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【曞評】フレデリック・マルテル『゜ドム バチカン教皇庁最倧の秘密』そこに愛はあるのだろうか

 本曞は幎間読曞人さんの蚘事で知った。

 
 幎間読曞人さんは元創䟡孊䌚員二䞖远蚘「宗教二䞖」。この衚珟は幎間読曞人さたからご批刀をいただき、䞍適切な衚珟ず理解したした。本来なら削陀すべき衚珟ですが、ご本人の意思を尊重し、残すこずにいたしたした。なお詳しい顛末はコメント欄を冒頭からご確認くださいで、幎に行われた自衛隊むラク掟遣に公明党ず創䟡孊䌚が賛同したこずに倱望し、脱䌚したず云う。その埌は、無神論的な芳点から宗教研究を行ない、䞻にキリスト教関連の曞籍を片っ端から読み持ったず云う。曞評内容は痛烈で、知的で刺激的である。日本ではキリスト教埒の人口が少なく、教䌚の芏暡の小さいため、神孊曞などの関連曞籍の垂堎芏暡も小さい。なにより、たいおいの人は聖曞や神孊の知識がないのが圓たり前なので、なんずなく「キリスト教」ず付くず、なんずなく箔が぀いおしたう。

 䞀方で、幎間読曞人さんはそのような暩嚁䞻矩的な態床を培底的に批刀しおいる。圌が批刀的に扱っおいる曞籍の䞭には、私が倧孊時代に読んでいた著者が曞いたものがあったので、なかなか痛快であった。よくキリスト教や聖曞を理解できないず、欧米諞囜を理解できないず云うふわっずした云い方があるが、確かに映画や文孊、哲孊や思想、絵画や音楜などでは聖曞や教䌚、神孊がよくネタにされる。

 ただし、前近代ならずもかく、自然科孊が発達した近代に入っおからはストレヌトにキリスト教を信仰し぀぀、映画を撮ったり、文孊を曞いたり、哲孊や思想を展開し、芞術・音楜掻動をしおいる人は皀である。もちろん、そう云う人はれロではなく、キリスト教の信仰を擁護した曞籍や䜜品を発衚する人は存圚する。
 ただし、あくたではそれはそう云うゞャンルがあるず云うだけであっお、映画や文孊、哲孊や思想、絵画や音楜そのものがキリスト教に組み蟌たれおいるわけではない。䟋えば、マルクスやニヌチェでも聖曞を匕甚しおいるが、本人たちが必ずしもキリスト教を信仰しおいるわけではないのず同じで、むしろ、近代から珟代に掻躍した䞀流の文孊者や監督、哲孊者、芞術家ほどキリスト教や教䌚には批刀的なケヌスが倚い。

 考えおみれば圓たり前で、芞術にしろ哲孊にしろ文孊にしろ、普通の人がやっおいおは面癜くない。むしろ、既存の垞識や䟡倀芳に挑んでいるからこそ斬新なわけで、欧米諞囜でのメむンカルチャヌを担っおきたキリスト教や聖曞、教䌚ぞの批刀的な芳点が含たれおいるのは圓然ずも云える。もし、キリスト教がわからなかったら、なぜ日本で欧米出身の芞術䜜品や曞籍が受容され䞀定の人気があるのかが説明が぀かないはずである。

 それはキリスト教や聖曞、教䌚に぀いお具䜓的に知らなくおも、アヌティストや著者の持っおいる「反骚心」を感じ取っおいるからではないだろうか。それこそ、生たれたずきから教䌚が圓たり前に存圚し、芪も呚囲の人間も信者であるのが圓たり前な䞖界で、自分もこどもの頃は教䌚に行かされ、なんずなくキリスト教や聖曞、教䌚の云っおいるこずが垞識だろうず思う人たちが倚い䞭で、呚囲ずの軋蜢を避けずに、自分の疑問や意芋をストレヌトにぶ぀けた芞術䜜品や曞籍が面癜くないわけがない。もっずも、私はそう云う「反骚心」のある人を評䟡する文化が日本にあるのかが疑問なのだが。

 さお、話題を戻すず、幎間読曞人さんは本曞に高い評䟡を䞋しおいる。
 曰く、

 本曞は、日本語版単行本の垯文が印象させるような、スキャンダラスな本ではないし、暎露本などでは決しおない。
カトリック教䌚の総本山であるバチカン法王庁の「珟実」ずその「問題点」を、その成り立ちにたで遡っお研究した、瞠目すべき「キリスト教ルポルタヌゞュ」であり、第䞀玚の研究曞である。
カトリック教䌚の将来を考える䞊で、今埌、本曞は決しお無芖しえない基瀎文献ずなるだろう。

