しまわれていた時間
息子がまだ小さかった頃、ムーミンの目覚まし時計を買った。
結局は私が起こしてしまい、あまり使われないままクローゼットにしまわれた。
もう五年ほどになる。
ところが最近になって、息子が「朝の時間を自分で使いたいから早く起きたい」と言い出した。
そこで引っ張り出されたのが、その目覚まし時計だった。
いまのところ、目覚ましの存在を意識しているのか、アラームが鳴る前に自分で目を覚ましている。
それでも、目覚まし時計は確かに役目を果たしている。五年越しに日の目を見たのだった。
ある朝、その時計を見ながら息子が言った。
「お母さん、ムーミン好きなの?」
その言葉を聞いて、一緒にムーミンのアニメを見ていた頃の時間を思い出した。
目覚まし時計ひとつから、しまわれていた時間まで出てきたような気がした。
そういえば、売ろうと思いながら段ボールに入れたままになっていた本がある。
目覚まし時計を探していたとき、久しぶりにその箱を開けた。
すると、その中に今まさにZINEづくりの参考になりそうなデザインの本が混ざっていた。
あのとき手放さなくてよかったと思った。
役目を終えたように見えるものでも、そうではないことがある。
喧嘩の果てに、途中で終わったように見えたものもあった。
昨年、息子はカブトガニに興味を持っていた。
せっかくだからと、夏休みの工作でカブトガニの模型を作ることを私が勧めた。
けれど本人は乗り気ではなく、大喧嘩になった。
結局、その興味はそこで終わったように見えた。
ところが最近、カブトガニを研究されている先生のお話を聞く機会があった。
そのとき息子は、自分からメモを取っていた。
*
部屋の整理をしていると、つい「いま使っているかどうか」で物を見てしまう。
それに「いつか使うかも」と物をずっと置いておくのは、本当は少し苦手だ。
だから手放したくなる。
けれど、減らすことが正解とも思えない。
残しておくことで見えてくるものもある気がする。
いつか意味があるのかは、すぐにはわからない。
だから難しい。
子どものことも、少し似ている。
興味は移り変わる。
夢中になっていたものから離れてしまうこともある。
だからつい、この経験は何かにつながるのだろうかと思ってしまう。
続くのだろうか。
身につくのだろうか。
将来、役に立つのだろうか。
その答えはすぐにはわからない。
けれど、夢中になっていた時間までが、なくなるわけではない。
いまは使われていないもの。
離れてしまった興味。
役目を終えたように見えるもの。
それらはどこかで静かに残り続けている。
目覚まし時計を見ていると、本当に終わったと言い切れるものは案外少ないのかもしれない。
五年前にしまった時計が、そう教えてくれている気がした。
*お知らせ
7/5〜8/23まで、ニュー銀座堂(岐阜市柳ヶ瀬)で開催されるZINE展に委託参加しています。
私のZINEも置いていただいています。
たくさんの作り手のZINEが並ぶイベントなので、お近くへ行かれる機会がありましたら、ぜひのぞいてみてください。



▽ 理由がない、が理由。
