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戦後ゼロ年:1946年2月15日(金)

ムッソリーニの愛人の元夫、日本で発見
日本女性といちゃつく米兵(続報)

(2/13/1946、シカゴ・トリビューンより)

ムッソリーニの愛人の元夫、日本で発見
結婚はムッソリーニにより無効に

(ウォルター・シモンズ特派員)
日本、2月15日(金):
ムッソリーニ最後の愛人、クラレッタ・ペタッチの元夫が15日、横浜港からウルグアイ号で出航した178名の中立国外交官とその家族の中に含まれていた。
身長が高く、厳しい顔つきのリカルド・フェデリーチ将校が、ミラノのガソリンスタンドで逆さ吊りになって死亡した女性とどのような関係にあったのかは、船が出航する直前まで確認できなかった。その後、彼はその問題について話すことを拒否した。
「全てがあまりにも辛い出来事だった」と彼は語った。「話したくない」

1937年に日本へ
しかし、グループ内の他のイタリア人たちは、ムッソリーニの恋人について気軽に噂話をした。彼らによると、フェデリーチは1937年に軍事オブザーバーとしてムッソリーニによって日本に派遣された。彼の妻はイタリアに残った。彼は少佐から中佐へと急速に昇進し、1942年3月には、アメリカの敗北を嘲笑うためにフィリピンを訪れた枢軸国オブザーバーの一人だった。
その間、ムッソリーニはフェデリーチ夫妻の結婚の無効化を手配し、イタリアの民事裁判所を通じてそれを強行した。妻が自分に合流するのを東京で待っていたこの将校は、その知らせを聞いて神経衰弱に陥った。

クラレッタとリカルド。1934年春、ローマで結婚

(ウィキメディアより)
独裁者の末路

右から3人目がクラレッタ。(ウィキペディアより)


「ほとんどのGIは日本人女性といちゃつかない」(シャロン・ロジャーズ)

日本公演から帰国したシャロン・ロジャーズ楽団
(左から)
前列:
シルヴィア・ロスバウム、ローラ・ダニエルズ、ロイス・ハイズ、シャロン・ロジャーズ、ジー・ジェイ・ボーガン
後列:
フローレンス・シェフテ、シャーロット・デイヴィス、アイリーン・ステック、アイリーン・ステアボー、ジャッキー・ウェバー、ドロシー・サイガン

アメリカ兵と日本人女性との親密な交際(Fraternization)は、派遣されたばかり兵士の間で最も多い、と日本でUSOキャンプ・ショーを巡回した女性バンドのリーダーで、ウィルソン通り5431番地在住の21歳シャロン・ロジャーズは、昨日帰国して語った。
「そういう振る舞いをするヤンキー(米兵)は少数派です」と彼女は言った。
「その多くは新しく到着した兵士です。日本軍と戦闘を経験した兵士たちは、そんなにすぐには打ち解けません
日本人女性と交際する者たちは、人前で「ネッキング(いちゃつくこと)」にふけり、アメリカ人にも日本人にも嫌悪感を与えている、と彼女は付け加えた。
ロジャーズ嬢はここで両親のロランド・ロジャーズ夫妻に迎えられた。彼女とともに帰国し、家族に迎えられた団員は次の通り:
* ロイス・ハイズ(Deming Place 5138)
* ドロシー・サイガン(N. Sawyer Ave. 2628)
* ジャッキー・ウェバー(E. Chestnut St. 190)
* ローラ・メイ・ダニエルズ(Lowell Ave. 4852)
* シルヴィア・ロスバウム(N. Keeler Ave. 4924)
* アイリーン・ステアボー(N. Karlov Ave. 4921)
* フローレンス・シェフテ(S. Gunderson Ave. 2247、ベルウッド)
* アイリーン・ステック(Montana St. 5058)
* ジー・ジェイ・ボーガン(Argyle Ave. 1448)


【参考】シャロン・ロジャーズ

【参考】フラタニゼーション政策
フラタニゼーション(fraternization)とは、
占領軍兵士と被占領国の住民(特に女性)との私的な交際を指す。
日本では1945年の占領開始直後、占領当局はこれを原則禁止した。
政策を主導したのは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)。
占領直後の禁止政策(1945年)
1945年秋、GHQは米兵に対して:
・日本人との私的交際の禁止
・日本人家庭への立ち入り制限
・公共の場での親密行為の禁止
などを指示。
(「Pocket Guide to Japan」、War Department, 1945など)
理由は主に3つ。
・治安維持
敗戦直後の社会不安の中でトラブルを防ぐため。
・占領軍の規律維持
占領軍の威信と軍紀を守るため。
・人種・敵国意識
戦争直後の「敵国民」との関係を避ける意図。
実態:禁止はほぼ守られなかった。
現実には、日本各地で兵士と女性の接触は急速に増えた。

RAA(特殊慰安施設)の設置
日本政府は占領開始直後にRAA(特殊慰安施設協会)
を設立し、占領軍向けの性サービス施設を整備。
これは、
・強姦事件の防止
・一般女性の「保護」
が目的。
1946年にGHQが公娼制度を禁止し、RAAは閉鎖。

1946年以降:事実上の容認へ
理由:
・占領の長期化が明らかになった
・兵士と日本社会の接触が日常化
・規制の実効性が低かった
その結果、フラタニゼーション禁止は徐々に緩和され、事実上黙認されていった。
1947年頃には公式規制はほぼ消滅。

社会問題化
当時の日本社会では、
・パンパンと呼ばれた女性
・混血児(GIベビー)
・貧困と性労働
・女性の生存戦略
などと結びつき、大きな社会問題とった。
一方で、結婚も増える。
1950年代までに、
・数千組の日米結婚
・多数のGIベビー
が記録されている。



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