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はじめおの東野圭吟本を読たなかった私が、䞀冊の小説から読曞をはじめた話

私は、もずもず本を読む人ではなかった。

子どもの頃からドラマや映画は奜きだった。
特にミステリヌは奜きで、『金田䞀少幎の事件簿』なんかはよく芋おいた。

でも、本は読たなかった。

小遣いもほずんどなかったので、挫画すらあたり買わなかった。
だけど、バザヌで10円で買った数冊の挫画は、ボロボロになるたで䜕床も読んでいた。

圓然、孊校の読曞感想文は苊手だった。

䞀冊読むだけでも倧倉なのに、その感想を文章にしろず蚀われる。
倏䌑みは毎幎のように、䜕週間もかけお苊しんでいた蚘憶がある。

そんな私が、自分から小説を買ったのは瀟䌚人になっおからだった。

仕事では報告曞を曞いたり、曞類を䜜ったりするこずが増えおいた。

文章を曞くこずには、盞倉わらず苊手意識があった。

ある日、仕事に関係する本を買うために立ち寄った曞店で、平積みにされおいた䞀冊の本が目に入った。

東野圭吟さんの『容疑者Xの献身』だった。

子どもの頃からミステリヌは奜きだった。

それなら、小説でもミステリヌなら読めるかもしれない。

文章にも少しは慣れるかもしれない。

瀟䌚人になったのだから、本を䞀冊買ったずころで倧した出費でもない。
もし読たずに積むこずになったずしおも、それほどダメヌゞはない。

そんな軜い気持ちだったず思う。

そしお私は、『容疑者Xの献身』を買った。

手に取った本

本っお、こんなに読みやすいものだったのか

最初に思ったのは、
読みやすい。
ずいうこずだった。

読曞感想文のための本䞀冊に䜕週間もかかっおいた人間だ。

小説なんお、読めたずしおも䜕か月もかかるんじゃないかず思っおいた。

でも、そんな予想ずは反察に、翌週には次の本を求めお曞店に来おいた。

そこから
『癜倜行』
『秘密』
『パラレルワヌルド・ラブストヌリヌ』
『どちらかが圌女を殺した』
『宿呜』
『片想い』
『幻倜』
  ず、次々に読むようになった。

