【人物名の謎⑤】血まみれの女王と従兄弟たちの世界大戦〜William・George・Mary編〜
こんにちは! ただの医学生です。
世界史の教科書に潜む「名前のトラップ」を紐解くシリーズ、ついに最終回の第5回です。
これまで4回にわたり、チャールズ、ヘンリ、ジョン、ピーター、ルイ、ジェームズといった名前が、ヨーロッパ中で姿を変えながら歴史を動かしていく様子を見てきました。
最終回となる今回は、第4回の終盤でイギリス王朝の危機に登場した3つの名前、「William(ウィリアム)」「George(ジョージ)」「Mary(メアリー)」にスポットを当て、壮大な歴史の伏線を回収していきましょう!
海を渡って王になった男たち〜ウィリアム、ギヨーム、ヴィルヘルム〜
まずは、前回解説した、名誉革命の際にオランダからイギリス国王として迎え入れられたオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)でおなじみの名前、「William」です。
英語:William(ウィリアム)
ドイツ語:Wilhelm(ヴィルヘルム)
オランダ語:Willem(ウィレム)
フランス語:Guillaume(ギヨーム)
実は、海を渡ってイギリス国王になった「ウィリアム」は、オランダのウィレムだけではありません。イギリスの歴史を根本から変えた、もう一人の超重要人物がいます。
それが、1066年に「ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)」を成し遂げたノルマンディー公ギヨームです。
彼はもともと、フランス北部のノルマンディー地方を支配するヴァイキングの末裔でした。
フランス語圏にいたため「ギヨーム」と呼ばれていましたが、海を渡ってイングランドを征服し、新たな王朝(ノルマン朝)を開くと、英語名であるウィリアム1世(征服王)を名乗るようになります。
現在まで続くイギリス王室の直接のルーツは、実はこのフランスからやってきた「ギヨーム」なのです。

彼によるノルマン・コンクエストが、英語の歴史に深く影響を与えたことは、こちらの記事で解説しました。
一方、この名前がドイツ語圏に入ると「ヴィルヘルム」になります。
19世紀後半、普仏戦争でフランスを完膚なきまでに打ち破り、ドイツ帝国を統一した初代皇帝ヴィルヘルム1世。
彼らはなんと、敵国フランスの絶対王政の象徴であるヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」で、堂々とドイツ帝国成立の宣言を行いました。
フランスに最大の屈辱を与えて誕生したこの帝国において、実質的にドイツを操っていたのは「鉄血宰相」ことビスマルクでした。

フランスのプライドを踏みにじっているようなものですね(笑)
フランスの復讐を警戒したビスマルクは徹底的にフランスを封じ込めます。
名相ビスマルク、彼がいる限りフランスは完全に抑え込まれます。
そう、彼がいる限り…
彼の外交方針は徹底した「フランスの孤立化」と「勢力均衡」です。
普仏戦争で負かしたフランスが復讐してこないよう、見事な外交網(ビスマルク体制)を築き上げます。
たとえば、フランスが北アフリカのチュニジアを併合すると、それに激怒したイタリアをすかさず引き入れて同盟(三国同盟)を結びました。
さらに、東のロシアとは極秘の「再保障条約」を結んで背後を固め、イギリスとも政略結婚(ヴィルヘルム1世の息子がヴィクトリア女王の娘と結婚)を通じて良好な関係を保ちました。
また、ビスマルクは自ら「誠実な仲介人」を名乗り、2度にわたるベルリン会議(1878年のバルカン半島問題、1884年のアフリカ分割)を主催してヨーロッパ全体のバランスをコントロール。
ヴィルヘルム1世とビスマルクのコンビは、まさにヨーロッパ外交の支配者でした。
しかし、ヴィルヘルム1世の孫、ヴィルヘルム2世が即位すると事態は一変します。
若く血気盛んなヴィルヘルム2世は、慎重派で年上のビスマルクと激しく対立(不仲)し、ついに彼を辞めさせてしまいます。