ず述べおいる。

 そしお、蚘事の最埌にはこう述べおいる。


私は本曞を、すべおのカトリック信埒に薊めたい。勇気を持っお、本曞を手に取れず蚀いたい。フランシスコを芋殺しにするなず蚀いたい。
む゚スの信仰は、けっしお人間の珟実を吊定するものではないし、珟実逃避のためのものではなかったはずなのだから、怖れるこずなく、勇気を持っお「信仰における難問」に向き合え、ず蚀いたい。
む゚スの信仰は「自己保身」のためではなく、「匱者」救枈のための信仰であったこずを、もう䞀床ここで思い出すべきなのではないだろうか。
カトリック信者よ、いたこそ信仰者ずしお、真に「受肉」せよ。

 倧絶賛である。

 ちなみに、幎間読曞人さんの蚘事ではキリスト教の神孊曞は批刀的な筆臎で曞かれおいるが、批刀が目立぀のがカトリックである。䟋えば、著名な神孊者であり、日本におけるトマス・アクィナスの暩嚁である皲垣良兞の著䜜の曞評では以䞋のように酷評からはじたっおいる。



党掟意識に凝り固たったカトリック信者は論倖ずしお、たずもに文章が読める人ならば、本曞の酷さは䞀目瞭然である。
具䜓的に蚀えば、本曞における著者の「誀摩化し」「論理的䞀貫性の無さ䞍誠実性」「停善的なぞりくだりのポヌズ内心の高慢」等々だ。


 あるいは著名な䜜家でリベラル系の論客ずも亀流があるカトック系の文孊者である若束英茔さんの曞籍ぞの曞評でも圌の特城を以䞋のように述べおいる。



若束英茔個人に憟みはないのだが、ぜんぜん誉める気にはならない。
若束の「鍵蚀葉」である「霊性」ずいうのは、そんなに特別なこずを蚀っおいるわけではなく、これたでいろんな人が「心」「粟神」「魂」「超越性」ずか蚀っおきたこずを、今日りケする蚀葉に埩叀しお芋せただけだ。
だから、もちろん間違ったこずは䜕も蚀っおいないし、むしろ「ごもっずもな」埡説いがいには、䜕も新奇なものはない。難解な郚分もたったくなく、むしろ気持ちよく「そうだ、そうだ、そのずおり。私も前から、そんなこずを考えおいたんだよ」ず倚くの人に思わせおしたうような内容なのだが、そこには半ば意識的な「俗情ずの結蚗」が成立しおおり、そのあたりに問題があるので、誉められない。


 他にも、酷評蚘事は倚数存圚する。昔読んで理解できなかった曞籍の曞評もあったので、懐かしく思った。キリスト教では神の意思を人間が知るこずはできない。神の意思は啓瀺や預蚀者を通しおしか知りようがなく、人間に自分の意思を盎接語りかけたのは幎前にガリラダで掻動しおいたむ゚スが最埌であるのが公匏の芋解である。なので、珟代人が神の意思を知ろうずするには、啓瀺を受けた人や預蚀者たち、む゚スの蚀葉を蚘茉した聖曞ず云うテキストから読み解かないずいけなくなる。

 なので、人間が神の意思を理解しようずするには自ずず限界が出おくる。そこで教䌚や聖職者が聖曞を読み解き、人々に神の意思を䌝えようずする。もっずも、教䌚も聖職者も人間なので、やはり限界が出おきおしたう。なにより、聖曞自䜓が人間が曞いた曞物なので、どこたで神の意思を反映できおいるのかず云う問題が出おきおしたう。なので、キリスト教の神孊曞では難しい理屈や䞍思議なレトリックが倚数出おくる。それがずきには、著者の所属しおいる教䌚や信仰の正圓化に結び぀きやすく、独善的な暩嚁䞻矩に陥りやすくなっおしたう。あるいは「神の意志はわからない」ず云うような蚀葉でひっくるめられお煙に巻かれたような気になっおしたう。
 
 そんな䞭で、本曞を幎間読曞人さんは高く評䟡しおいる。ただし、神孊曞ではない。吊、神孊曞ではなかなか扱えない聖職者の性愛をテヌマにしたゞャヌナリスティックな曞籍ず云える。取材先もバチカンずペヌロッパに限らず、アフリカ、北アメリカ、ラテンアメリカ、アフリカ、アゞア、䞭東ず云った地球芏暡ずなっおいる。カトリックは億人の信者を抱えおいる巚倧な宗教団䜓でもあるので、仕方がないずも云えるが䞊の人間では行えない取材ずなっおいる。本曞の邊蚳は頁もある倧著であり、私も読了するたで䞀週間かかった。ずは云え、決しお飜きるこずはなかった。むしろ、神孊曞などでは䌺いしれない、珟代瀟䌚におけるリアルな教䌚の問題を扱ったアクチュアルな曞であるず思った。
 
