード・ポドゴルスキーは、菓子の載った盆を慎重に調べ、クリーム入りのいかにもおいしそうな一切れを選んだ。
「時々だが」と、インディアナ州ローズローン出身で、妻がシカゴのロウ通り5758番地に住むハロルド・ロビンソン曹長に彼は語った。
「陸軍にも良いところがあると思い始めているよ。」
ポドゴルスキーは兵器係、ロビンソンは騎兵隊員である。彼らは、日本の「サンバレー」として知られる志賀高原ホテルで豪華な1週間を過ごしている第8軍の兵士51人のうちの2人であった。
海抜9,000フィート(2743メートル)に位置する志賀高原へは、軍の雪上走行ジープという特別な乗り物でしか到達できない。
東京の北西125マイルにあるこの人里離れた場所を訪れる最良の方法は、シカゴのロウズ通り122番地在住のガーソン・シュレロフ中尉が操縦するような小型砲兵観測機で山を飛び越えることだ。

日本人女性とのいちゃつき「恥」と非難
ロサンゼルス(カリフォルニア州)、2月8日(特電):
最近、日本人女性とアメリカ兵との親密な交際を「不快なもの」と非難していた、シカゴのウィルソン通り5431番地在住のUSOバンド指揮者シャロン・ロジャーズ(21歳)が本日横浜から到着し、この行為は「まったく恥ずべきものだ」と語った。
彼女はインタビューで次のように述べた。
「良くなる前に、もっと悪くなるでしょう。昼も夜も、公園や通り、ナイトクラブなど至る所でいちゃついています。アメリカ式教育を受けた日本人の少女たちでさえ、私たちと同じように嫌悪感を抱いていると言っていました」
シャロンと18人の女性バンド団員は、兵員輸送船ウィリアム・ワイグル将軍号で4,350人の兵士とともに到着した。彼女たちの船は1月20日、本州と九州の間の下関海峡で機関故障により約20分間停止したという。

Swing Shift "All-Girl" Bands of the 1940s

