人は、なぜ「懐かしい」と感じるのだろう?──感情を深掘りした先に見えてきた、共鳴という現象|エッセイ|集合的無意識|『ケルト・アイリッシュ音楽集』聴いてみて🎵
このnoteを見つけていただき
ありがとうございます♡

最近、一つの問いを考え続けている。
人は、なぜ「懐かしい」と感じるのだろう?
私が今のところ、たどり着いているのは、
懐かしさは単なる過去の記憶ではなく、
音や風景、気配の奥にある
「人間らしさ」に心が共鳴したときに
生まれる感情なのではないか…ということ。
「懐かしい」という感情は、不思議。
過去を思い出して感じることもあれば、
初めての場所や音に、
なぜか胸が、ほどけることもある。
あなたは、そんな経験は、ないだろうか。
私は、何度もある。
いつかの雨の日の夕方。
駅前の小さな喫茶店に入ると、
濡れたアスファルトの匂いが
扉の隙間から流れ込み、
店内には、古びた木のテーブルと
グラスに水滴が残るアイスコーヒーがあった。
奥のスピーカーからは、
アイリッシュの静かな旋律が流れ、
フィドルの音が、雨音と重なって
胸の奥を、やわらかく揺らした。
その瞬間、私は理由もなく
「帰ってきた…」と感じた。
もちろん
その店に入ったのも、曲との出会いも初めて。
それでも…
雨粒の光、コーヒーの苦み、
木の椅子の手触りまでが、
遠い記憶の扉を開けるようだった。
最初は、偶然だと思っていた。
けれど、似た体験を重ねるうちに、
この感情には、もっと深い理由が、
あるのではないかと考えるようになった。
私は、感情を深掘りすることが好き。
正確には、好きというより、
気になってしまう。
「なぜ、私は今、心が動いたのだろう。」
その問いを持ち続けると、
感情は、少しずつ輪郭を現してくる。
怒りの奥には悲しみがあり、
悲しみの奥には、
大切にしたかった想いがある。
懐かしさの奥にも、
単なる記憶ではなく、
「つながっていたい」
という願いが潜んでいるのかもしれない。
感情は、出来事への反応というより、
自分が何を大切にしているのかを
教えてくれる羅針盤なのだと思う。
そんなことを考えているうちに、
心理学者ユングの「集合的無意識」
という言葉を思い出した。
人には、個人の経験だけでは説明できない、
共通する心の層があるという考え方だ。
私は、この考えを、
証明された答えとして
受け取ったわけではない。
ただ、自分の中にあった問いを
整理するための、一つの地図のように感じた。
欲しかったのは答えではなく、
問い続けるための言葉だったのだと思う。
その頃からだろうか…
ケルトミュージックや
アイリッシュミュージックを聴くたびに、
なぜ、こんなにも懐かしく感じるのかを
考えるようになった。
アイルランドへ、行ったことはない。
それでも、心が反応する。
同じように、
奄美の島唄に触れたときにも、
言葉では説明しにくい安心感があった。
文化も歴史も異なるのに、
どちらにも、自然へのまなざし、
人を想う気持ち、祈りや別れ、
故郷への想いが流れている。
もしかすると、
人は物語や旋律そのものではなく、
その奥にある「人間らしさ」に
共鳴しているのかもしれない。
私は、noteを書き始めてから、
そのことを何度も実感してきた。
感情を飾らずに書いた記事ほど、
「私も同じように感じていました」
という言葉をいただくことがある。
面白いのは、同じ経験を
した人ばかりではないことだ。
経験は違っても、感情が重なる。
だからこそ、共鳴が生まれる。
私は、この現象に
文章の本質があるような気がしている。
文章は、知識を伝えるためだけに
あるのではなく、
誰かの心の中に眠っていた感情に、
そっと触れるためにもあるのだろう。
最近、こんなふうにも思う。
自己理解とは、自分を分析することではなく、自分の感情に誠実であることなのかもしれない。
感情を深掘りすると、
自分が何を大切にしているのかが見えてくる。
自分を知るほど、
他者との違いも受け入れやすくなる。
そして
不思議なことに、
他者を理解しようとするほど、
自分自身のことも、
さらに理解できるようになる。
自己理解と他者理解は
対立するものではなく、
互いに育て合うものなのだと思う。
この記事を書いても、
「懐かしい」の正体は、まだ分からない。
集合的無意識なのか。
記憶なのか。
音楽の構造なのか。
文化なのか。
答えは、一つではない。
それでも、確かなことがある。
感情を丁寧に見つめることで、
私は、以前より自分自身を
理解できるようになった。
その気づきを言葉にすると、
誰かの心と共鳴することがある。
人は、感情を深く見つめるほど、
自分の内側と誰かの内側が
静かにつながっていることに
気づいていくのだと思う。
私は、その瞬間が好きだ。
気づきは、一人で完結するものではない。
誰かの言葉によって育ち、
また誰かへ受け継がれていく。
だから、これからも問いを書き続けたい。
答えを示すためではなく、
誰かと一緒に考え続けるために。
「懐かしい」とは、
まだ知らないはずのものに、
心が先に「ここにあった」
と気づいてしまう感覚なのかもしれない。
雨の匂い、木のぬくもり、遠くで鳴る旋律。
その断片が
説明のつかない安心へ変わるとき、
自分の内側と誰かの内側が、
見えないまま静かにつながっている。
そんな気配こそが、
私にとっての懐かしさなのだと思う。
最後に。
私は、集合的無意識よりも、
その存在を信じたくなるほど
人は誰かと共鳴できるという事実に、
希望を感じている。
🕊️
犬神銀様のこの記事を読み
記事を作成するヒントをいただきました♡
気づけば、記事を書きたいと
思いながら、かなりの月日が経っていました。
やっと書けました♡スッキリ。
でも、まだ深掘りしたい気持ちはあります🤭
犬神銀様、ありがとうございました♡
そういえば…
ケルト・アイリッシュミュージックは、
無印良品のお店で、よく流れていますね♪
最後まで
お読みいただき
ありがとうございます😊
🕊️
コングラボード感謝記録✨
ここにおいでくださり
読んでいただけたことに
感謝申し上げます🌈
貴重なスキや、やさしいコメント
マガジンへの追加、フォローも
大変ありがたく思っています✨

🎧今日のおすすめ🎵
『爽やかな ケルト・アイリッシュ音楽集』

⬇️関連記事
⬇️おすすめ記事
いいなと思ったら応援しよう!
励みになります。
応援ありがとうございます。
