【連載】幕末志士と兵たちの信仰 《第13話》 攘夷而後、国可開 ① feat. 長州ファイブ - 毒をもって毒を制す - from 大和イズム
前回
生きてこそfeat. 桂小五郎
《 前編 / 中編 / 後編 》
楽しんでもろたやろか?
「識」の 高杉晋作
「才」の 久坂玄瑞
だけやない
第三の男
桂小五郎(後の木戸孝允)
革命の震源地
吉田松陰の弟子たちが
貫き通した
それぞれの信念の物語
小五郎の前にやった
高杉と久坂の物語も含めて
長州藩を中心に
幕末を見てきたんやけど、、、
長州
と言えば
長州ファイブや😎
えっ⁉︎
知らん?😅
高杉晋作 編
の時に
英国公使館を
焼き討ちにした話あったやん?
そん時
実行犯やった
伊藤俊輔(後の伊藤博文)
井上聞多(後の井上馨)
この
2人を含めた5人が
わずか
数ヶ月後
公使館を焼き討ちした
攘夷対象の英国へ密航留学すんねん😄
矛盾というか
節操がないというか、、、
しかし
この矛盾こそが
長州藩の戦略であり
強さやった
長州藩の
重役
周布政之助
(すふ まさのすけ)
彼はこんな言葉を
残しとる
「攘夷而後、国可開 」
(いを じょうして のち くに ひらく べし)
つまり
まずは戦ったとして
勝てるレベルに至ってこそ
本当の意味で
国を開く事が出来る
という
リアリズムやねん
攘夷 とは
外敵の侵略を退けて自国民を守ること や
この根本的な概念と
目的は変えず
どうやったら
外国から民を守れるんか?
という
課題に対し
ただ闇雲に
排除しようとするんやなくて
現実的に
勝てるプロセスを構築しようとした
その結果
パっと見たら
180度方向転換したかの様な
矛盾にも思える
英国留学という手段をとったわけや
攘夷派どうしでも
喧嘩になってまうような転換や
心理的にも
飲み込み難い話やねんけど
攘夷
急先鋒たちによる
この逆説的な
英国留学という方法論こそ
後の倒幕
だけではなく
明治維新の
急激な国力強化に繋がるわけや
そういう意味で
幕末における
英雄っちゅうよりか
明治維新の
立役者である5人のヒーロー
長州ファイブの魅力
きっちりお届けしていくでー!

✦ ✦ ✦
第一章:
パラダイムシフト

なんで
長州藩は
英国への
密航留学という
選択を
することが出来たんか?
時代を少し遡る
アヘン戦争
1840年〜1842年
中国大陸の覇権を握っていた
超大国 清 が
イギリスに完膚なきまでに
打ち破られた
この衝撃は
日本中の志士たちに
強烈な
危機感を与えた
ごりごりの攘夷派である
高杉晋作でさえ
上海渡航の際に
その現実を目の当たりにして
「ただ『攘夷や』と叫ぶだけではあかん」
「敵を知らんかったら戦えへん」
という
発想に至ったほどや
そんな大事件が
世界を席巻したこともあって
長州藩は
更にもう一歩踏み込むことにした
つまり
敵を知る
だけやなくて
敵の技術や能力を
学び取ってしまおうと考えた
これこそ
長州ファイブが
結成されることになった理由や
(まじでヒーロー的な脚本😁)
そのためには
優秀な精鋭を敵地に送り込み
直接的に
もち帰ってくるしかない
それこそ
周布政之助が
辿り着いた結論やった
しかし
大きな問題があった
鎖国していた
江戸幕府政権下において
海外渡航は
見つかれば即刻死罪の重罪
幕府が固く禁じた
タブー中のタブーやった
それでも
周布は
若者たちの海外渡航を
後押しする
藩の将来のため
日本の未来のため
そう
判断したんや
尊皇攘夷を
強く信奉しながらも
同時に
現実的な戦略眼を
持っとった
それが
周布政之助
という人物やった
一見すると
矛盾を抱えて進む姿勢
これもまた
思想が入り乱れた幕末の日常
信仰の多様性
やったんやと思う
✦ ✦ ✦
第二章:
出港

