芋出し画像

立぀人ず、飛び立぀人ず、【SOMPO矎術通 モダンアヌトの街・新宿展】

SOMPO矎術通開通五十呚幎蚘念の第䞀匟特別展、「アヌトの街・新宿」展に行っおきた。アンチ・アクションで印象に新しい芥川間所沙織や犏島秀子の䜜品、ゎッホの流れを汲むひたわり䞻題の䜜品、枅宮質文やSOMPO矎術通の看板である東郷青児のハむラむトなど、、、新宿ずいう括りで、前衛的な日本近代矎術の流れを新しい芖点も含めお網矅的に芋るこずができ、SOMPO矎術通ならではの倧満足の内容

◯束本竣介にさらに泚目

今展芧䌚の目玉、チラシのアむコン、ⅲ章のメむンにもなっおいる束本竣介。近幎評䟡が䞊がっお、最近はたすたすいろいろな展芧䌚でよく名前を芋るし、個人的にも芋るこずができるず嬉しい画家の䞀人。1941幎の「生きおゐる画家」が取り䞊げられた東京囜立近代矎術通「蚘憶を぀なぐ、蚘憶を぀むぐ」展。板橋区立矎術通の「戊争ず子どもたち」展でも登堎し、子䟛の絵ず共に、幌児が描くような可愛らしい造圢の線画が玹介された。

今展芧䌚でも幌児の線を意識した䜜品が点展瀺されおいた。どれも可愛い。板橋区立矎術通でも玹介されおいたように、俊介の幌児画ぞの憧れや、色圩のレむダヌを重ねるような画颚はパりル・クレヌのスタむルに圱響を受けおいるず蚀われる。昚幎はクレヌの展芧䌚の巡回もあったので、そういう意味でも、二人の絵画の関係性も泚目したいずころ。

◯危うさの䞭で立぀

クレヌず俊介の共鳎はその造圢に蟿り着く粟神面にも芋るこずができる。二人は画業の長さは違えど、共に倧戊に翻匄されながらも、察抗姿勢をずっお自らの衚珟を暡玢し、クレヌは戊時䞭、俊茔は戊埌間も無くに亡くなったずいう画家。クレヌの特に晩幎の䜜品の䞭には、可愛らしい造圢や、淡い色圩の䞭に、クレヌ自身に迫る危機にさられた心の䞍安が珟れおいる。

俊介も「生きおゐる画家」など衚珟の自由などを力匷く蚎え぀぀、その䜜品は郜垂を芋぀め、その寂寥感には自らの心の寂しさを投圱させおいる、ずいう感じがする。線自䜓は震え぀぀も、自由ずいう力匷さを持っおいるずいう幌児のような絵も、二人に共通する、危うさに察する匷さの象城ず蚀えるんじゃないか。

今回のチラシになっおいる束本竣介《立おる像》もたさに「危うさの䞭で真っ盎ぐ立぀人」ずいう圌の真髄を衚した自画像ず蚀える。

高田銬堎だずいう街の颚景は俊介のスタむルに織り蟌たれ、少しぐにゃっずしおいる。自画像は堂々ずし぀぀も、顔はどこかう぀ろ、立ち方ず䞡手の䜇たいは少しぎこちなさも感じさせる。

◯子䟛ずしおの自分

竣介は自分の子䟛を含め、倚くの子どもの絵も描いおいおり、この自画像も「子どもの感芚を未だ有しおいる」ずいう圢で描いおいるずしたら、画家ずしおそれ以䞊の自信はないのかもしれない。個人的には、子䟛ずしおの孀独ず、子䟛ずしおの自信のミックスなのかなヌず思ったり。

ちなみに、股䞋に犬がいるのがなんか面癜いのず、巊隅の方にはM Shunsukeのサむンず17ずいう数字が、看板颚に隠されおいる。堂々たる自画像にこんな小ネタがあるずたすたす圌のこずを奜きになっおしたうよヌ。17ずいう数字はおそらく俊介が兄ず共に䞊京しおきた時、たたは聎力を倱った時の自身の幎霢。この絵は1942幎、俊介が30歳前埌の時の䜜品なので13幎くらいの回顧ずいうこずになる。

「生きおゐる画家」が1941幎発衚なので、この頃には戊時䞋の状況に心身ずもにやられおいる状態なのは間違いなさそうで、この自画像も若き日に察する憧れ、もしかしたら死期を悟った䞊での芚悟の䜜品だったのかも。自分の煮詰たった画業をなんずか新しくしたいずいう思いかもしれない。はたたた、戊時䞋で倉わりゆく新宿、高田銬堎を嘆いた、俊介なりの郜垂愛ずもずれる。

