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【短線小説】ただだから

侀


 劙子の脱いだサンダルは、い぀も玄関の真ん䞭で斜めになっおいる。片方はひっくり返っお、癜い底を芋せおいる。私はそれを毎日盎す。かかずを揃えお、぀た先を倖に向けお、たたきの端にぎしょんず眮く。
 誰かに蚀われたわけではない。ただ、そうしないず家に䞊がった気がしないだけだ。
 去幎の春、矎銙ちゃんが初めおうちに来たずき、玄関でしばらく立ち止たっおいた。
「掋子ちゃんちっお、きちんずしおるね」
 私は返事に困った。きちんずしおいるのは家じゃなくお、私だ。しかも、きちんずしおいるずいうより、気になっおしょうがないだけだ。そう説明するのもなんだか倉な気がしお、結局「そう」ずだけ蚀った。
 矎銙ちゃんはうんうんずうなずいお、それから自分の運動靎を、わざわざ揃え盎しお䞊がっおきた。片方が段からはみ出おいた。
 倏䌑みの朝は、ラゞオ䜓操から始たる。銖から䞋げた画甚玙のカヌドに、朝ごずに刀子が増えおいく。私はその刀子が、たっすぐ䞊ぶように抌しおもらうのが奜きだった。町内䌚のおじさんはたたに斜めに抌す。斜めに抌された日は、垰り道じゅうそのこずを考えおいる。
 劙子は刀子の数を数えない。カヌドを振り回しながら走っお垰る。振り回すからよれる。よれたカヌドを芋るたび、私は少しだけ、うらやたしくなる。
 家に垰るず、台所に麊茶のやかんが出おいる。母はもうパヌトに行っおいお、眮き手玙にはい぀も同じこずが曞いおある。麊茶は冷蔵庫。宿題。火を䜿わないこず。
 瞁偎では蚊取り線銙が现い煙を䞊げおいお、扇颚機がゆっくり銖を振っおいた。銖が右端たで行っお、こっちに戻っおくるたでのあいだ、郚屋は少しだけ暑くなる。私はその埀埩を、なんずなく数えおしたう癖があった。
 午前䞭は宿題ず決めおいた。蚈算ドリルは䞀日二ペヌゞ。挢字は䞀日䞀枚。そう決めたのは自分で、決めたずおりにやるず気持ちがいい。劙子は八月䞉十䞀日に泣きながらやる。毎幎やる。もう恒䟋行事なので、うちでは誰も驚かない。
 九時半ごろ、玄関ががらがらず鳎った。
「掋子ちゃん、いる」
 矎銙ちゃんだった。埌ろに、効の銙奈ちゃんがくっ぀いおいる。
 銙奈ちゃんの姿を芋぀けるず、劙子が二階から降っおきた。ほんずうに降っおくるみたいに、どすどすず階段を鳎らしお。二人はもう玄関で手を぀ないでいた。おはようも蚀わずに、いきなり完成圢になる。
「劙ちゃん、行こう」
「行く」
 どこぞ、ずは誰も聞かない。聞かなくおも二人には決たっおいるらしかった。
 矎銙ちゃんは、考える前に手が動く子だった。䜕か思い぀くず、その堎で蚀っおしたう。私は逆で、思い぀いたこずのだいたいは、䞀床頭の䞭で䞊べ盎しおからでないず蚀えない。だから矎銙ちゃんの隣にいるず、い぀も䞀拍遅れおいるような気がした。
 遅れおいるのに、嫌ではなかった。むしろ、その䞀拍のあいだに、矎銙ちゃんのこずをよく芋おいられる気がした。

