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派遣前にフィジーで卓球 | 心に残るのは子どもたちの笑顔【協力隊3】

子どもが打ったスマッシュは、そのまま後ろの濁ったドブのような水に吸い込まれる。

次の瞬間、別の子どもが走り出し、何のためらいもなくそれを拾い上げた。泥だらけのボールを、満面の笑みでこちらに差し出してくる。

私はそれを受け取り、自分のシャツで拭いて、またラケットを振った。


2019年、大学を卒業した私は、協力隊としてフィジーに派遣されるまでの半年を持て余していた。それなら、自分の目で見ておこうと思い、任地を訪れた。


卓球台は「あるもの」ではなかった

協力隊としてフィジー卓球協会に派遣される予定だった。学校や集落を回る「普及活動」と、ジュニアや代表選手の「強化活動」が目的だ。

今回は「普及活動」の様子を紹介する。

フィジー卓球協会のメンバーと一緒に訪れたのは、首都スバにある学校。卓球を教えに行く—そう聞くと、日本では体育館に卓球台が並ぶ光景を想像するかもしれない。

だが、当然のように「ちゃんとした卓球台」はなかった。

ある学校では、手作りの卓球台が置かれていた。天板はしっかりしていて、脚も安定している。見た目だけなら十分にプレーできそうだった。

しかし、屋外だった。

風が吹くたびにボールは流され、ラリーはほとんど続かない。日本でやっていた卓球とは、まったく別の競技のようだった。

卓球に触れて楽しむ

別の学校では、さらに状況はシンプルだった。

卓球台が、ない。

生徒の数は多い。

そこで私たちはラケットとボールを大量に持ち込み、教室の机や身の回りのものを使って卓球を始めた。

ラリーが続くかどうかは、全く重要ではない。まずはボールを転がしたり、ボール突きのような遊びを取り入れ、「卓球に触れる」こと自体を体験してもらう。

それでも、子どもたちは、驚くほど楽しそうだった。

たった1回ラリーをするために、我先にと列をつくる。
順番を待ちながら、楽しそうに笑っている。

集落にあった1台の卓球台

そして、最も印象に残ったのはスバ近郊の集落だった。

そこには、1台の卓球台があった。聞けば、卓球が好きな人たちが集まり、みんなでお金を出し合って購入したものだという。少し開けた屋外スペースにその台を置き、日常的に卓球をしているらしい。

こんなに小さい子も卓球していた

実際に私も卓球をさせてもらうと、衝撃的な環境だった。

卓球台のすぐ後ろにはドブのような水が流れていて、ミスをすれば、すぐにボールはそこに落ちる。

それでも、誰も気にしない。

泥だらけになったボールを、子どもたちが嬉しそうに拾ってくる。それを自分の服で拭いて、また打つ。

そんなことを繰り返しながら、卓球は続いていく。

多くの子どもたちがワクワクして順番を待ち続けていた。

忘れられないのは卓球よりも笑顔

この場所での卓球も印象的だったが、それ以上に強く残っているのは、子どもたちの表情だ。

カメラを向けると、迷いなく、満面の笑みを向けてくれた。

集落から帰るときには、みんなが大きく手を振ってくれた。

この景色は、7年経った今でもはっきりと思い出せる。

なぜ、こんなに楽しそうなのか

ここでの暮らしは、決して豊かには見えなかった。

それでも、この場所には卓球台がある。そして、卓球をしている子どもたちがいる。しかも、楽しそうに。

日本で卓球をしてきた自分は、「環境が整っていること」を前提にしていた。体育館があって、台があって、ボールがあって、その上で、どう上手くなるかを考えていた。

でも、ここでは違う。何も揃っていなくても、卓球は成立していた。

そして何より、そこには確かな「楽しさ」があった。

自分は何をすべきなのか

このとき見た光景は、後に協力隊として活動する自分の考え方に大きな影響を与えた。

環境は簡単には変えられない。自分が柔軟に工夫するしかない。

泥だらけのボールを追いかけながら、笑っていた子どもたち。あの光景を、これからの自分の基準にしたいと思った。

子どもたちに卓球を楽しんでもらえるように、自分ができることを考えたい。

次はジュニア、パラ、ナショナルチームへの「強化活動」について紹介する。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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