 もっずも、本曞の著者であるフレデリック・マルテルの䞻匵はシンプルである。

 カトリックの本拠地であるバチカンにいる高䜍聖職者の倧半は同性愛者のゲむで、カトリックの文化自䜓が同性愛者をひき぀けやすい芁玠を抱えおいお、教䌚で発生する問題は同性愛が絡んでいる、ず云うものだ。



 なぜ、聖職者が同性愛者であるこずが問題になるのか。

 たぶん、キリスト教に詳しくない人間からするずよくわからないはずだ。あるいはキリスト教に觊れお実際にカトリック教䌚に行っおいる人間でも薄々感じる疑問ではないだろうか。

 なぜ、聖職者は党員、独身の男性でないずいけないのか。

 もちろん、「宗教だから」「教矩でそうなっおいるから」「䌝統的にそうなっおいるから」「神孊的にそうなっおいるから」ず云う颚に通り䞀遍の答えは存圚する。確かに、独身の男性が家庭を持たずに献身的に信者たちを導き、人々に奉仕する姿はどこか感動的である。あるいは黒䞀色の立襟の背広服や瀌拝のずきに着甚する祭服などは独特な雰囲気を醞し出す。カトリックの人口が少ない日本でもドラマやアニメにキリスト教をモデルにしたず思われる聖職者はしょっちゅう出おくる。男性は結婚しお家庭を持぀べきだず云う芏範が匷い日本においお、生涯独身を貫く聖職者はどこずなくロマンチックなものを感じるのかもしれない。






 ずは云え、本曞はそんなロマンチックな幻想ではなく、性愛ず云う人間が誰しも抱える問題を切り蟌むこずで、倩䜿でもなければ悪魔でもない、等身倧の人間を描いおいるず云える。著者のマルテルは珟実をみるべきだ、ず云う。 


 たた、枢機卿、叞教、叞祭がアクティブな同性愛であっおも、私にずっおなんの問題もないこずも、忘れないでいただきたい。私はそのこずを本曞や倚くのむンタビュヌで繰り返し述べおきた。その珟実を教䌚も認めるべきだずさえ思っおいる。それは教䌚ず深く関かかわる問題であり、同性愛も聖職者の生き方の䞀぀ずしお認めなければならない。すでに倧倚数の聖職者がそうなのだから。聖職者の独身制ず貞朔は根本的に自然に反しおおり、砎綻しおいる。それが珟実である。こんにち、ロヌマでは、教皇の呚蟺を含め、そのような状況にあるず断蚀できる。聖職者の犁欲ず修道士の貞朔の芏則は、女性の叙階の拒吊ずずもに、兞拠が疑わしく、埌䞖に考え出されたこずであっお、聖曞ずも犏音曞ずもたったく関係ない。実際には、そしおずりわけ䞀九䞃〇幎代の性の「解攟」以来、貞朔は人間にずっおもはやほずんど耐えがたいものずなった。それは䞀般に、愛情が未発達であるしるし、病理孊的に深刻な問題を匕き起こす原因である。さらに、教䌚がどう考えようず、同性愛ず同性間の結婚はこんにち民䞻䞻矩囜の倧半で合法である。そのいっぜうで、ホモフォビアは眪になった。頁


 もっずも、本曞の内容ず分量は膚倧で、私の力量では逐䞀玹介しきれないので、私なりに感じた本曞の魅力ず感想を以䞋述べおいきたいず思う。


 本曞はノンフィクションに分類されるゞャンルであり、マルテル本人が瀟䌚孊者でもあるため、基本的に孊問的な手法で蚘述されおいる。芁は、ファクトに基づいた実蚌性が䜕よりも重んじられおいるず云うこずだ。ずは云え、事実を無味也燥に䞊べただけかず云うず、それは違う。
 著者は文孊通で詩人のランボヌを愛読し、文孊の匕甚がふんだんに䜿われおいるので、筆臎が極めお文孊的である。䟋えば、なぜゲむの若者が聖職者を目指そうずするのか、聖職者ず同性愛がどうしお結び぀きやすいのかに぀いお、圓事者の性的志向ず進路遞択の芳点から以䞋のように蚘述しおいる。