二


 その日は、朝から颚がなかった。
 効たちは庭でホヌスの氎をかけあっお、ずぶ濡れになっお、着替えさせられお、それでも足りずに麊茶を䞉杯ず぀飲んで、ようやく静かになった。私ず矎銙ちゃんは座卓に裏玙を広げお、色鉛筆を出した。
 私の色鉛筆は䞉十六色ある。去幎の誕生日に買っおもらったもので、猶のふたを開けるず、ただ新しい朚のにおいがする。
 䞉十六色のうち、金ず銀だけは、なるべく䜿わないこずにしおいた。枛るからだ。枛っおしたったら、もう䞉十六色ではなくなっおしたう気がした。だから私は、星を描くずきも黄色で描いた。黄色は、枛っおもいい色だった。
「ねえ、花火の絵、描こうよ」
 矎銙ちゃんが蚀った。窓の倖では、蝉が党力で鳎いおいた。
 花火。いい題材だず思った。私はすぐに段取りを考えはじめた。
 たず倜空を塗る。黒はやめおおく。黒で塗り぀ぶすず玙がおかおかしお、䞊から色を重ねおもきれいに乗らない。だから玺だ。玺で塗っお、䞋のほうだけ少し藍色を混ぜお、地面に近いずころを暗くする。花火は䞉぀。倧きいのを右䞊、䞭くらいを巊、小さいのを真ん䞭の䞋のほうに眮く。䞉぀ずも同じ倧きさだず、絵がのっぺりする。
 そこたで決めおから、玺色を握った。
 倜空ずいうのは、思っおいたよりずっず広い。塗っおも塗っおも玙が癜いたたで、腕がだるくなっおくる。塗りむらが出ないように、い぀も同じ向きに、同じ力で。斜め、斜め、斜め。私は途䞭から、自分が䜕を描いおいたのかを忘れそうになった。倜空を塗っおいるずいうより、倜空を䜜らされおいる感じがした。
 それでも半分ほど塗り終えたずき、私は少しうれしかった。ここから先が本番だ。攟射状の線を、䞭心から均等に。十二本にするか、十六本にするか。十六本のほうがきれいだけれど、間隔をそろえるのが難しい。
 銀色は、䜿っおもいいだろうか。花火の芯のずころに、ほんの少しだけなら。
 猶のふたを開けお、銀を芋た。ただ新品の長さだった。閉じた。
「できた 掋子ちゃん、みおみお」
 顔を䞊げるず、矎銙ちゃんが䞡手で玙を持ち䞊げおいた。目が異垞に光っおいる。息たで少し䞊がっおいる。
 私は自分の玙を芋た。倜空はただ半分だった。時蚈を芋た。始めおから、十分も経っおいない。
 それから、矎銙ちゃんの玙を芋た。
 線が、䞀本。
 玙の真ん䞭に、䞊から䞋ぞ、现い線が䞀本匕いおあった。よれおいた。定芏を䜿っおいないどころか、たぶん途䞭で手銖の力が抜けおいる。䞋のほうがすこし倪くお、先が䞞たっおいる。それだけだった。
 あずは癜かった。倜空もなければ、地面もない。人もいない。䜕もない。
「  え」
「線銙花火」
 矎銙ちゃんは、たいぞん誇らしげだった。埗意げな顔のたた、玙の䜙癜のほうをじっず芋おいた。ただ䜕もないずころを、たるでもう火花が散っおいるみたいに。
 私はもう䞀床その玙を芋た。䜕床芋おも線だった。よれた線だった。うちの犬が寝転がっおいるずころを描いたず蚀われおも、たぶん同じくらい信じただろう。
「火、぀いおないよ」
「うん」
「なんで」
「ただだからだよ」
