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🆕教養で読む日本人【第3回】「普通」が好きな国、日本

🆕教養で読む「日本人」
──歴史・言葉・文化から、現代を考える


はじめに「普通が良いよね」の意味

ある日、何気ない会話の中で、知人がこんな言葉を・・・。
「普通が良いよね」
今回だけではない。良く耳にする言葉だ。

「周り(みんな)と同じで良い」
「変に目立たなくて良い」
そんな意味が込められていたように感じた。

しかし、ふと考えた。
「普通」とは、一体何なのだろう。

誰が決めたのだろうか。
時代が変わっても、「普通」は変わらないのだろうか。

海外では、異なる発想や見解をもっていることが評価される。一方、日本では、「普通でいい」「普通が一番」という言葉をよく耳にする。

私たちは知らず知らずのうちに、「普通」であることに安心を覚え、「普通」から外れることに不安を感じている。
しかし、その「普通」は、本当に普遍的なものなのだろうか。

今回は、日本人が大切にしてきた「普通」という価値観について考えてみたい。

「普通」は安心の言葉だった

「普通」とは、本来、特別でも異常でもない状態を表す言葉である。
しかし、日本では、それ以上の意味を持っている。

「普通」であることは、「周囲と調和していること」を意味する。
つまり、「普通」は安心の証なのである。

学校では制服を着る
会社では周囲に合わせる
地域では慣習を尊重する
これらは法律ではない
それでも、多くの人が自然に従う

その背景には、第2回で取り上げた「世間」という共同体の存在がある。日本では、「普通」でいることが、共同体の中で信頼を得る方法でもあった。

村社会が育てた「みんな同じ」という価値観

日本は長い間、小さな共同体の中で暮らしてきた。
農業は一人では成り立たない。
水路を管理し、田植えを行い、収穫を分け合う。
協力しなければ生活できなかった。
だからこそ、「人と違うこと」より、「人と歩調を合わせること」が重視された。

「出る杭は打たれる。」
このことわざは、日本社会の価値観を象徴している。
能力があることよりも、共同体との調和が優先される。

その思想は、現代にも少なからず受け継がれている。

「普通」は社会を支える力でもある

「普通」は決して悪いものではない。
災害時、日本人は秩序正しく避難する。
公共交通機関では自然に列をつくる。
公共の場をきれいに使う。
落とし物が持ち主のもとへ戻る。

これらは、「普通」の行動が社会全体に共有されているからこそ実現している。つまり、「普通」は秩序を生み、安心して暮らせる社会を支えてきたのである。

「普通」が人を苦しめることもある

一方で、「普通」という言葉は、人を縛ることもある。

「普通は大学へ進学する」
「普通は結婚する」
「普通は子どもを持つ」
「普通なら、そのくらいできる」
こうした「普通」は、いつしか見えない圧力となる。

自分の生き方を選ぼうとしても、「普通ではない」という理由だけで、不安を感じたり、周囲の目を気にしたりする人も少なくない。

本来、「普通」とは統計的な平均にすぎない。

それにもかかわらず、「あるべき姿」として語られるとき、人は生きづらさを感じるのである。

世界から見た日本の「普通」

海外から日本を見ると、「普通」の基準が高いと感じる人は少なくない。

時間を守る
約束を守る
公共交通機関では列に並ぶ
街にごみを捨てない
静かに周囲へ配慮して行動する
日本人にとっては「普通」のことでも、世界では決して当たり前ではない。

だからこそ、日本は「安全な国」「礼儀正しい国」と評価される。
日本人の「普通」は、高い公共意識の裏返しでもある。

「普通」は時代とともに変わる

しかしながら、「普通」は決して不変ではないということも忘れてはならない。

かつては、女性は家庭を守るのが普通と考えられていた。
終身雇用が普通だった。
固定電話が一家に一台あることも普通だった。
しかし、時代は変わった。
働き方も、生き方も、家族の形も多様になっている。

「普通」とは、社会がつくり出す価値観であり、時代とともに変化するものなのである。だからこそ、「普通だから」という理由だけで物事を判断することは危うい。

教養とは、「普通」を問い直すこと

哲学は、「当たり前」を疑うことから始まると言われる。教養もまた、多くの知識を持つことだけを意味しない。

私たちが「普通」だと思っていることは、本当に普遍的なのだろうか。
それとも、日本という文化の中で育まれてきた価値観なのだろうか。

その問いを持つだけで、社会の見え方は変わる。そして、自分自身の価値観もまた、静かに揺さぶられるのである。

おわりに 「普通」の向こう側へ

日本人は、「普通」を大切にすることで、秩序ある社会を築いてきた。
その価値観は、人々に安心感を与え、世界からも高く評価される日本社会を支えてきた。

しかし、「普通」が絶対的な正解になると、多様な生き方や新しい価値観を受け入れる余地は小さくなる。

大切なのは、「普通」を否定することではない。なぜ、それが普通なのかを考えることである。
歴史を知り、文化を知り、その背景にある価値観を理解する。
その積み重ねによって、「当たり前」は「考える対象」へと変わっていく。

日本人とは何か。
その答えは、「普通」という何気ない言葉の中にも静かに息づいているのかもしれない。

教養とは、知識を増やすことではない。当たり前だと思っていたことに、「なぜ」と問いを向けることなのである。

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本シリーズでは、
これからも日本人が当たり前だと思ってきた価値観を一つひとつ読み解きながら、「日本人とは何か」という問いを考えていきたい。   *****


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