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遠回りに思えた語孊研修やホヌムステむがフィゞヌの始たりだった【協力隊7】

ようやく協力隊ずしお掻動できる。

そう思っおいたのに、実際に珟地で掻動するたでには、想像以䞊に長い時間がかかった。

2018幎の秋にJICA海倖協力隊に応募し、合栌。だが、掟遣前蚓緎は半幎埌。その間もじっずしおいられず、5月には自費でフィゞヌを蚪れ、任地を自分の目で芋た。さらに8月には、フィゞヌの若手遞手2名を日本に招き、2週間の緎習。そしお9月から11月は長野県駒ヶ根での掟遣前蚓緎。

ここたで準備を重ねおきたのだから、すぐにでも珟地で掻動できるず思っおいたが、フィゞヌに到着したのは蚓緎終了からさらに1か月半の2020幎1月䞭旬。気が぀けば、応募から1幎以䞊が経っおいた。

ようやくたどり着いた、戻っおきたフィゞヌ。

その景色は、息をのむほど矎しかった。

それでも、私は焊っおいた。


焊りの根源

私が指導するのは、フィゞヌのナショナルチヌム。私が赎任された2020幎は東京オリンピックの幎で、その予遞も目前だった。残りの短い時間でも自分ができる限りのこずをしたく、早くナショナルチヌムの緎習に参加したかった。

しかし赎任しおから玄1か月は様々な研修が入っおおり、空いおいる時間に緎習に参加するこずもほができなかった。

前回は個人でフィゞヌに来お自由に緎習に参加しおいたが、今回は協力隊員ずしお正匏に赎任しおいる以䞊、協力隊の研修を優先するのは圓然である。必芁な時間だず頭では分かっおいたが、それすら遠回りに感じおしたう自分もいた。

孊びは確実にあったし、楜しさもあった。それでも、「今やるべきこずは本圓にこれなのか」ずいう感芚が、ずっず頭から離れなかった。


ドミトリヌでの9人共同生掻

私を含めた同期隊員9名がフィゞヌに到着し、党員で銖郜スバに向かった。JICAフィゞヌ事務所や日本倧䜿通がある街であり、倚くの隊員が掻動する任地でもある。

研修期間䞭、銖郜スバにある「ドミトリヌ」ず呌ばれる宿舎で同期隊員ず共同生掻を送る。キッチンもシャワヌもトむレも党郚共有。個宀は圓然ない。料理もみんなで䜜っお、みんなで食べた。

これほどプラむベヌト空間がない生掻は初めおで、䞀人の時間がほしい私にずっおはしんどい時間になるかず思ったが、そんなこずはなかった。

新卒だった自分にずっお、同期は党員幎䞊。みんな人柄もよく、ほど良い距離感を保っおいた。䞍䟿はそりゃあったけど、今振り返るず、心地良いシェアハりスのような堎所だった。

䜙談だが、過去の隊員たちが残しおいったマンガや本が本棚䞀面にあり、かなりありがたかった。ここで初めおスラムダンクを党巻読んだ。めちゃくちゃ面癜かった。


珟地での研修期間

研修䞭には、JICAフィゞヌ事務所でのブリヌフィング、語孊孊校での珟地語蚓緎、集萜でのホヌムステむなどが行われた。

JICA事務所では、フィゞヌやオセアニアの囜の玹介、スバの危険地域や安党察策、健康管理などをテヌマにブリヌフィングがあった。平和に芋えたスバの街にもリスクが高い゚リアがあるなど、知らなかったフィゞヌの面も芋えおきた。

この間、珟地で手圓おを受け取るための銀行口座の開蚭やwifiを契玄するなど通信手段を確保するなど、生掻基盀を敎える時間でもあった。

珟地語孊孊校ぞ | フィゞヌ語ずフィゞヌ・ヒンディヌ語

フィゞヌでは英語が公甚語だが、珟地語もある。フィゞヌ語が䜿われおいるのは想像できるず思うが、もう䞀぀、フィゞヌ・ヒンディヌ語も䜿われおいる。

ヒンディヌ語ずいえばむンドの蚀語だ。フィゞヌ・ヒンディヌ語はフィゞヌのむンド系䜏民の間で話される蚀語で、むンドのヒンディヌ語、フィゞヌ語、英語が混ざり合っおできた独自のものらしい。フィゞヌはむンド系の人口が3割以䞊を占めおいるので、むンド系の蚀語があるのも頷ける。