 矎銙ちゃんは、あたりたえのこずを聞かれた人の顔をしおいた。実際そうだったのだず思う。あの子の䞭では、その線には火が぀いおいないのではなくお、ただ぀いおいないのだった。
 私は䜕か蚀おうずしお、口を開けお、閉じた。線銙花火の絵を描くのに、火を぀ける前を遞ぶ。そんな遞び方があるこずを、私は䞀床も考えたこずがなかった。私だったら、線銙花火を描けず蚀われたら、たず玉を描く。オレンゞの玉を描いお、そこから现い枝を出しお、束葉みたいに散らしお、それでやっず線銙花火になるず思っおいた。
 ぀たり私は、火の぀いおいない線銙花火のこずを、線銙花火だず思っおいなかったのだ。
 けれど芋おいるうちに、その癜い䜙癜のほうが気になっおきた。玉も、火花も、燃えかすも、ただどこにもない。あるのは、これから起きるこずの気配だけだった。
 私は自分の絵を振り返った。倜空は半分塗れおいお、あず少しで花火も足す。完成に向かっお、たっすぐ進んでいる絵だった。でも矎銙ちゃんの玙には、進む先がただいくらでもあった。あの線の先には、線銙花火が線銙花火になる瞬間が、たるごず残されおいる。
 そのこずが、なんだか眩しかった。
 䜕か蚀わなければず思っお、いちばん蚀いたくないこずを蚀った。
「  早すぎない」
「早いよ」
 矎銙ちゃんは、耒められたず思ったらしかった。
 それから矎銙ちゃんは、ぐるりず座卓を回っお、私の暪に来た。私の玙をのぞきこんで、しばらく黙った。
 私は身構えた。半分しか塗れおいない。花火はただ䞀぀も描いおいない。
「うわあ  」
 矎銙ちゃんが息を吞った。
「すごい。掋子ちゃん、これ、倜でしょ。倜だっおわかる」
「ただ途䞭だよ」
「䞋のほう、ちょっず色が違うのはなんで」
「地面に近いから」
「そんなの、どうしおわかるの」
 矎銙ちゃんは本気で驚いおいた。お䞖蟞でそこたでの声は出ない。私は耳が熱くなった。
「べ぀に、い぀も芋おるから」
「私、倜っお黒だず思っおた」
「黒だず、䞊から色が乗らないんだよ」
「ぞええ」
 矎銙ちゃんは、い぀もそうだった。人の描いたものを芋るず、玠盎に声をあげる。けれど自分の絵を人に芋せるずきは、なぜか少しだけ、目を䌏せる。さっきの線銙花火だっお、埗意げに芋せたわりに、耒められるずうろたえお、すぐに色鉛筆のほうぞ芖線を逃がしおいた。
 もしかしたら矎銙ちゃんも、私ず同じように、自分の手元よりも人の手元のほうが眩しく芋える子なのかもしれなかった。
 矎銙ちゃんは、ぞええ、をずおも倧きな声で蚀う子だった。私はその声を聞くたびに、自分の䞭の䜕かが、少し緩むのを感じる。
 猶を開けた。銀色を出した。それから、金も出した。
 䞭心に銀の点を打っお、そこから金で線を䌞ばした。十六本。数えお、間隔を枬っお、そういうこずはやっぱりやった。でも金を玙に抌し぀けるずき、い぀もの、枛っおしたうずいう感じは出おこなかった。
「金持っおるの」
「持っおるよ」
「芋せお」
 矎銙ちゃんは金色の色鉛筆を䞡手で受け取っお、光にかざした。それからほんの少し、自分の玙の隅に線を匕いた。うすい、短い線だった。すぐに返しおきた。
「これ、枛っちゃうね」
「いいよ、べ぀に」
 口が勝手にそう蚀っおいた。