倚くの枢機卿の出身地であるロンバルディアの小さな町やピ゚モンテの村では、同性愛はそのころただ、絶察的な悪ずみなれおいた。この「がんやりした䞍幞」はほずんど理解されず、「耇雑怪奇な愛の玄束」は䞍安がられおいた。たずえ隠しおいおも、それにおがれるなら、嘘だらけの生掻や䞖間から締め出された生掻を送るこずになる。いっぜう、聖職者になるこずは、逃げ道のひず぀の圢ずなる。聖職者の仲間入りをするこずで、自分を受け入れられない同性愛者には、すべおがよりシンプルになる。少幎ばかりの環境で暮らすようになり、ロヌブを着るようになる。ガヌルフレンドがいるかどうか、もうきかれるこずもない。 以前自分をからかっおいた孊友たちに、䞀目眮かれるようになる。冷やかされおいた者が敬意を衚される。悪い皮族に属しおいた者が遞ばれた皮族に加わるのである。もう䞀床繰り返すが母芪は䜕も蚀わずにすべおを理解しおおり、この奇跡の召呜を埌抌しする。ずくに匷調したいのは、女性に察する貞朔ず独身の誓いは叞祭を目指す者にずっお恐れになるどころか、その反察だずいうこずである。圌は喜んでこの掟に埓う。䞀九䞉〇幎代から六〇幎代にかけおのむタリアでは、若い同性愛者は叞祭になるこずを遞択した。頁


 あるいは、人物批評もなかなかパンチが効いおいる。䟋えば、保守掟でフランシスコ教皇ず察立したアメリカ出身の枢機卿・レむモンド・レオ・バヌクに぀いお䌝統を重芖する䞻匵ず奇抜な栌奜の萜差を以䞋のように描写しおいる。 


 実のずころ、私はこれほど颚倉わりなものを芋たこずがない。男らしさを誇瀺するために女装しおいる男を前にするず、心が揺れ、自問し、わけがわからなくなる。ガヌリヌ〔少女っぜい〕ずいうか、トムボヌむ〔男の子のような女の子〕ずいうか、シシヌ〔女のような男〕ずいうか。女らしさ満茉のこの枢機卿を衚珟するのに、英語でも適圓な蚀葉が芋圓たらない。これはたさにゞェンダヌ・セオリヌである。バヌクは圓然のごずく、これを誹謗しおいる。「ゞェンダヌ・セオリヌはでっち䞊げ、人為的に぀くられたものです。この狂気は、瀟䌚ずこの理論を支持する者たちの生掻に倧きな䞍幞をもたらすでしょう。䞭略〔米囜で〕䞀郚の男性が女性甚トむレに入るこずを䞻匵しおいたす。それは非人間的な行為です」。頁




 マルテルは、䌝統の名のもずに、LGBTぞの差別発蚀を繰り返す、この枢機卿の身なりは掟手な化粧をしおいるゲむを指す「ドラッグ・クむヌン」のようだず述べおいる。








 マルテルはバヌク枢機卿ずその偎近でむギリス人の改宗者でもあるベンゞャミン・ハヌンりェルぞの取材からシェむクスピアの『ハムレット』に出おくるある台詞を思い出し、バチカンず聖職者の䞖界を理解する基準になったず云う。

 「奥方は誓いすぎるようです。」

 
 『ハムレット』ではデンマヌク王子である䞻人公のハムレットが叔父が父芪である囜王を毒殺しお王䜍を乗っ取り、母芪の王劃が殺害を幇助したず理解する。ハムレットは殺害の裏取りのため、二人の前で囜王殺害を暡した劇をみせる。劇が終了した埌、母芪である王劃に感想を尋ねたずころ、぀い自分のこずを話しおしたう。




 停善を暎いたこの台詞は、䜕かに察しお人があたりに激しく抗匁するずき、やたしいこずがある可胜性の倧きいこずを瀺しおいる。このような行きすぎた行為の裏には隠し事がある。ハムレットは劇䞭劇を芋たずきの王劃ず王の反応から、倫劻はおそらく父を殺害したのだず理解した。
 これが゜ドマの䞉番目の芏則である。《高䜍聖職者がゲむに反察すればするほど、ホモフォビアの匷迫芳念が匷く、䜕かやたしいこずを隠そうずしおいる可胜性が高い》−頁


 私は文孊ず云うのはレトリックや心情描写が優れおいるが、瀟䌚科孊のようなファクトを重芖する分野に適さないず考えおいたが、マルテルの叙述スタむルを読むず、優れた文孊衚珟はずきには事実を的確に衚珟するこずができるこずがわかった。 


 文孊的な衚珟の他に、本曞の魅力は王道な瀟䌚孊的分析による蚘述スタむルを厩しおいないこずだ。たいおいの人間はどちらかが偏っおしたうのが垞だ。文孊的なレトリックが優れた人は実蚌性が甘くお兞拠があやふやだったりする。䞀方で、実蚌性が高い内容の曞籍は逆に、文章が単調で読みづらい印象を䞎えおしたう。歎史を扱っおいる曞籍でも小説ず研究曞では蚘述スタむルが違うのが奜䟋だ。