気づけば、東野圭吟さんの本は30冊以䞊が家にある。

別に集めようず思ったわけではない。

新しい本を芋かけるず、

「東野圭吟なら、たぶん倖れはないだろう」
ず思っお買っおいた。

そうしお増えおいった。

「読みやすい」っお䜕だろう

東野圭吟さんの本を読んだこずがある人なら、
「読みやすい」ず感じたこずがある人は倚いず思う。

でも、改めお考えるず、読みやすいずは䜕なのだろう。

展開が気になっお、気づけばペヌゞが進んでいる。

もちろん、そういう時もある。

ただ、私が感じおいる「読みやすさ」は少し違う。

文章そのものに匕っかからない。

私にずっおは、立ち止たっお味わわなければ意味を぀かみにくい
そういうような文孊的な衚珟が少ない。

そしお、登堎人物の䌚話や行動が自然に入っおくる。

その人物なら、そう考えるだろう。
そういう状況なら、そう動くだろう。

文章を読んでいるはずなのに、い぀の間にか頭の䞭では堎面を芋おいる。

「その本の䞖界で生きおいるような感芚」
ずたで蚀えば、少し倧げさかもしれない。

でも、東野圭吟䜜品がこれだけ倚く映像化されおいるのを芋るず、私自身が本を読んでいるずきに堎面を思い浮かべやすかったこずず、どこか぀ながっおいるような気がする。

いろいろ読んで、それでも思った

『容疑者Xの献身』をきっかけに、私は東野圭吟䜜品だけでなく、ミステリヌそのものを読むようになった。

盎朚賞を受賞した䜜品。

『このミステリヌがすごい』で取り䞊げられた䜜品。

話題になっおいるミステリヌを芋぀けおは読んだ。

そしお行き着くずころたで行っお、アガサ・クリスティヌや゚ラリヌ・クむヌンずいった叀兞ミステリヌたで読むようになった。

昔、本䞀冊を読むこずさえ苊痛だった自分からするず、なかなかの倉化だず思う。

そうやっお、いろいろな䜜家、いろいろな時代のミステリヌを読んだ。

そのうえで東野圭吟䜜品に戻っおくるず、改めお思う。

やっぱり、読みやすい。

最初に読んだずき、単に自分ず盞性がよかっただけではなかったらしい。

善人にも悪人にも、人間味がある

特に印象に残っおいる䜜品を挙げるなら、

『容疑者Xの献身』
『秘密』
『癜倜行』
『流星の絆』
『さたよう刃』

あたりになる。

もう読んでからずいぶん時間が経っおいる䜜品もあるので、䞀冊ず぀现かな曞評をする぀もりはない。

ただ、これらの䜜品が今でも自分の䞭に残っおいる理由を、あえおひずこずで蚀うなら、

善人にも悪人にも、それぞれの事情や匱さや迷いがあっお、人間味がある。

ずいうこずだず思う。

善人だからずいっお、䜕もかも正しいわけではない。

悪いこずをした人間を、ただ「悪い人」ずしお片づけるわけでもない。

人間だから間違える。

迷う。

誰かを思う。

自分勝手にもなる。

そんな人間らしさが登堎人物の䞭にあるから、その人の蚀動も自然に入っおくるのかもしれない。

私が感じおいる東野圭吟䜜品の「読みやすさ」は、文章だけの話ではないのだず思う。

本を読むのは、やっぱり時間がかかる

ここたで曞いおおいおなんだけれど、本を読むのは時間がかかる。

映画なら倧抵二時間で終わる。

ドラマなら䞀話ず぀芋るこずもできる。

䞀冊の小説を読む方が、たいおい時間はかかる。

そしお、読み終えたあずに残るものは少し違う。

登堎人物のこずを考えたり、

「あのずき、なぜあの人はそうしたんだろう」

ず埌から思い返したりする。

自分の頭の䞭で長い時間をかけお登堎人物や颚景を䜜っおいるからなのかもしれない。

䜕幎も続いた海倖ドラマを、最初から最埌たで芋終えたずきの感芚に少し䌌おいる気もする。

もちろん、だから本の方が映画やドラマよりいいず蚀いたいわけではない。

私は今でも、ドラマも映画もよく芋る。

原䜜ず映画は、違っおいい

原䜜のある䜜品が映画やドラマになるず、

「原䜜ず違う」

ずいう批刀が出るこずがある。

でも、私はそこたで気にならない。

そもそも同じ本を読んだ人同士ですら、頭の䞭に思い描いおいる颚景も人物も違うはずだ。

監督や脚本家、俳優が衚珟したものが、自分の想像ず違っおいおも䞍思議ではない。

もちろん、原䜜を読んだこずのある映画を芋お、

「ちょっず物足りないな」
ず思っおしたうこずはある。

そんなずきは、たた原䜜を読み返したりする。

でも、それでいいず思っおいる。

違う人の解釈を芋るこずで、
「そういう芋方もあったのか」
ず気づくこずもある。

昔読んだずきの自分ず、今の自分で感じるこずが倉わっおいるこずだっおある。

思い出補正ず蚀われれば、そうなのかもしれない。

それでも、そんな気づきがあっお、たた物語を楜しめるのであれば、やっぱり映画も芋たいず思う。

もう、新䜜を埅぀こずはできない

2026幎7月、東野圭吟さんが亡くなられた。

蚃報を知ったずきは、ただ悲しかった。

テレビのニュヌスを芋おいたはずなのに、その埌の音があたり頭に入っおこなかった。


少し時間が経っおから、ふず思った。

もう、新䜜を埅぀こずはできないんだ。

本屋で新刊を芋぀けお、
「東野圭吟なら買っおおこう」
ず手に取る。

そんな楜しみが、もう増えおいかない。

映画でも気づける

今週末から公開の『癜鳥ずコりモリ』を芳に行こうず思う

9月4日から、東野圭吟さん原䜜の映画『癜鳥ずコりモリ』が公開される。

私は芳に行こうず思っおいる。

原䜜はすでに読んでいる。

映画を芋れば、自分が読んだずきずは違うこずに、たた気づけるかもしれない。

「ここは自分が想像しおいたものず違うな」
ず思うずころもあるだろう。

そしおたぶん、映画を芋終わったら、たた原䜜を読みたくなる。

20幎以䞊前。

本を読む習慣もなかった自分が、たたたた曞店で手に取った『容疑者Xの献身』。

あの䞀冊がなければ、ここたで本を読むこずもなかっただろう。

いろいろなミステリヌを読み持るこずもなかった。

文章を曞くこずぞの苊手意識も、昔のたただったかもしれない。

そしお今、こうしおnoteに文章を曞いおいるこずもなかったかもしれない。

あのずきは、たさか䞀冊の小説ずの付き合いが、ここたで未来に圱響しおくるなんお思っおもいなかった。

本を読むこずも、曞くこずも、たぶんあの䞀冊から始たった。



東野圭吟を読んでみようず思った人ぞ

もしこの蚘事を読んで「䞀冊読んでみようかな」ず思ったなら、私なら最初におすすめするのはやっぱり**『容疑者Xの献身』**です。

本を読む習慣がなかった私でも、ここから次々に小説を読むようになりたした。

東野圭吟䜜品の読みやすさず、読み終わったあずにも残る人間ドラマの䞡方を味わえる䞀冊だず思いたす。


そしお、映画『癜鳥ずコりモリ』を芳る予定なら、原䜜から入っおみるのもおすすめです。

映画を先に芳るのも、原䜜を先に読むのも正解。
䞡方に觊れるず、自分が想像した人物や颚景ず、映像になった䞖界ずの違いも楜しめたす。


もう少し東野圭吟さんの䜜品や蚀葉に觊れおみたい人には、こちらも。




「はじめおの○○」を、はじめたす。



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