英国留学に
選ばれた5人は
明治維新後にも
活躍する下記のメンバーや
井上聞多(馨)
伊藤俊輔(博文)
遠藤謹助
山尾庸三
野村弥吉(井上勝)
※()内は後の名前
5人は攘夷を信仰する
過激派やった
井上馨と伊藤博文に
至っては
英国公使館
焼き討ちの実行犯で
焼き討ちの
数ヶ月後に英国へ密航留学😇
渡航費用は
一人あたり千両
5人で5千両やと
今の感覚で1〜2億の間くらいや
当時としても
もうちょい出したら軍艦を買える
レベルの大金や😁
長州藩最高幹部やった
周布政之助は
江戸の下屋敷に保管していた
軍資金の管理者
村田蔵六を説得して
5000両を捻り出させる
因みに
村田蔵六っちゅうのは
後の初代陸軍総司令官 大村益次郎 や
因みに
大村益次郎はこの時にfeat.しとるて😄
さらに
幕府には取引を
武器発注費用に見せかけて処理し
横浜にあったイギリスの商社
ジャーディン・マセソン商会を通じて
英国で使えるポンドに
マネーロンダリングするという周到さ
かくして
1863年6月27日
旧暦 文久3年5月12日
長州ファイブは
横浜港から密かに出港した
因みに
同じ長州藩
尊王攘夷派の久坂玄瑞が
下関で米商船を
砲撃した日のたった2日後や😇
表では
実力で外国船を攻撃し
その裏で
外国に精鋭を密航留学させる
同じ長州藩の中で
正反対に見える事が進行しとる
(メンヘラ政権😅)
しかし
実は
矛盾しとらん
久坂玄瑞は
最短で外国と戦うという攘夷
長州ファイブは
将来のために学ぶという攘夷
これらは
同じ目的に対する
異なる
アプローチなだけや
だって
仲間が学びに行ってる間に
何もせんかったら
その間に
どんどん外国が侵食して来たら?
短期戦略と中長期戦略
どっちが大事かって
簡単に割り切れるもんやないねん
寧ろ
同時に両方進めると言う
恐るべき胆力と戦略眼やないか?
これぞ
革命の震源地たる
長州藩の
強さの一端やったと思うで😁
✦ ✦ ✦
第三章:
未来の器

5人を
乗せた船は
まず最初に
上海を経由した
手引きをしたんは
ジャーディン・マセソン商会
長州藩が蒸気船を
購入しとった英国の貿易商社や
上海に着いた5人は
支店長と面談
英語が少し出来た
井上馨がメインで会話を返す際
海軍について
学びたいと言おうとして
が間違って
もしくは混同して伝わってしまう😅
これに対して
支店長は
と解釈し
粋な計らいをする
結果
伊藤博文と井上馨の2人は
英国に向かう途中
地獄のような
水夫修行をさせられる羽目になった😁
乗客料金を
払っとったのに
せっかくやから
ええ経験をさせたるわ
という
有難いご好意により
新入り水夫として
こき使われることになってもうた😄
プライドが高い
上級武士なら怒り狂うとこや
しかし
下級武士の家系やった2人は
普通に我慢した😄
というか
個人的なプライドより
持ち帰る知識や技術の方が大事や
せやから
自我は脇に置いといて
国の為に
知識と技術を持ち帰る器に徹した
寧ろ
それこそが
長州ファイブとしての
プライドやったんかも知らんな😄
これもまた
一つの信仰のカタチっちゅう事や
因みに
船は2隻に分かれており
伊藤らと別の船に乗った3人は
乗客として
快適な船旅を楽しんだという
そして
それぞれに
有意義な日々を過ごしつつ
出国から
およそ4ヶ月半後の冬
長州ファイブは
英国首都 ロンドンに降り立つ
✦ ✦ ✦
第四章:
ロンドンでの日々

ロンドンで
5人はUCLに入学する
University College London
(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)
当時のオックスフォードや
ケンブリッジは
特定の宗教
特定の階級の者しか
入学を
許さへんかった
せやけど
UCLは違ったんよ
1826年設立で
新しいという事もあり
宗教も
人種も階級も問わず
すべての
学徒に門戸を開いとった
極東から来た
見かけない連中でも
学びを求める者なら
分け隔てなく受け入れてくれる場所
それが
UCLやった
5人は
聴講生として
法文学部に
入学する
滞在中
彼らを支えたんが
アレキサンダー・
ウィリアムソンという教授で
伊藤・井上・遠藤は
この教授の家に寄宿しとった
そして
もう一つ
素敵な出会いがあった
薩摩藩からも
密航留学生たちがおった
通称
薩摩スチューデント
遠藤・山尾・野村
3人は彼らと交流を持つ
因みに
薩摩スチューデントにも
豪華な
顔ぶれが揃っとった
後に
初代文部大臣となる 森有礼
同じく
後の外務卿 寺島宗則
大阪商工会議所 初代会頭
五代友厚
東京国立博物館 設立者
町田久成
そして
当時
最年少13歳
後に
カリフォルニアでワイン王となる長沢鼎
薩摩と長州
藩としては対立しとった時代
次世代の国士たちは
すでに手を取り合っとったよ😄
こう言うんも
歴史の面白い伏線やと思わへん?
✦ ✦ ✦
最後に