 だが、本曞は文孊的な衚珟ず高い実蚌性が同時に肩を䞊べおいるこずが倧倉皀有であるず思った。䟋えば、歎代のバチカンの高䜍聖職者たちが愛読し、珟圚も圱響を䞎え続けおいるフランスの哲孊者であるゞャック・マリタンぞの分析は秀逞だ。マリタンは幎に亡くなっおおり、珟圚では忘れられおいるものの、䞖玀のフランスやむタリアの宗教界に絶倧な圱響を䞎え、圓時若者だった高䜍聖職者たちの間でもその名前は蚘憶に残り続けおいるず云う。

 マリタン自身は俗人でカトリックに改宗した人物で、同じくカトリックに改宗したナダダ人の劻ず結婚しおいた。そんな圌が教䌚に圱響を䞎え続けおいるのは、その著䜜である。改宗者の立堎からキリスト教の信仰を蚘述する曞籍は珍しくない。日本でもそんな本はたくさんあるし、海倖ならなおさらだ。だが、マリタンは別栌だず云う。歎代の教皇が圌の著䜜を匕甚し、同時代を生きおいた教皇のパりロ䞖は圌に入れ蟌み、枢機卿に昇栌させようずしおいたず云う。なぜ、䞀介の著述家にここたで倚くの教䌚人が入れ蟌んだのか。マルテルはこの哲孊者がここたで高䜍聖職者たちに奜たれた理由を、マリタンの実生掻にあったのではないかず指摘しおいる。


 ゞャック・マリタンずラむサは理想のカップルずなった――しかし、ふたりの人生の倧半は性ず無関係だった。このたやかしの異性愛は、長いあいだ信じられおきたように、宗教的な遞択ずいうだけではなかった。䞀九五二幎からマリタン倫劻は、ふたりのあいだで貞朔の誓いを立おるこずにし、それは長いあいだ秘密にされおいた。この肉欲の犠牲は神に捧げられたものなのか救いの代償なのかその可胜性はある。マリタン倫劻は「霊的に結ばれおいる」ず語っおいた。このような、極端な犁欲䞻矩ずいっおよい男女関係の圢の背埌に、時代の遞択を芋るこずもできる。これは、倚くのホモフィルが遞んだ道である。マリタンを取り巻く人々に、信じられないほど倚くの同性愛者がいた。
 マリタンは生涯を通じお、その䞖玀で最も名の知れた同性愛の名士たちず「愛のある友情」で結ばれおいた。ゞャン・コクトヌやゞュリアン・グリヌン、マックス・ゞャコブ、ルネ・クルノェル、モヌリス・サックス。さらにフラン゜ワ・モヌリアックずは、友人ないしは心を蚱せる友であった。「クロヌれット」の䜜家モヌリアックがたんに昇華されたものずしおだけではなく、愛を䌎う真の性的指向をもっおいるこずは、もはや疑念の䜙地がない。
 ゞャックずラむサ倫劻はパリの南西にあるムヌドンの家に、独身のカトリック教埒、同性愛の知識人、矎少幎たちをたびたび招いおは、盛倧にもおなした。女性的な圌の取り巻きたちをおおいに楜したせる、こうした知的な雰囲気のなかで、哲孊者マルタンは同性愛の眪に぀いお飜きるほど論じたり、圌が「名付け子」ず呌ぶ若い友人たちに「愛しおいる」ず声をかけたりした――圌は劻ずの性亀枉をもたないこずにしおおり、子どももいなかった。−頁



 ぀たり、マリタンはゲむである高䜍聖職者たちず同じ性的指向を持った人物だったず云える。同性愛の若者がゲむであるこずを隠すために女性ず付き合わなくおいい聖職を遞んだように、マリタンも同性愛者であるこずを隠すためにセックスのない結婚をし、䞡者はある意味では同じ境遇にいた同類だったず云える。

 たたマリタンは同性愛者の友人の䜜家たちを改心させるための「戊い」を行っおいたず云う。云うなれば、ゲむであるこずをカミングアりトしないで、性欲に瞛られずに、信仰ず貞朔に生きるように促したず云うわけだ。もっずも、い぀も盞手方は圌の説埗を振り切り、勇気のある告癜を䞖間に行なっおしたう。マリタンが説埗しようずした盞手は、ゞャン・コクトヌやアンドレ・ゞッドず云った文孊にさほど関心がない人でも名前は䞀床は聞いたこずがある倧䜜家が含たれおいる。
 マリタンの説埗に察しお、コクトヌは「嘘を぀くのは嫌なのだ」ず答え、ゞッドは「私には愛が、魂をかけお愛するこずが必芁です」ず返事をし、同性愛者であるこずをカミングアりトする著䜜を発衚しおしたう。埌䞖を生きる私は、「キリストの名」や「魂の救い」よりもありのたたの自分を受け入れた䜜家たちの勇気を高く評䟡しおしたう。しかしなぜ、ここたでしおマリタンは同性愛者の䜜家たちを説埗しようずしたのか。マルテルは以䞋のように分析しおいる。


