40年間の末路 第20章 蟻地獄 ドキュメンタリー小説|自叙伝|30代
乃愛ちゃんを車に乗せて、その後自動車整備工場で茉梨を拾い、
帰り道のファミレスで三人で夕食を取った。
「事故が保育園の送り迎えの後だったのが、不幸中の幸いだったね」
「アナタがいてくれて本当に助かった。
でも車がないから、しばらく会社にも保育園にも行けない」
茉梨は数日会社を休み、急遽中古車を購入した。
ただでさえ離婚直後で台所事情が苦しいところへ、今度は交通事故の出費が重なった。
すると茉梨の愚痴は増えた。相談の内容も「おねだり」の色合いを帯びてきた。
茉梨や乃愛ちゃんの誕生日には、アクセサリーや服を買わされた。
そしてある日、茉梨が言った。
「ねぇ、今度のハロウィンにディズニーシーに行きたいな」
茉梨の要求はますますエスカレートしていった。
「え、それはちょっと……」
「離婚する前は元旦那と毎年行ってたけど、去年は行けなかった。
今年はいろいろあったから、気分を上げるために絶対行きたいの」
「いろいろ」とぼかしていたが、その「いろいろ」とは親権争いの元夫との喧嘩や交通事故のことなのは明白だった。そしてその責任の一端は間違いなく自分にもあり、遠回しに責任を追及された。
「……わかったよ」
こうして渋々承諾し、仁美には出張と称してデートの日程を調整した。
「気をつけてね」
「行ってくるよ」
デートの前日の金曜夕方、出張の前乗りとしてスーツ姿で家を出発する際、何も知らずに送り出してくれる仁美の姿に、胸の奥がチクリと痛んだ。
しかし、その罪悪感から目を背けるように、僕は家を出た。玄関を出ると、日が沈みかけ少し肌寒くなってきたので、急いで茉梨のアパートに向かった。
アパートに到着し、すぐに事前に用意してあった普段着に着替えたが、乃愛ちゃんの姿がなかった。
「あれ?乃愛ちゃんは?」
「日曜まで実家に預けてきた」
乃愛ちゃんも一緒に仮の家族三人で行く旅行のつもりだったが、目論見が外れ、騙された気がした。
「聞いてないよ」
「三人で行くなんて言ってないし、二人のほうが楽しめるでしょ?」
茉梨は意味深な笑みだった。
今さら踵を返して帰るわけにもいかなかった。どうにも身動きが取れないまま、部屋でテレビを観ていると、茉梨が先に風呂に入った。
しばらくして、浴室から声がした。
「ねぇ、一緒に入らない?」
これまで茉梨とは、体の関係はおろか、裸の姿を見たこともない。でも、断れば相手に恥をかかせることになるし、断って茉梨の機嫌を損ね、これまでの関係が拗れるのが怖かった。
かといって素直に応じるのも、また別の一線を越える気がして、戸惑っていたが、すでに逃れる道はなかった。
「……いいの?じゃ、入るよ」
狭い浴槽に茉梨が浸かっている間に、先に体を洗った。
茉梨と入れ替わりで湯船に入ったとき、初めて茉梨の全裸を視界に収めた。スレンダーだが、出産と授乳を経たことが窺える、少し垂れた胸。
目のやり場に困っていると、突然茉梨が言った。
「なんかオシッコしたくなった」
次の瞬間、茉梨は浴室の床で何のためらいもなく用を足し始めた。
「え、ここで?」
「トイレ行くの面倒だし、いつものことよ」
幼児のような無防備さだった。
興ざめし、苦笑いするしかなかった。
しかし、こうやって男たちを手なずけてきたのだろうか、と思うと、彼女を蔑む気持ちが芽生えてきた。
だが、そんな軽蔑とは裏腹に、僕の身体は情けないほどに正直だった。
湯気に乗って漂う21歳の生々しい雌の匂いと、目の前の無防備な肉体。
理性を裏切るように、下半身へと熱が集中していく。
自らの卑しさに激しい嫌悪感が込み上げたが、茉梨はその変化を見逃さなかった。
「ほら、こんなに元気になっちゃって」
悪戯っぽく笑いながら、茉梨は僕のペニスに手を伸ばした。
そこからはもう、為すがままだった。
風呂を出ると、二人は裸のまま布団に包まった。
部屋の灯りは常夜灯のみだった。
「こうして抱かれるの、二年ぶり……」
「離婚してから、ほかに誰かいなかったの?」
「離婚してからは、アナタが最初のひと」
「でも自分には妻子がいるし……」
「それでも私のところに来たのは、誰?」
返す言葉が、なかった。
茉梨は徐に起き上がり、タンスの引き出しを開けて、離婚前の残りだというゴムを取り出した。
「これがあるから、心配しないで」
そう言って、茉梨から唇を寄せてきた。
蟻地獄に落ちた蟻は、もがくほど深みにはまる。
踏みとどまる意志はとっくに溶けていた。
そして常夜灯の薄暗い部屋の中で、布団の擦れる音と二人の荒い息遣いが混ざり合い、性欲に支配された夜、二人は初めて交わった。
翌朝、ディズニーシーに向かうため早起きした。
隣で眠る茉梨の横顔を、しばらく眺めた。
何を考えていたか、正確には覚えていない。
ただ、風俗で遊ぶのとは違い、職場の同僚の自宅で性行為に至り、取り返しのつかない泥沼に足を踏み入れてしまった。
しかしこれから向かうのは、誰もが笑顔になる夢の国だ。昨夜の生々しい肉欲の匂いを引きずったまま、僕はどんな顔で、夢の国のきらびやかなゲートをくぐればいいのだろう。
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