ビスマルクの引退を描いた挿絵です。
彼があと少し生きていれば、第一次世界大戦は起こらなかったかもしれません。
ビスマルクの精緻なパズルを壊したヴィルヘルム2世は、ドイツを中心とするゲルマン民族の拡大を目指す「パンゲルマン主義」や、アジア人の台頭を脅威と煽る「黄禍論」を唱え、軍事力を背景にした攻撃的な世界政策へと舵を切りました。

この暴走によって、ロシアの再保障条約は更新されず、イギリスもドイツを警戒して離れてしまい、彼らは逆にフランスと結びついてしまいます。
その結果、ドイツは完全に包囲され、第一次世界大戦という破滅へと突き進んでいくのです。
まさに、近代ドイツの栄光と没落の歴史を象徴する、重厚な名前ですね。
「ウィリー」「ジョージー」「ニッキー」〜従兄弟たちの悲劇〜
ここで、第一次世界大戦へと突き進んだヴィルヘルム2世に関連して、ヨーロッパ王室の「親戚関係」がもたらした最大の悲劇に触れておきましょう。
実は、第一次世界大戦で敵味方に分かれて死闘を繰り広げた主要国の君主たち;ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、イギリス国王ジョージ5世、そしてロシア皇帝ニコライ2世は、全員が「いとこ同士」などの極めて近い親戚関係にありました。
ヴィルヘルム2世とジョージ5世は、ともにイギリスのヴィクトリア女王の孫です。
そして、ジョージ5世とニコライ2世は、母親同士がデンマーク王室の姉妹であり、写真で見分けるのが困難なほど双子のようにそっくりな顔をしていました。

似すぎてます…

こちらもそっくりです。
(Bundesarchiv, Bild 183-R43302 / CC-BY-SA 3.0, via Wikimedia commons)
彼らは個人的な手紙のやり取りにおいて、お互いを「ウィリー(Willy)」「ジョージー(Georgie)」「ニッキー(Nicky)」という愛称で呼び合うほど親密だったのです。
しかし、国家の利害と複雑な同盟関係は、この親しい関係を無残に引き裂きました。
ヴィルヘルム2世(ウィリー)の暴走によって始まった第一次世界大戦は、愛称で呼び合っていた従兄弟同士が数百万の将兵を殺し合う「史上最大の兄弟喧嘩」となってしまったのです。
結果として、ヴィルヘルム2世は亡命してドイツ帝国は崩壊。
ニコライ2世はロシア革命によって一家もろとも処刑されるという凄惨な最期を遂げました。
ジョージ5世率いるイギリスは戦勝国となったものの、この戦争を機にヨーロッパの「王様たちの時代」は事実上の終焉を迎えることになります。
「君臨すれども統治せず」の裏事情〜ジョージ、ゲオルク、ユーリ〜
続いては、スチュワート朝が断絶したのち、ドイツのハノーヴァー家から迎え入れられてイギリス国王となったゲオルク(ジョージ1世)のルーツ、「George」の変遷です。
英語:George(ジョージ)
ドイツ語:Georg(ゲオルク)
フランス語:Georges(ジョルジュ)
ロシア語:Yuri(ユーリ)
ドイツの田舎(ハノーヴァー選帝侯)から、いきなり大国イギリスの国王として迎えられたジョージ1世ですが、彼には大きな問題がありました。
なんと、英語がまったく話せなかったのです。
言葉が通じないため、イギリスの政治会議(閣議)に出席してもチンプンカンプン。
退屈したジョージ1世は、「政治のことはお前たちで勝手に話し合って決めてくれ」と、会議に出るのをやめてしまいます。
この時、王の代わりに会議を取り仕切ったウォルポールという人物が「初代イギリス首相」となり、現在の議院内閣制の基礎が作られました。

王様はトップとして君臨するけれど、実際の政治(統治)は議会と内閣に任せる。
現在のイギリス王室や日本の天皇制にも通じる「君臨すれども統治せず」という素晴らしい民主主義の伝統は、「ドイツから来たゲオルクが英語を話せなかったから」という、なんとも人間臭い理由から始まっていたのです。
さらに、この時代、ハノーヴァー家に仕えていたとある音楽家も主人と共にイギリスにわたってきます。
このため、ドイツ人ですがイギリスの宮廷音楽家になったバロック音楽の代表的な人物、誰だかわかりますか?