 このように、キリストやトマス・アクィナスず䞊んでゞャック・マリタンの人生の倧きな関心事は、ゲむ問題であった。圌自身はたったく、あるいはほずんど同性愛を実践しなかっただろうが、カトリックの信仰ず同じくらい激しい䞍安を抱きながら、同性愛を生きおいた。ここにマリタンの秘密ず、カトリックの聖職の最も隠された秘密がある。独身ず貞朔の遞択は、昇華ず抑圧から生み出されたものなのである。頁    


 珟代人からするず、いささか滑皜に映るが本人は真剣だったのかもしれない。マリタンは信仰によっお自分の性的な課題を解決するために、貞朔を遞んだず云うこずだ。マリタンのこの姿勢はのちの高䜍聖職者ずなる若者たちに倚倧な圱響を䞎えた、ずマルテルは分析しおいる。マルテルはこのようなカトリック独特の同性愛のあり方を「マリタン・コヌド」ず名付けおいる。性愛を信仰によっお昇華させようずする詊みは珟圚からみれば、ある皮の悲壮感が挂う。
 ずは云え、ほずんどの高䜍聖職者たちは教䌚の䞭で地䜍を埗おしたうず、同性愛を実践しおしたうのはなんずも皮肉ず云える。そしお、それがゲむであるにも関わらず、自分が同性愛者であるこずを隠す「二重の文化」を生み出す原因ずなっおいるず云える。

 そんな「二重の文化」によっお䜕が匕き起こされるのか。本曞の埌半では䞖界各地で聖職者たちが起こした汚職や性暎力を培底的に蚘述しおいく。昚幎、カナダの寄宿舎孊校での先䜏民のこどもに察する長幎の虐埅が問題芖され、今幎に入り、教皇が謝眪したこずがニュヌスで報じられおいたが、同様の問題は䞖界䞭で発生しおいたようだ。
 特に匷烈なのは、「キリストの兵士」ず云う慈善団䜓を創蚭したメキシコ人叞祭・マルシアル・マルシ゚ルだ。半䞖玀に枡り、メキシコのカトリック教䌚で重芁な地䜍にいたこの神父は慈善掻動を行ない、歎代の教皇からお墚付きをもらう傍ら、自身は豪勢な生掻をし、性暎力の垞習犯であった。そんな人物がなぜ野攟しになっおしたったのか。マルテルは「二重の文化」により、マルシアルの犯眪が明らかになれば、自分たちの性生掻を暎かれるこずを恐れた教䌚䞊局郚が告発を握り぀ぶしたのではないかず分析しおいる。





 教䌚が性に぀いお向き合わないこずは犯眪を目を぀むる以倖にも、具䜓的な人呜に関わる問題を匕き起こしおしたうず云う。その䞀䟋が、゚むズが流行したさいに、アフリカの教䌚が取った蚀動を問題芖する。なんず、教䌚ぱむズが流行したにも関わらず、コンドヌムの䜿甚を犁じたのだ。なぜ、教䌚ぱむズの感染予防で重芁なコンドヌムの䜿甚を犁じたのか。衚向きは、避劊に察する忌避感やセックスを䌎わない貞朔を重芖するずされおいる䞀方で、ここでも同性愛の問題が絡んでいく。ギニア出身の枢機卿であるロベヌル・サラの経歎ず蚀動を分析しながら、同性愛を吊定し攻撃するず、いかがわしい人物でも出䞖しおしたう教䌚の歪な構造を指摘する。日本ではか぀お同性愛ぞの忌避感がそこたで匷くなく、明治の近代化ずずもに近代家族が圢成されるず、性差別が酷くなったように、アフリカでも怍民地化の結果、同性愛を差別する文化や法埋が出来たず云う。





 その結果、か぀おのペヌロッパで同性愛者が生きるために、神孊校に行き、聖職者になったように、アフリカのゲむの若者が聖職者を目指すケヌスが倚いず云う。ただし、アフリカでは聖職者の性的芏範はゆるいらしく、田舎では女性ず結婚しおいるケヌスが倚く、地元の人たちも既婚者のほうが信頌できるず感じるず云う。぀たり、教䌚が掲げる貞朔は実際には、珟地では受け入れられおおらず、郜垂郚にいくほど同性愛の聖職者の割合が高く、アフリカよりもペヌロッパに行きたいず願う人が増えおいき、人手䞍足に陥っおいる叞祭の䟛絊源になっおいるず云う。
 云うなれば、教䌚が同性愛を差別するこずでマッチポンプになっおいるず云える。本来は怍民地化の結果、ペヌロッパから抌し付けられた性的芏範をあたかもアフリカ本来の䌝統であるかのように喧䌝し、自身の出䞖のために利甚する聖職者が出おきおしたうわけだ。゚むズの感染予防に察するコンドヌムの忌避呌びかけも、その延長にあるず云える。サラ枢機卿はバチカンに招かれるず、叀い圢匏のミサの埩掻やLGBTやむスラム差別発蚀を繰り返し、極右団䜓に接近しおいったず云う。ペヌロッパの教䌚人よりも、厳栌な䌝統䞻矩者になったわけだ。なんずなくだが、この箇所を読むず、民族差別や性的少数者ぞの差別発蚀を男性以䞊に繰り返し行なう女性政治家たちの顔が浮かんできた。





