2匹の猫を看取って、初めて分かったこと【前編】
うちには今まで4匹の猫がいて、
そのうち2匹、
モカくん(7歳で急性腎不全になり11歳で他界)
メルちゃん(14歳で扁平上皮癌になり安楽死)を
看取りました。
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2匹とも大切な家族だったけど、
看取り方も、その後の気持ちの動き方も、
正直かなり違いました。
今回はその2つの経験を振り返りながら、
「猫を看取るということ」について、
思ったままを書いてみようと思います。
① それぞれの最期
モカくんは腎不全の末期でした。
4年も前から分かっていた病気で、
皮下点滴を続けながら、
最期の年は少しずつ弱っていくのを
見守ってきました。
だからある程度、
「その時が近づいている」
と覚悟はできていたと思います。
一方メルちゃんは、ちょっと違いました。
お腹はまだぷにぷにしていて、
身体自体に大きな問題はなかった。
でも食べられない、飲めない状態が続いていて、「このままでは長生きできない」という状況でした。
身体は元気そうに見えるのに、
栄養が摂れない…。
大好きなお水を飲みたいのに
口腔内にできた癌のせいで痛くて飲めない、
ご飯も食べれない……
このギャップが後から考えると
すごく苦しいポイントだったなと思います。
モカくんは自然な形での看取り、
メルちゃんは安楽死という選択。
同じ「看取る」でも、
プロセスがまったく違いました。
② 看取った瞬間、そのあとの自分
モカくんを看取ったのは早朝でした。
そのまま学校に行きました。
今思うと変な話ですが、
当時は何も考えられなくて、何もしたくなくて、
ただ身体を動かして日常をこなすことしかできなかったんだと思います。
悲しみというより、
放心状態に近かったかもしれません。
メルちゃんの安楽死のときは、
とにかく泣きました。号泣でした。
安楽死という選択をしたこと自体が
「自分が殺したんじゃないか」
という感覚とセットになって、
ずっと頭から離れなかった。
「もっと早く何かできたんじゃないか」
という後悔も強くありました。
安楽死で死んだメルちゃんのあの瞬間、
自分の無力さを思い知らされた気がします。
2匹とも同じくらい大切だったのに、
看取り方が違うと、自分の反応もこんなに違うんだと、今振り返って改めて感じました。
次回は後編を投稿いたします!
ここまで読んでくださりありがとうございます!
