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はしご酒

学生ツアーには、学校の先生の他に保護者が付いてくることがある。

ベッキーは中学校の先生で毎年のように日本に生徒を連れてきていた。
ベッキーは若いころ日本に住んでいた事があって、少し日本語を話す。
ベジタリアンで食事はちょっと難しいけど、私たちは二人ともお酒を飲むのが好きで、すぐに意気投合した。

ベッキーの連れてくる生徒たちは年齢が低いので、付き添いの保護者の数が多い。だから、夜の点呼をしなくていい。

私たちは夕食の後、子供を保護者に任せて飲みに行く。
私はベッキーに「はしご」という言葉を教えた。

京都の先斗町に好きなお茶屋さんがあった。お茶屋と言っても、本当にお茶を飲むところ。玉露、煎茶、抹茶など。当時は今のような抹茶ブームではなかったから、このお茶屋さんはとても貴重な場所だった。

ご夫妻でやっている小さなお店で、奥様がおばんざいを作ってメニューに載せている。だから、私は、お茶じゃなくてお酒とおばんざいを頂くためにその店に行く。

その夜は、ベッキーともう一人若い女の先生と3人で、夕食後にそのお店に行った。店には、常連と思われる日本人のグループがいた。新内流の会が終わった後に寄ったようだった。

今では京都のどこのお店にも外国人がいるが、当時は珍しく、新内さんがせっかくだからと言って一曲歌ってくれた。すると、私の連れの女性教師がお礼にと言って歌を歌ったのだ。そう、その先生、音楽の先生だったの!
日米歌合戦になって、お店のご主人は鼻笛を持ち出し披露したり、それはそれは大盛り上がりした。

最後に訪れたのは広島。初日は原爆資料館と平和記念公園、2日目は宮島を観光した。ベッキーは宮島が大好きで、子供たちと一緒に弥山に登るため、宮島ではゆっくり時間を取った。

最後の夜、夕食の後、もうお別れだからと先生方や保護者の方々と7、8名で2軒「はしご」した。そしたら、どこも閉店時間になり3軒目が見つからなかった。だけど名残惜しかったので、コンビニで缶ビールを買って平和記念公園に向かった。

ちょうどその時、雨が降り出した。原爆資料館の下で雨宿りしながら乾杯した。アメリカ人と日本人が車座になって、雨の音を聞きながら遠くにライトアップされた原爆ドームを見る。
ビールが苦手な私は、缶ビールを全部飲み干すことはできなかった。

京都のお茶屋のご主人は「あの夜は本当に楽しかったですなぁ」と、お店を訪れるたびに言ってくれた。そして、どんなに盛り上がったか、その夜の話を常連さんにする。

コロナ禍、そのお店は閉店した。

ベッキーとは今でもFBで繋がっている。来日するときは必ず連絡をくれる。予定さえ合えば、私はベッキーに会いに行く。

原爆資料館の建物の下を通ると今でも思い出す。
雨の音しかしない夜、車座になったこと。

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