攘夷の急先鋒やった
5人の若者は
「攘夷」を達成する為に
攘夷相手の本国へ密航留学した
毒をもって毒を制す
この密航留学を
指導した周布政之助は
という
言葉を残しとる
冒頭で言うた通り
攘夷の本質は
外敵の侵略を退ける事により
自国民を守ることや
排除することは
手段の一つであって正義ではない
毒をもって毒を制し
真の意味で国を開いて国民を守る
その思想を
受け継いだ5人は
自我を脇に置き
未来の国家の為に学んだ
生きた器として
知識と知恵と技術を吸収し続けた
今日は
一旦ここまでやけど
この物語は
これからが本番やねん😎
この5人が
日本にどんな貢献をするんか?
楽しみに
なって来たやろう?
とは言え
幕末の激動期は待ってくれへん😅
1864年
3月
5人の元にも
下関戦争の報せが届く
欧米 四カ国連合艦隊が
下関を攻撃したという衝撃ニュース
井上と伊藤は
すぐに帰国する事にし
遠藤・山尾・野村は
ロンドンに残って学びを続ける事にした
長州ファイブは
ここから別々の道に分かれる
因みにやけど
井上と伊藤の帰国は
本国からの
命令や依頼ではなく
本人達の
完全なる自己判断や
相当なる
危機感と焦りやった
2人は
帰国にあたり
英国の
外交官らに対して
と直訴しとる
英国側は
この熱意に押され
2人の緊急帰国を
サポートしたっていう話や
これ
めっちゃ胸熱やない?
遠いロンドンの
空の下
敵であるはずの
英国側の外交官たちの判断が
長州を救い
討幕と維新を加速させた可能性
日英の絆は
この時から始まったんかもな
(知らんけど😄)
ほんで
もしかしたら
お察しの方も居るかもやけど
薩摩スチューデントと
交流をしたんが
遠藤・山尾・野村の
3人だけやった理由というのは
井上・伊藤
2人が先に緊急帰国した後で
薩摩スチューデントが
UCLに到着したからやったという訳や
薩摩側は
1865年に到着やったから
長州ファイブより
2年ほど遅かった感じやね
もう一つ
因みにやねんけど
長州ファイブの
生みの親
周布政之助が
その後どうなったんか?
やねんけど、、、
1864年
禁門の変
その混乱の責任を取り
自刃する
享年 41歳
送り出した
5人の若者たちの帰国も
その後の
活躍も見届けられんかった
吉田松陰と
同じく
種を蒔いた者が
実りを見る事なく先に逝く
幕末における
思想のリレーは此処にもあった
切ないけど
その種は確かに実って行く
それこそが
一番の餞とばかりに
次回
幕末志士と兵たちの信仰《第14話》
攘夷而後、国可開 feat. 井上馨 & 伊藤博文
先に
帰国した
井上馨 と 伊藤博文
英国公使館を
焼き討ちした実行犯の2人が
開国派の中心人物に
転じていく物語をお伝えしたいと思う
次回も
お楽しみに
筆者:Khaosan
😇波乱万丈な人生はこちら
😁チップ箱はこちら
【次回記事】
▼9/14配信開始

攘夷而後、国可開 ② feat. 井上馨 & 伊藤博文
- 毒をもって毒を制す -
【付録】 まとめ資料
【Khaosanの舞台裏】
大学中退のバンドマンが、遅めの社会デビューから叩き上げて、マニラで散って、再生して、20年を越えるBiz-dev人生の修羅場を通じて《日本精神》に辿り着いた。
その真相と現代ビジネスに効く独自考察を高尾から発信してます!
そんな Khaosan の 波乱万丈な人生 とこれまでの 全考察記事一覧 は、このリンク先で包み隠さず大公開中やで 😁
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📝 この記事について
この記事は学術的な通説とは異なる点を多く含んでおります。あくまで一つの「妄想」として楽しんでもらえたら嬉しいです。
この記事は、AI戦略アシスタント「コマちゃん」との対話をベースに執筆しました。
Khaosan / 2026年9月
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