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長生見度記②~長生きをしてこんな未来を見てみたいなあと夢見る江戸の人々のマンガ絵本

 未来予測の「未来記みらいき」をもじって「見度記みたいき」とタイトルをつけているが(長生きして見たいなあ)、未来予測ではなく、現実社会を茶化ちゃかしたり皮肉ひにくったりした一コママンガ的作品の二回目、中巻の紹介。

 黄表紙きびょうし長生ながいき見度記みたいき」は、朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじ作、恋川こいかわ春町はるまち画で、天明三年1783年に蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろうから刊行された。

 三巻三冊の現代語訳(解説つきの、かなりの意訳)を三回に分けて紹介している。

 


中巻

 こどもの日は端午たんご節句せっくでもある。端午たんご節句せっくには幟旗のぼりばた座敷ざしきかざる。
 
女「柏餅かしわもちでも黒酒くろざけでもどうぞ。妹が食べたがって困ります」
 今は柏餅かしわもちを食べ白酒しろざけを飲むが、未来では白酒がいつのまにやら黒酒になっていた。
客「昔はカシワの葉で包む柏餅かしわもちだけでなく、竹の葉で包むちまきというものがあったそうでござりますが、今はそんなものはありませんなあ。♪ちまき食べ食べ~という歌もあったそうです」

 


 納涼のうりょうの季節になると、大川に見番けんばん船というものが出てきて芸者を送り出すのが未来の話さ。
 見番けんばんは、吉原遊郭ゆうかくで、遊女や芸者の手配てはいまりをしたところ。未来では、それが図左の納涼のうりょう船にまで発展している。
 
恵比寿屋えびすやの船はこっちでいいかい」
「ふるとみとおなおはいないか。おーい、聞こえるか」
「おてつでいいだろう」
「おぎんとおなかが一緒では、おしゃべりばっかりだ」

 


 高輪たかなわ(東京都港区)の海手うみて新地しんちができて、高輪たかなわにあった茶屋ちゃやと並んで家がこみいってきて、暑くてたまらぬ。
 
客「高輪たかなわ茶屋ちゃやから帰るから、暑さをのがれてありがたい」
客「お銚子ちょうし三本追加がなければ帰られぬ」
芸者「七月二十六夜の月をおがみに、今年は神奈川まで行きましょう」

 二十六にじゅうろくまちといって、旧暦一月と七月の二十六夜に月見をした。その日に月見をすると、月の光の中に仏様の姿が見えるといわれた。当時、高輪たかなわで月見をすることが名所となっていた。

 


 神奈川県の大山寺たいさんじ石尊せきそん権現ごんげんの裸祭りでお参りする人が多いが、未来では女の石尊せきそんまいりが男よりも多くなる。

 石尊せきそん様のお山も、だんだん木を切って、道を広くし、家も多く建てば、天狗てんぐの住む場所もなくなるほどで、美しい参詣さんけいが多くなったので、足のはぎが白いのに見とれ、久米くめ仙人せんにんのように神通力じんつうりきを失って、杉の木から落ち、長い鼻を折って、または羽を折って、しかたないからただの山伏やまぶしとなってごまかせば、本当の山伏やまぶし山伏やまぶしかぶ天狗てんぐに売って、自分は素人しろうととなる。
 
右の子ども「あの、ほんやまほんやまが食いたい」
母親「こうやって物をかついで行くのは、大森村のわら細工ざいくではなく、大無理おおむり村の麦わらならぬ無理むりわら細工だ」
中央の女「かかさん、肩が痛い」
左の禿かむろ花魁おいらん、くたびれんした」
花魁「この子は、ばからしいの」

 


 旧暦きゅうれき七月七日の七夕たなばたは、もともと短冊たんざくに女の人が裁縫さいほうなどがうまくなるように願う行事だった。
 未来では、その短冊たんざくを十もん(20円くらい)ずつで書いて渡す。こよりをえて穴をあけたものもあり、こよりを穴に通して渡すのもあり、竹に短冊たんざくをつけ、和歌まで書いてむすんだものを売り歩く。
 この短冊たんざくを切ったときの紙くずは、再生紙にするが、白い紙と違って高く売れないので、中に白い紙もたくさんまぜて売る。
 ちなみに、この黄表紙きびょうしも再生紙でできている。
 
娘「二三枚、何も書いてないのをまぜておくれ」
代筆だいひつ「それじゃあ、みんな書いていないのにしな」
母親「七夕様とだけ書いたものが多いようじゃ。百もんは高い」
代筆屋「私が書いているのは他とは字が違うござります」

 


十一

 旧暦八月になれば、吉原では月見の会で客寄せをしてにぎやかだが、未来では、家庭で月見をするようになって、吉原へ客の来ることはない。そのため、遊郭ゆうかくは十一日ごろより二十日すぎまでは休みとなる。
 
左の遊女「月見というものは月見だんごだけで、ほかに食べ物がないものだねえ」
右の遊女「こうひまひまでは困ったものだ。いつものように酒やさかながあればいいのにね」

 


現実の江戸の生活を茶化ちