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『東北は死んでる』論のThreads投稿炎上を見て、私が感じたこと

先日、Threadsでこんな投稿が炎上していた。

「東北死んでる。事実だと思う。
好きとか、東北には良いところいっぱいあるとか。そういう反論じゃこの死に体の街を生き返らせることはできない。」

この投稿に対して、東北出身者を中心に大量の反論が集まっていた。

「その死んだ街があたいの地元なんだけど。」
「勝手に人の地元を殺さないで欲しい。」
「お前の感性が死んでる。」
「俺らは十分これで幸せなんで放っておいて。」

一方で、

「綺麗事だけじゃ人や仕事は戻らない。」
「高校卒業したら地元を離れる人が多い。」
「空き家だらけ。」
「実際かなり厳しい。」

という、投稿内容に一定の共感を示す声も少なくなかった。

私は宮城出身で、現在は東京で生活している。

最近は実家の相続や地方不動産の問題について、家族と話す機会も増えた。

実家周辺でも、

  • 地価下落

  • 空き家増加

  • 商店の減少

  • 若者流出

は実際に進んでいる。

久しぶりに帰省して、自分が通っていた中学校の前を通った時、かつて何百人もいた生徒が今では100人程度にまで減っていた。

その時、

「ああ、終わったんだな」

と感じてしまった。

だから私は、この投稿を完全には否定できなかった。

実際、私はそのスレッドにこう返信した。

「事実だし、気持ちはわかる。
久しぶりに帰省して中学校の前通ったらもう生徒が100人程度にまで減っていた様子見て終わったなと感じた。
ただ放置もいけないと思うので街が死んでいる事実を受け止めて良い所は活かしつつ各々やるべき事をやるしかないと感じました。」

私は、「東北は終わっている」と言いたいわけではない。

むしろ東北には、まだ大量の価値が残っていると思っている。

だが問題を直視することすら拒否し始めた時、地域は本当に再生不能になる。

そして私が本当に嫌だったのは、「東北は死んでいる」という投稿そのものではない。

「自分の周りは幸せだから放っておいてくれ」

のような自分の周りは困ってないから問題ないだろうというあまりにも呑気で自己完結的な反応の方だった。

正直に言えば、私はかなりイラついた。


1. 「俺たちは幸せだから放っておいて」に感じた違和感

もちろん気持ちはわかる。

地元を「死んでる」と言われれば不快なのは当然だ。

そこには、

  • 家族

  • 友人

  • 思い出

  • 人生

がある。

だから反射的に防衛したくなるのも理解できる。

だが、

「俺たちは幸せだから放っておいて」

という言葉には、あまりにも強い自己完結感があった。

実際、東北各地では、

  • 若者流出

  • 高齢化

  • 空き家増加

  • 地価下落

  • 商店街衰退

  • 医療縮小

  • 担い手不足

が進行している。

「今、自分が困っていない」

ことと、

「地域構造が維持可能である」

ことは全く別だ。

そして地方では、問題を語る人間よりも、

「空気を壊した人間」

が攻撃されやすい。

私はそこにかなり危険な兆候を感じている。

もちろん、

「じゃあお前は地元に何か貢献してるのか」

と言われれば、私自身まだ大したことはできていない。

東京で成功しているわけでもない。

地元に雇用を生み出すようなことをして貢献するような立場の人間でもない。

だからこれは上から地方を批判する話ではない。

むしろ逆で、自分自身も当事者として、どうすれば地方に残された価値を次の時代に繋げられるのか模索している側だ。

ただ、だからといって、

「俺たちは幸せだから放っておいて」

だけで思考停止してしまえば、本当に何も変わらないとも感じている。

2. 地方の問題は「価値不足」ではなく「血流不全」

私は地方の問題を「価値不足」だとは思っていない。

問題は、

“血流”が止まり始めていること

だ。

人も、

金も、

文化も、

情報も、

外から流れ込めない。

どれだけ美しい自然があっても、

どれだけ面白い文化があっても、

そこへ到達するための交通、情報、導線、接続設計が弱すぎる。

血管が細く脆くなり血流が滞っている状態で、

「地方には魅力があります」

と言っても血は巡らない。

地方は長年、

「地元民」

を前提に設計されてきた。

だから、

  • バス

  • 電車

  • 乗換

  • 時刻表

  • 終電

  • 観光導線

ですら、初見の人間には極めて分かりづらい。

これは観光資源不足の問題ではない。

接続設計の問題だと思う。

3. 日本人ですら移動しづらい地方に、外国人旅行者が気軽に来れるのか

その接続設計の弱さは、外国人旅行者の動線を見るとさらに分かりやすい。

秋田で街おこしプロジェクトに関わっている友人が以前こう言っていた。

「観光地なのにバス停に必要なインフォメーションがほぼ書いていない状態だから、地元に住んでいる自分ですらスマホで調べないとバスの乗り継ぎも行き先も時刻表も把握するのが困難だし、この状況でそもそも街に外国人や旅行者が気軽に来るようになるわけないよね。」

