30代|迷走する者が訪れる島|役を持つことの重要性
noteの世界を離れてから約半年後・・
30代という人生の岐路で大波に溺れ、
目を覚ますと辿り着いていた、この島・・・

島の森の終点が姿を現し、
森を抜ける小道を歩きながら
クリスティーヌが言います。
『もうすぐ森を抜けるわね。
ここであなたとはお別れ。
私はここまでしか行けないわ。』

『私は森を守る者。
そういう役をあてがわれてるのよ。
この島ではみんな『役』を持ってる。
それは社会に出たら、
みんなが何らかの役を持つのと同じ。
〇〇会社の〇〇さん
課長の〇〇さん
〇〇君のお父さん
これらは全部、あてがわれた役なのよ。』

『それじゃあ、
もし役がなかったらどうなると思う?
楽になるかしら?
自由になれるかしら?
多くの人が会社人としての生活を
早く遂げて、今持っている『役』という名の
服を早く脱ぎ去りたいと思っているでしょう?
そうすれば、自由が得られると思ってる。
でも、私は思うの。
人間はいい意味で役を演じていないと
ダメになる。
だから、役を脱ぎさったら
逆にきつくなるんじゃないかしらって・・』

『さっきも言ったけど、
仕事もボランティアも、
自治会の役員もいいお父さんも、
カッコいいあの人も
全て役なの。
それがあるからこそ人はそれを演じるし、
そう見られるために頑張り勉強もする。
それだけじゃなくて、役があれば、
自己肯定感も上がるし多幸感も増すわ。
もし人に役がなかったら、
それは本性を曝け出すことになる。
よく言えば、
自分自身を偽りなく表現する
なんて言えるかもしれないわね。
だけど、
本性を常に曝け出していくということは、
最初はうそ偽りなく自分の気持ちを
全て吐き出せるし、
大義名分では
『裏表なく本当の自分で接してる』
なんて言われるかもしれないけれど、
必ず近い未来、人に気を遣えなくなるのよ。』

『人は人である限り、
誰かと関わり合いながら生きていくわ。
つまり、
人として生きていく上では、
誰かに気を遣うことは必然なの。
気を遣えない人に
人は自ら近づこうとしない。
そういう窮地に陥った時に
きっと思うことでしょう・・
『あぁ、
自分はこんなに
ダメになってしまったのか・・』
って・・。
人に気を遣えなくなった人は、
少しでも恥ずかしいとか
イライラするとかっていう気持ちを感じると、
努めて気を遣ってる最中ですらも、
否応なしにそれらの感情が、
表に顔を出してくるようになるわ。
そして、
それを止められない嫌悪感から、
昔はこうじゃなかったのになんてなって、
さらにイライラしてしまう。
まさに負のスパイラルね。』

『目標を持つ。
役を持つ。
それが、
人間が人間であり続けるために必要なこと。
自分が思ったままに感情を露見し、
行動するのは動物なのよ。
その差を分けるのが、
役を持つこと。
気を遣うことなの。
一見すれば、
自分に正直に思ったことを
やりたいことをできる方が
幸せだと思いがちだけど、
実はそうではないのかもしれないのよ。
かつての私みたいに動物にならないで。
人間でいることを忘れないで。

お久しぶりですの方も、はじめましての方もこんにちは。
Kと申します。
人生の岐路という30代で迷走中の私Kです。
小さい頃に憧れたあのヒーロー。
カッコいい漫画の主人公。
大人になって見たドラマの英雄。
あの人たちなら、この苦境の時に、
イライラするでしょうか?
もうダメだとあきらめるでしょうか?

いや!
彼ら彼女らなら、
絶対に心折れずに立ち上がるはず!
そんな『メンター』のような存在。
その人たちになりきる。
それが役を持つということだと思います。

こうして今日もnoteを島から執筆しています。
最後までお目を通していただきありがとうございました。
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