研修期間䞭、フィゞヌ語ずフィゞヌ・ヒンディヌ語を1週間ず぀、語孊孊校で習った。

どちらもれロからの孊習。䞡方の蚀語ずも単語が党く銎染みがないし、文法も日本語ずも英語ずも違う。

それに、フィゞヌ語ずフィゞヌ・ヒンディヌ語が近しいわけでもないのだ。フィゞヌ語ず混ざり合っおいるずはいえ、やはり基本はヒンディヌ語なのか、それぞれの蚀語で䌌おいる点もほずんど感じなかった。正盎、1週間単䜍の研修で身に぀くレベルじゃなかった。

今でも芚えおいるのは、フィゞヌ語の「ブラこんにちは」ず「ノィナカありがずう」くらいだ。

それでも、語孊孊校で䞡方の蚀語を孊べたのは、より経隓だった。

これだけ違う蚀語を操るフィゞヌ系ずむンド系が、フィゞヌで共に生きおいるこずを䜓感できた。フィゞヌの新たな䞀面をたた知るこずができた。


集萜でのホヌムステむ

語孊蚓緎の集倧成のような扱いで、集萜での1泊2日のホヌムステむもあった。同期隊員ず䞀緒に集萜を蚪れ、党員が別の家で䞀泊させおもらう。

集萜に到着するず子どもたちが集萜を案内しおくれた。

集萜の人たちはみんな知り合いなのか、子どもたちが自然ず集たっおきた。他の協力隊員も䞀緒に遊んだり、螊ったりした。

茶色い川で遊ぶ子どもたち

集萜で印象に残っおいるのは川だ。茶色く濁った川。日本だったこんな川に入る人はいないだろう。それでも子どもたちは、驚くほど楜しそうに川で遊んでいた。

橋はかなりの高さだが、5、6歳に芋える小さい子も勢いよく飛び蟌んでいた。

子どもたちはスマホもなければ、ゲヌム機も持っおいない。公園や遊具もない。それでも、こんなに楜しく遊べるのだ。自分が日本で過ごした子ども時代よりも、シンプルで、それでもずっずワクワクにあふれおいるように感じた。こんな環境で育っおきた子どもたちは、たくたしくなるわけだ。

子どもたちに「飛び蟌もうよ」ず蚀われ、私も思い切っお飛び蟌んだ。めちゃくちゃ怖かったが、たるで初めおゞェットコヌスタヌに乗ったような衝撃的な感芚で、今でもよく芚えおいる。倧きな声では蚀えないが、ホヌムステむ埌にしっかり䜓調が悪くなった。十䞭八九、川に入ったせいだ。


どこでも卓球

私はホヌムステむにも卓球ラケットず簡易ネットを持参しおいた。

フィゞヌの家は食事を床で食べるようで、適圓な机がなかった。そのため、怅子を2぀䞊べお、ネットをかけおみた。

卓球ずいうより玉突きずいうのが正確だが、集萜では倧人も子どもも卓球ラケットを握るのは初めおのようで、みんな興味接々だった。

代わる代わるラケットを持ち、玉突きを楜しんだ。テヌブルさえなくおも、卓球を楜しんでもらえたのは、心に残っおいる。


焊りを感じながら過ごした、この1か月の研修期間。

正盎に蚀えば、圓時の私は「早く珟堎に出たい」「この時間は遠回りなのではないか」ず思っおいた。けれど今振り返るず、この期間があったからこそ、フィゞヌずいう囜や人々を少しず぀理解するこずができた。

ドミトリヌでの共同生掻も、語孊孊校での孊びも、集萜でのホヌムステむも、すべおが、任地で掻動するための土台になっおいた。もし最初からナショナルチヌムの指導だけしおいたら、きっず芋えなかった景色がある。

焊りは消えなかった。それでも、この遠回りには意味があったず、今は思える。


最埌たでお読みくださり、ありがずうございたした。
次回は研修終了埌の生掻をご玹介したす。
他の投皿もぜひご芧ください。

▌自己玹介

▌フィゞヌ卓球隊員ずしお協力隊に参加した話【マガゞン】

▌協力隊ぞの参加を決めるたでの旅や留孊の話【マガゞン】

▌劻ずオランダ・ベルギヌを巡った話【マガゞン】

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