実際その通りだと思う。

東京や大阪、京都では外国人観光客は既に街の空気の一部になっている。

しかし先日、仙台へ遊びに行った時、私は逆に驚いた。

仙台駅にも夜の街にも、ほとんど外国人がいなかったのだ。

地方は、

「外国人向け施策が存在しない」

のではない。

そもそも、

“外部の人間が自然に流れ込む前提で設計されていない”

のである。

4. それでも地方には、都市が失った価値が残っている

しかし私は東北に価値がないとは全く思っていない。

むしろ逆だ。

東京で生活していると、地方に残されている価値の大きさを痛感する。

例えば、

  • 静かな沢

  • 源流

  • 星空

  • 広大な河川敷

  • 倉庫

  • 空気

  • 林道

  • 温泉

  • 音を出せる空間

  • 低コストな作業環境

こうしたものは都市では極めて希少だ。

さらに地方には、都市では失われた自由も残っている。

  • 自宅で楽器を鳴らす

  • ドローンを飛ばす

  • ラジコンを公園や駐車場で走らせる

  • DIYする

  • 車や自転車を空いてる場所に路駐する

  • 庭でBBQする

こうした行為への許容量がまだ存在している。
都市ではその一つ一つに高いコストや規制が発生する。

つまり地方は、

「何もない」

のではない。

むしろ、

都市が失った物理空間としての自由

をまだ持っている。

また、

  • キャンプ

  • 沢登り

  • 川下り

  • SUP

  • 雪景色

  • 山村景観

  • 温泉

など、淡水レジャーや自然体験資源も大量に残っている。

そしてAI時代が進むほど、

「静かな空間」
「物理空間」
「自然環境」

の価値はむしろ上がる可能性がある。

5. 地価下落とイオン依存が示す地方インフラの脆弱性

最近、いよいよ実家の相続や土地をどうするかについて家族と話さなければならないタイミングに差し掛かってきた。

そこで改めて知ったのが、地方不動産の価格下落の現実だった。

私の実家は、

  • 築30年前後

  • 5LDK

  • 水回りリフォーム済

  • 倉庫あり

  • 畑あり

  • 駐車可能

という、ごく普通に住める家だ。

しかし親の話では、建築当時1500万円近くかけて建てた家でも、今は土地込みで数百万円レベルの評価にしかならない可能性があるという。

一方、東京都心ではこの10年で地価が大幅に上昇している。

つまり今の日本は、

  • 地方 → 資産価値下落

  • 東京 → 資産価値上昇

という極端な価値集中が起きている。

さらに、

  • コンビニ撤退

  • ガソリンスタンド減少

  • 地方スーパー閉店

  • バス路線廃止

も進行している。

地方衰退の本当の問題は、

「不便」

という話ではない。

地域内部の循環構造そのものが消え始めていること

だと思う。

6. 「地域活性化」ではなく「地域魅力開発」

私は最近、

「地域活性化」

という言葉に違和感を持っている。

多くの地域政策は、

  • 人口増加

  • 商業誘致

  • 工場誘致

  • 大型施設開発

の延長線上でしか地方を見ていない。

しかし人口減少社会の日本で、全ての地域が都市化競争に勝てるわけがない。

むしろ必要なのは、

その土地にしか残っていない価値を再編集すること

だと思う。

私はこれを、

「地域魅力開発」

と呼びたい。

地方は旧ルールの中では確かに縮小している。

しかし同時に、都市が失った価値もまだ大量に残されている。

問題は、それを誰も言語化できなくなり始めていることだ。

もちろんこれは政治や制度設計の問題でもある。

本来であれば、

  • 交通

  • 地方インフラ

  • 空き家

  • 観光導線

  • 地方産業

  • 情報発信

などは、もっと大きな単位で再設計されるべきだと思う。

ただ正直に言えば、

私はもう、

「政治や制度が何とかしてくれるのを待っているだけでは間に合わない」

段階に入っているとも感じている。

人口減少も、

地方衰退も、

インフラ縮小も、

制度より速いスピードで進行しているからだ。

だからこそ、個人個人の言語化の重要性が上がっている。

私はよくGoogle Mapの口コミ機能を使って、お気に入りの店や場所のレビューを写真や動画付きで投稿している。

今はローカルガイドレベル6になった。

Google Mapでもいい。

noteでもいい。

ブログでもいい。

誰かが、

  • この場所の何が良いのか

  • なぜ面白いのか

  • どんな価値が残っているのか

を言葉にしなければ、外部から人も情報も流れ込まない。

逆に言えば、口コミや発信が活性化し、地域の価値が可視化され始めれば、その後から政治や制度も追従し始める。

私は本来その順番なのではないかとも感じている。

もし本当に地元が好きなら、一度、自分の言葉でその土地の価値をネット上に残してみてほしい。

地方の本当の危機は、

価値を持ちながら、それを言葉にできる人間がいなくなることだ。

AI時代には、まだ未発掘の土地の魅力を言語化すること自体に高い価値が眠っている。

それが、地域にもう一度血を巡らせる小さなきっかけになるのかもしれない。

関連記事:資源の価値は誰のものか——AI時代の地方と交渉力

AI時代に、過疎地がなぜ注目されるのか?についても記事を書いております。こちらもご一読いただけましたら幸いです。




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