境があいまいな故に自然が流れ込む場¦偕楽園 好文亭
こんにちは
しばらく更新まで時間が経っておりました。
前に触れた空家再生計画が通常業務と並行して進んでいるのでなかなかnoteを綴るところまでいけないのですが、無理なく自分のペースで綴っていこうと思います。

外壁の一部は板張りに
それでは、今回のお話は茨城県水戸市にある偕楽園 好文亭を訪ねたお話をしていきます。
引き続きお付き合いくださるとうれしいです。
|水戸偕楽園 好文亭

では、まずは偕楽園と好文亭について少しだけ触れていこうと思います。
茨城県水戸市にある「偕楽園(かいらくえん)」は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並び「日本三名園」の一つに数えられる歴史ある庭園として知られています。

江戸時代末期の1842年、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公によって造られました。
当時としては珍しく一般の人々にも広く開かれた画期的な庭園でした。
園内には約100種(約3000本)の梅が植えられ、春には多くの花々が一斉に咲いた風景は訪れる人々を楽しませてくれるのではないでしょうか。


今回のお話のテーマでもある「好文亭」は園内の中心的な建築です。
ここは徳川斉昭公が自ら設計したとされる木造建築で、文人や臣下、家族を招いて詩歌の会や養老の宴を催す場(別荘的な建築)として使われました。

「好文」とは梅の異名です。晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事にもとづいて斉昭が名づけました。
昭和20年(1945年)8月2日未明の水戸空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元され現在に至っています。
見どころの一つに好文亭の3階「楽寿楼」(らくじゅろう)からの眺めは千波湖や遠くの山々を一望でき、当時の趣を感じることができます。

こうした歴史と自然が織りなす水戸を代表する名所には多くの人が訪れています。
|壁が消えた建築

“現代の住宅とは真逆の建築”
好文亭に来てみるとそんな言葉が浮かんできます。

今、ハウスメーカー等が建てている住宅を見ているとベースは木造であるものの、多くの壁でふさいだ「壁の建築」という印象を受けます。
それは否定的な意味で言っているのではなく、耐震などの災害対策、住人のプライバシー、地域事情など今はいまで時代の要求を反映した住宅の造りになっていることは承知しています。
ただ、そうした環境が「普通」に生きている自分にとって、好文亭の開放感、空洞感が現代住宅とは反対に位置する建築だなぁ、と強く印象づけられたのかもしれません。

壁面がなく空洞化していることに気づく
もう少し好文亭の空間を見ていくと
開放的な空間にしているということは壁の存在が消えていることだとも言えると思います。
好文亭には今でいう「壁」はほぼ存在しません。
あるのは建具で、障子や襖、板戸(雨戸)などが壁の役割を負っています。
さらに建具は動く道具です。なので、閉じる、開けるが自在となって開放的な空間をつくることが可能となっていると考えられます。


そんな周囲が開け放たれた部屋には、風、音、そして季節特有の気候が取り込まれ、さらに3階の楽寿楼からの眺めは最高で、ただただ気持ちの良さを感じさせてくれます。

藩主である徳川斉昭公だからこその建築であるということは前提に、人をもてなす場所として、あるいは一人で思案する場所としても最適な環境を生み出していると思います。
日本的な空間(部屋)とは、こんなにも豊かさを味わえるのだなぁ、改めて実感させられます。

まだ残暑が残る時期は続きますが、暑さも落ち着いた紅葉の季節に訪れてはいかがでしょうか。
春も良さそうですね。
ということで
ここまでご覧いただきありがとうございました。
この辺りで失礼します。
ではまた

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