しかし、束本竣介はそんな孀独ず重圧の䞭でも、真っ盎ぐに立っおいるずいうこず。

◯もう䞀人の立おる人

新宿展ではもう䞀人の立おる像を芋るこずができお、こちらも危うい䞭で立぀男。

束本竣介より早い倭折の倩才画家、䜐䌯祐䞉の自画像は顔が黒く塗り぀ぶされ、俊介のものよりも苊悩が前面に出おいるようにも思える。さらにパレットず絵筆を持぀姿は、俊介の苊悩よりも画家ずしおの今埌の迷いを移しおいるようにも芋える。

しかし、極端に玠早い筆臎で描かれた街の姿は、たった今誰にも予期できずに溶解したような柔らかさず勢いをみせる。錯乱状態ず思うこずもできるけれど、個人的には、服の赀ず、街ず顔あたりにかかるシアンがパレットから取られおいる描写を考えお、今この画家が䞖界を創造する瞬間をみおいるこずにしおいる。䞍思議であり、ずおもかっこいい。実際䜐䌯はこの絵を描いた幎から、どんどんず自己の画颚を確立しおいっおいる。

俊介の自画像が空気がじっくり醞成されおいくようなものに察しお、即垭ずいうか、さらに乱高䞋する波の䞭に確かに立っおいる䜐䌯祐䞉。どちらも䞍安の䞭で立っおいる。

◯飛び立぀人

瀟䌚や心身の䞍安に察しお、取る行動は人のようにただ立぀だけずは限らない。

パりル・クレヌからの圱響が色濃い束本竣介はもう䞀人、ロシア出身の幻想的な䜜品に代衚される、マルク・シャガヌルず䌌おいる感じもする。

深い青ず人々がふわふわ走銬灯のように浮かび䞊がる情景。互いに街ず人を自らのフィルタヌを通しお画面に映し出しおいる点が共通しおいる。違うのは自身のアプロヌチ。

シャガヌルずいえば、めちゃくちゃ飛ぶ《街の䞊で》のように街の喧隒を抜けお、飛び立っおいくような䞍思議な力に包たれおいる。立぀人束本竣介、飛び立぀人マルク・シャガヌル。

なぜこの差が生たれるのか考えおみるず、二人の故郷の色を勝手に圓おはめたくなっちゃう。束本竣介は生たれは違うけれど、岩手県にゆかりがある。宮本賢治仕蟌みの〇〇にも負けずの耐え抜く力が備わっおいたんじゃないか。

察しおマルク・シャガヌルは東欧ナダダの元で育っおいるので、魂が空に舞うようなむメヌゞがあるのかもしれない。

しかし、シャガヌルが飛翔をみせる䜜品は、だいたいパヌトナヌが䞀緒に写っおいる愛の絵なので、その喜びずた高たりを飛翔で衚したずいう線は十分にある。街を2人で抜けお、どこかわからないずこに飛んでいくなんお、シャガヌルはなんおロマンチックなんでしょう。

◯ 真ん䞭を行く人

䞍安の䞭で立぀人、飛び立぀人を芋たけれど、その二者択䞀だず思っおいる人は甘い。長い矎術史の䞭にもその䞭間、それずもその二぀を超越しおいるかもしれない衚珟が存圚する。それがこちら↓

アンリ・ル゜ヌの謎の力でののちょっず浮遊。もちろん䞋手りマ、ずいうか足ず地面の蚭眮、颚景ずの距離感を描くこずのできない䞋手くその立ち姿なんだけれど、立぀人の姿ずしおここたで矚たしいものはない。

䞋手くそ、日曜画家ず蚀われ続け、アカデミヌからも倧衆からも無芖されたけど、なぜか陜気に描き続け、結局珟代では暩嚁の珟代矎術通に収蔵されお、描き手を含めおファンがたくさんいる。胆力がすごいずずるか、頭空っぜずずるかは人次第だけれど、そういう、ふわふわ浮いおいる人っおなんか憧れるんだよなヌ。

なすにきびは、ル゜ヌほど倉哲になるこずもなく、かず蚀っお束本竣介や䜐䌯祐䞉ほど、二本足で倧地を螏み締めるほどの粟神力はたずない、ずりあえず飛び䞊がるシャガヌルタむプずいったずころでしょうか。

䞍安や孀独に盎面した時、画家の立おる像から姿勢を孊ぶのもいいかもしれたせん。ル゜ヌくらいの人がいっぱい増えおも面癜い。

おわり

SOMPO矎術通「モダンアヌトの街・新宿」展は2/15終了枈み。
画廊・ずきのわすれもので「束本竣介ず舟越保歊」展が開催䞭なのでそちらも行きたい。

岩手にた぀わる蚘事もあるのでぜひ↓






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