特大ヒントは「音楽の母」と呼ばれている人です。
George Frideric Handelです!
英語読みでは、ジョージ・フレデリック・ハンドルです。
一方、ドイツ語読みでは当然、「ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel)」になります!
日本でも、「ヘンデル」と呼ばれていますね。
代表曲は授賞式で定番の「見よ、勇者は帰る」。
この曲も、なぜこの題名かを深掘りすると聖書にたどり着きます。
ここでは詳しく触れませんが、やはり西洋文化は絵画にしろ音楽にしろ、聖書や神話の影響を深く受けているのですね。
あるいは、「ハレルヤ」も聞いた方が多いのではないでしょうか。
ヘブライ語で「主を賛美せよ」という意味です。
結局聖書ですね(笑)
ちなみに、この名前がロシア語圏に渡ると「ユーリ」になります。
この名前を持つ有名人が、1961年に人類初の有人宇宙飛行を成功させ、「地球は青かった」という歴史的な名言を残したソ連の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンです。

(Mil.ru, via Wikimedia commons)
英語が話せなかったイギリス国王と、人類で初めて宇宙へ行った英雄が、同じ名前の仲間だったんです!
「聖母マリア」に由来する多くの女王〜メアリー、マリア、マリー〜
最後を飾るのは、ヨーロッパの歴史において最も尊く、そして数々の悲劇を生んできた女性の名前「Mary」です。
英語:Mary(メアリー)
フランス語:Marie(マリー)
スペイン語・ドイツ語・イタリア語:Maria(マリア)
言うまでもなく、この名前のルーツはイエス・キリストの母である「聖母マリア」です。
キリスト教圏において絶対的な崇敬を集める名前であり、各国の王女たちにこぞって名付けられました。
イギリス史に登場する最初の女王が、テューダー朝のメアリー1世です。
第2回の記事を覚えているでしょうか?
スペインのフェリペ2世が最初に政略結婚をした相手、それが彼女です。
彼女は熱狂的なカトリック信者であったため、対立するプロテスタントを次々と火あぶりの刑にして処刑しました。
その容赦ない弾圧から、彼女は「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」と恐れられます。
彼女の名前に由来するカクテルについては、こちらの記事で扱っています。
また、イギリスにはもう一人有名なメアリーがいますね。
スコットランドの女王、メアリー・スチュワートです。
彼女はイングランドの王位継承権を持っていたため、ライバルであるエリザベス1世によって長年幽閉された末、処刑されてしまうという悲劇の最期を遂げました。
そして、この名前がフランス語になると「マリー」になります。
第4回で登場した、フランス革命のギロチンで散った悲劇の王妃マリー・アントワネット。
彼女の母親であり、オーストリア継承戦争を戦い抜いた女帝はマリア・テレジアです。
最も神聖な聖母の名前を受け継いだ彼女たちですが、その人生は血と革命に翻弄された、あまりにも激動のものでした。
名前が繋ぐヨーロッパ史
全5回にわたり、「世界史の人物名の謎」というテーマでヨーロッパの歴史を駆け抜けてきましたが、いかがだったでしょうか。
一見すると複雑で暗記ばかりに思える世界史も、「なんだ、結局親戚同士の争いか」「言語が違うだけで同じ名前だったのか」という視点を持つと、驚くほど物語が立体的になります。
フランスからイギリスを征服しに行ったギヨーム(ウィリアム)も、ドイツからイギリスに呼ばれて「君臨すれども統治せず」の伝統を作ったゲオルク(ジョージ)も、言葉の壁が歴史をダイナミックに動かしてきました。
次に世界史の教科書を開くとき、あるいは美術館でヨーロッパの肖像画を見たときは、ぜひ彼らの「名前のルーツ」に思いを馳せてみてください。
きっと、歴史上の偉人たちが、血の通った人間として生き生きと語りかけてくるはずです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
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