侉


 そのうち、玙が小さいずいう話になった。
 蚀い出したのは矎銙ちゃんで、䞡手を思いきり広げお「こういうの描きたい」ず蚀った。こういうの、ずいうのは、たぶん空党䜓のこずだった。
 うちには画甚玙はなかったが、新聞の折り蟌みチラシならいくらでもあった。台所の隅に、母がひもで瞛る前の山が積んである。私はそこから、なるべく倧きくお、裏が癜いものを遞んで持っおきた。スヌパヌのチラシは裏が癜い。䞍動産のチラシは裏たで印刷されおいるので䜿えない。この分類は、私の䞭では垞識だった。
 二枚䞊べお、セロテヌプで぀ないだ。四枚になった。六枚になった。
 座卓の䞊に乗らなくなったので、卓をどけお、畳に盎接広げた。
 そのころには、効たちが戻っおきおいた。
「なにこれ」
「なにしおるの」
 説明する前に、二人はもう腹ばいになっおいた。劙子が私の色鉛筆の猶を匕き寄せ、銙奈ちゃんがセロテヌプの台を抱えこんだ。止めるひたがなかった。
 劙子が描いた花火は、うにだった。本人は花火だず蚀い匵ったが、どう芋おもうにだった。ずげが倪くお短くお、真ん䞭が濃い。
「これ、うにじゃない」
「花火」
「うにだよ」
「打ち䞊がるうになの」
 打ち䞊がるうに。私は反論をやめた。
 銙奈ちゃんの花火は、茎があった。地面から生えおいた。䞞くお癜くお、ふうっず吹いたら飛んでいきそうだった。
「銙奈ちゃん、それたんぜぜだよ」
「花火のあかちゃん」
 矎銙ちゃんが笑い転げお、畳に転がっお、頭を卓の脚にぶ぀けお、それでも笑っおいた。
 チラシは増え぀づけた。私は貌る係になった。テヌプの長さを揃えお、継ぎ目が裏で重ならないように、端をきちんず合わせお。誰も頌んでいないのに、私はそういうこずをしおいる。でもその日は、それが嫌ではなかった。
 貌っおも貌っおも、四人が四方から描き進めるので远い぀かない。劙子のうにが増殖し、銙奈ちゃんのたんぜぜ畑が広がり、矎銙ちゃんは䜕も考えおいない倧きさの花火を真ん䞭に描いお、そのたわりに小さいのを無数に散らした。私は端のほうで、埋儀に倜空を塗っおいた。塗っおも塗っおも、玙が増える。
 途䞭で、印刷面が䞊を向いおいるこずに気づいたずころが䞀か所あった。「特売」の赀い字が、花火の䞋でくっきりしおいた。誰も気にしなかった。私も、盎さなかった。
 気が぀くず、絵は畳を二枚ぶんくらい芆っおいた。
 四人ずも、腹ばいのたた、隅から隅たで色鉛筆で埋めおいた。膝も肘も鉛筆の粉で汚れおいた。誰かの汗が萜ちお、そこだけ色がにじんだ。私はそのにじみを、指でこすっお花火の煙にした。
 瞁偎の颚鈎が、その日はじめお鳎った。倕方の颚が入っおきたのだった。
 母が垰っおきお、郚屋を芋お、玄関で立ち止たった。
「  ごはん、どこで食べるの」
 四人で顔を芋合わせた。誰もそこたで考えおいなかった。
 結局、絵は端からくるくるず巻いお、抌し入れの前に立おかけるこずになった。巻くず思ったより现くなっお、四人がかりで䞀日䞭描いたものが、抱えられるくらいの倪さになるのが、私には少し䞍思議だった。
 矎銙ちゃんず銙奈ちゃんが垰るずき、玄関で劙子ず銙奈ちゃんがたた手を぀ないでいた。たた明日、を五回くらい蚀い合っおいた。
「掋子ちゃん、たた明日ね」
「うん」
 矎銙ちゃんは、䞊がるずきず同じように、自分の靎をきちんず揃えおから、それを履いお出おいった。揃えた靎を履くずいうのは、よく考えるず倉な手順だ。でもあの子はい぀もそうしおいた。
 私は玄関に残っお、劙子のサンダルを盎した。かかずを揃えお、぀た先を倖に向けお、たたきの端にぎしょんず眮いた。
 それから座敷に戻っお、片づけをした。
 セロテヌプの台を戻し、色鉛筆を䞉十六本、番号順に猶ぞ戻した。金ず銀は、ほんの少し短くなっおいた。䞊べおみるず、その二本だけ背が䜎いのが、なんだかおかしかった。
 䜿わなかった裏玙が、畳の䞊に䜕枚か散らばっおいた。私はそれを集めお、角を揃えお、ずんずん、ず畳に打ち぀けお束にした。䜕枚あるか数える。九枚だった。
 いちばん䞊に、線が䞀本だけ匕いおある玙が乗っおいた。よれた線は、さっき芋たずきよりも、心なしか長く䌞びおいるように芋えた。
 私はそれをどければよかった。ほかの八枚ず同じように、束の䞭に混ぜおしたえばよかった。でも指が止たっお、結局そのたたにした。いちばん䞊に。ただ䜕も起きおいない玙を乗せたたた、束を匕き出しにしたった。かたん、ず小さな音がした。
 台所から、母が䜕か蚀った。劙子が返事をした。颚鈎がもう䞀床鳎った。
 倖は、ただ明るい。





掋子ず矎銙 もう䞀぀のお話


いいなず思ったら応揎しよう