#14 進化論と虚像の鏡🪞

「これって、人間の化石だ!」
リビングのテレビからは、縄文時代の埋葬習慣を解説するドキュメンタリーが流れていた。
「胎児の格好を死者にさせた」というナレーションに、翼は目を輝かせながら画面のすぐそばへ寄っていく。
「翼、近すぎるぞ。もう少し離れろ」
岩雄の注意もどこ吹く風で、翼は恐竜図鑑にはない事実に釘付けになっている。
「……なんで胎児?赤ちゃんなの? あ、輪廻転生だから?」
翼の言葉に、岩雄は目を見開いた。
「……そんな難しいこと、なんで知ってるんだ?」
「難しくないよ。だって、わかるもん」
「へぇ、あったまいい、形してんなぁ」
「頭いいってこと?」
「違う違う。頭の形がいいんだねってことだよ」
「じぃじの言ってることの方が難しいな」
翼は眉間に皺をよせて、わざと淡々と言葉を継ぐ。
「あとね縄文人はね、男もみんなで子守りしてたんだって。男の人の骨におんぶの跡があるんだよ。じぃじはおんぶの跡、ある?」
岩雄は待ってましたとばかりにふんぞり返った。
「おう、翼、いい質問だ。じぃじは千鶴の、ママのお兄ちゃんが小さかったときな、毎週末つきっきりで野球を見てやったんだ。我が家の子守り第一人者は俺だぞ」
その瞬間、掃除機をかけていた須美江の手がピタッと止まる。握りしめる手に、ギチギチと音が鳴るほどの力がこもった。
「……よくそんな大嘘がヘラヘラと吐けるわね」
「嘘なもんか。ノックだって千本は打ったぞ!」
「あんたがやったのは、自分の趣味に息子を付き合わせただけ! 泥だらけの服を洗ったこともないでしょう!オムツを替えたことは? 離乳食を作ったことは? ないでしょうが!それのなにが子育てに参加したなのよ!」
ヒステリックな声が響き、翼は反射的に耳を塞ぐ。翼にとって、怒鳴り声は何よりも避けるべき「悪」だった。
「じぃじ、怒られて可哀想」
「翼~……♡」
二人の男たちは、まるで傷を舐め合うようにして絆を深めていく。
一通り怒鳴ってトイレ掃除にいく須美江。
長年積もっていた須美江の怒りは収まりそうになかった。
縄文人のドキュメンタリーに飽きた翼は、タブレットで好きな動画を見ている。
それを横目に、岩雄はテレビのチャンネルを野球に変えた。
ソファに根を下ろし続ける岩雄に、トイレ掃除を終えた須美江は、再び掃除機の先を向ける。
「もう!! ずっとそこにいられたら片付かないのよ! テレビばかり観てないで、翼くんと公園に行ってきてちょうだい」
「えぇ、今からいいところなんだよ。だいたいさ、子育てってのは女の方が向いてるって、遥か昔から決まってるんだ」
須美江の掃除機を持つ手に、再び力がこもる。
「じゃあ訊くけど、男は何に向いてんのよ」
「そりゃ仕事、つまり狩りだろう。何千年も前から男は外でマンモスを追っかけて、命がけで食材を持って帰る役割だったんだから」
「その当時だって狩りだけしてたわけじゃないでしょ!第一、今はスーパーで何でも買えるの。その買い出しに行かせたら、高い肉ばかりカゴに入れる子どもみたいな人に何を期待しろっての。いい加減、進化しなさいよ」
岩雄はソファのクッションに頭を埋め、めんどくさそうに呟いた。
「進化って言ったってなぁ……。買い物のやり方を教えてくれたらできるさ」
「進化を誰かに手取り足取り教えてもらえると思わないでよ! あたしたち女は、体だけじゃなくて脳みそも使ってより良い選択肢を探してきたの。自分で生存戦略を考えないと、環境の変化に適応できなくて絶滅するのよ!」
翼が横から話す。
「ネアンデルタール人は変化についていけなかった。でもホモ・サピエンスは助け合って、生き方を変えたから生き残ったんだよ。」
老夫婦は、へぇ〜、と息のあった感嘆の声を漏らす。
「じぃじは、なんでも食べるから絶滅しないよ」
リモコンをパチパチと叩きながら、岩雄は苦しい言い訳を重ねる。
「それに、敵襲とかいざって時のために、男は常に体力を温存してないといけなかったんだぞ」
「平和ボケの日本人がエアコンの効いた部屋で体力を溜め込んでいついざって時が来るっていうのよ! 地震の時だって、私を置いてさっさと逃げたでしょうが! ほら、屁理屈捏ねてないで、さっさといく!」
「はいはい。公園で貝塚でも発掘するかなぁ」
「えー、僕別に行きたくないよー」
「翼〜、公園で化石探しに行くかぁ?」
「え!? あるの!?」
「わからん。わからんから行くんだ」
渋々ながらも、翼は岩雄の誘いに乗った。
襖一枚を隔てた暗い寝室。額に冷えピタを貼った千鶴は、薄暗い布団の中で天井の木目を見つめていた。
鼻が詰まってきて、喉が痛い。
幼い頃から、両親のこの声をずっと聞いて育ってきた。母の鋭くヒステリックな正論と、それをのらりくらりとかわす父の呑気なため息。
他人に話せば、ユーモラスで楽しい会話だろうか。
──しんどい。
その不協和音が、千鶴の脳を昔から人知れず削り取っている。
二人は決して悪人ではない。喧嘩ばかりに見えて、確かな調和と信頼でこの家を守ってきた、世間から見れば「まともで温かい家庭」だ。
だからこそ、千鶴はこの息苦しさを誰にも吐き出せなかった。良い両親に従えない自分が歪んでいるのだと、自分自身を封じ込めてきた。
須美江がかつて、絶対的な母・セツという「正しさ」に逆らえず従い続けたように、千鶴もまた、親の「優しさ」という名の檻の中にいた。
遠くで須美江がバタバタと掃除機をかける音がする。
岩雄は、女系家族で育ったから、女のヒステリックには慣れている。
だから岩雄は須美江に怒鳴り返すことはしない。
その代わり、このヒステリックが幼い子どもに向いていることにも、無関心だった。
岩雄は心の奥底で、「女はヒステリックに感情を叫ぶ生き物」だったし、だからこそ「子育てしかできない」と無意識に思っている。
千鶴は、父・岩雄のそういう言外の無意識も感じ取ってしまう。
それはなんとも重たい感覚だった。
本来は、子どもには不要な重荷だった。
そのせいか、成人してからの自分もかつての恋人たちにヒステリックに怒鳴っては、須美江に似ないように、本などから気持ちの落ち着け方を習った。
千鶴は、胃の奥からせり上がってくる熱に耐えるように、毛布をきゅっと握りしめた。
その二時間後、泥だらけになって帰ってきた翼を見て、須美江は再び悲鳴を上げることになる。
オリジナル小説
のぼりおり
──多幸感ある異常な日常──
第14話
進化論と虚像の鏡
続き準備中🌱
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