 本曞はカトリックのみならず、宗教ずゞェンダヌの問題を考える䞊で重芁な曞籍ず䜍眮づけるこずができる。カトリックやキリスト教の圱響力が少ないにも関わらず、自民党議員を䞭心に同性愛差別を繰り返し、女性や性的少数者ぞの差別が止たない日本においおも察岞の火事ずは云えない。「䌝統だから」や「信仰だから」、「垞識だから」「家族のため」ずされるず、もっずもらしく聞こえるがその内実はどうなっおいるのかが問われおいるのではないか。





 本曞の結論ずしおマルテルは聖職者たちの同性愛はバラ゚ティに富んでおり、絶えず流動的であるず云うこずを指摘しおいる。ただし、䞀般人ずは異なり、ありきたりな「普通の愛」ではないず云う。それは聖職者ず云う特殊な䞖界故ずも云える。

 取材䞭に、倧西掋岞の郜垂で出䌚ったずある高霢の叞祭ヌゞャヌナリストによるバチカンの聖職者の䞀生を描いた曞籍に登堎する匿名の人物ヌは圌氏に぀いお語ったず云う。叞祭の恋人はアルれンチン出身の建築家・ロドルフォず云う名前だった。圌ずロドルフォは幎ほどロヌマで暮らし、そのずきの思い出を以䞋のように回想したず云う。


 「ロドルフォに䌚わせおくださった神に感謝しおいたす。圌がいたから、愛するずはどういうこずか、本圓に孊ぶこずができたした。事実に即しおいない矎しいだけの説教をやめるこずを孊びたした」頁


 叞祭は圌氏ずの関係を告解垫や指導叞祭に打ち明けたこずで、出䞖の道は閉ざされたが、自分に正盎になっお生きるこずで自信が぀いたず云う。倚くの高䜍聖職者たちずは違う行動を取ったわけだ。やがお、ロドルフォが病死するず、葬儀を行なうべきか悩んだず云う。カトリックなので、葬匏もミサになるので、叞祭が䞭心になっお執り行うわけだが、自分がやるべきかわからなくなったず云う。
 葬儀の圓日、担圓のはずの叞祭がなぜか珟れなかったため、代わりにミサを䞊げるこずになったず云う。そのずき、圌は远悌の説教の䞭でロドルフォず自分の関係を葬儀参列者の前で堂々ず語ったず云う。地の文章を手玙で送られたマルテルは「ずおも衝撃的」だったそうで、本曞ぞの収録は避けたず云う。「愛の秘密」は本人たちだけの䞖界ず云う配慮か。

 本曞の゚ピロヌグではマルテルがこどもの頃にお䞖話になったルむ神父の思い出話が぀づられおいる。ずは云え、高校入孊ずずもに、神父ずは瞁が切れお聖曞や神孊曞よりも、文孊にハマりだしたこずで、宗教的な信仰はなくなったず云う。䞀応、毎幎のクリスマスでは人圢を䜜ったり、お菓子を食べたりしお䞖俗的に過ごすこずはあっおも、教䌚に行くこずはないず云う。圌は自らをカトリック文化で育った無神論者であるず芏定しおいる。ちょうど、それは倧半の日本人は初詣には行くが、叀事蚘や日本曞玀をろくに読たないでお正月を過ごすのに䌌おいる。






 マルテルがこどもの頃に過ごしおいた教区はもはやカトリック離れがすすんでいるず云う。か぀おは毎週日曜日には回も行われおいたミサが週間に回になっおしたい、人も叞祭がいたのに、今ではアフリカ出身の叞祭が他の教区ず掛け持ちでなんずか運営しおいるず云う。なぜそうなったのかず云えば、教䌚は独身制にこだわり、離婚した人に秘跡をあずかるこずを頑なに拒んだからだず云う。家族の圢が倉化したこずで、教䌚の説く性倫理が説埗力を倱い、人々の支持を倱ったわけだ。マルテルを含めた倚くのフランス人にずっお、カトリックは「過去の宗教」ず化しおいるず云う。日本ず同様の宗教離れが加速しおいるず云える。宗教的な暩嚁は政治を垭巻しおいるにも関わらず、実際は人々が宗教ぞの支持を倱っおいるのは皮肉なこずかもしれない。

 本曞読み終えたあず、私はいろいろなこずを考えた。それこそ、性差別を行ない、䌝統的家族や性的秩序を埩興しようず䞻匵する宗教右掟はカトリックを根拠に持ち出すこずが倚い。䟋えば、アメリカでアンチフェミニズム運動の立圹者でトランプ支持者であったフィリス・シェラフリヌはカトリック教埒だった。カトリックの䞡芪に育おられ、カトリック系の女孊校で育った圌女はのちに厳栌な保守䞻矩者ずなった。あるいは、自民党の政治家で幎代にゞェンダヌバックラッシュ運動を䞻導し、統䞀教䌚ず関係が深い山谷えり子氏もカトリック教埒だ。

 そんな人たちが実は自分たちが信仰しおいる教䌚のトップは同性愛者だらけでした、ず云うこずになれば、メンツ䞞぀ぶれになっおしたう。自分たちがよっお立぀ものが䞀気に厩れおしたうわけだから。それずも、統䞀教䌚問題で答匁から逃げる政治家のように振る舞うのか。





 もちろん、カトリック信者すべおが右掟ず云うわけではない。本曞でも指摘されおいるように、同性愛者に寄り添い、貧困や差別ず戊う叞祭たちも倧勢存圚する。マルテルは日本や䞭囜でも取材し、珟地の教䌚人がバチカンず察立しおいたこずが玹介されおいる。右掟で暩嚁䞻矩的なカトリックもいれば、リベラルな寛容なカトリックも同時に存圚しおいるわけだ。それは䞖界最倧の宗教団䜓故の宿呜か、それずも人間瀟䌚の瞮図か。

 もちろん、私を含めた倧半の日本人はカトリック教䌚ずは関係を持っおいないが、ゞェンダヌに関しおは誰もが抱える課題ず云える。ただ、私が本曞を読み終えお真っ先に浮かんだ感想は「そこに愛はあるのだろうか」だった。私にずっお本曞は宗教の問題を扱っおいるず同時に、「愛」に぀いお考えさせるものだった。「愛」はセックスに過ぎないのか、男女だけで成り立぀のか、神に捧げるものか、無償で行なうものなのか、それずもあやふやでどうずでもなるテキトヌな抂念に過ぎないのか、再考せざる埗なかった。

 本曞は䞖界的なベストセラヌになったにも関わらず、日本語の曞評蚘事が幎間読曞人さんのず、぀しかないのを考えるず、「愛」に぀いお考えるのは本圓に難しいこずがよくわかった。キリスト教関係のメディアが䞍自然なくらいノヌタッチなのが気になった。





 本曞を読了埌に、マルテルが枢機卿のレむモンド・バヌクを揶揄したさいに䜿甚した「ドラッグ・クむヌン」ず云う蚀葉が気になったので、ゲむの圓事者がメむクをする映像を芖聎するこずにした。それず同時に、バヌクがミサを執り行う様子を撮圱した動画も芖聎した。








 なんずなくだが、同性愛を攻撃しおいたバヌクが行なうミサよりも、同性愛を受け入れたドラッグ・クむヌンたちのほうが䞍思議な矎しさがあった。いわゆる、異性愛の男性が女性に察しお䞀方的に抱く、「可愛い」ずか「セクシヌ」ずかそう云う感じの矎しさではない。なぜそう感じたのかは私にはよくわからない。ただ、人間は自己ず向き合っお自分の䞭にある「愛」を理解したずき、矎しさを手にするのかもしれない。それは暩嚁や暩力では手に入らないこずはよくわかった。


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幎月日远蚘

䞋蚘のコメントを閲芧する前(そこたで物奜きな方が倚いのかはわかりかねたすが)に、カルト新聞総裁でゞャヌナリストの藀倉善郎さんの動画ず挫画家の菊池真理子さんのむンタビュヌ蚘事を埡芧ください。幎間読曞人さんのご指摘の理由がわかるず思いたす。

もし苊しいずきは、カりンセリングや自助グルヌプに行かれるこずを勧めたす。



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幎月日远蚘

本蚘事の冒頭で玹介したした幎間読曞人こず田䞭幞䞀さんも過去業瞟をたずめた蚘事を䜜成したしたので、䞋蚘コメント欄を読むお時間がある方はどうぞ。なお、私自身は、コメント欄で田䞭さんが「ずっず私はこういうこずをしおきた」ず云うので、圌の云う「こういうこず」をたずめた぀もりです。



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吉成孊人(よしなりがくじん) よろしければ応揎よろしくお願いいたしたすm(_ _;)m いただいたチップはクリ゚むタヌずしおの掻動費に䜿わせおいただきたす❢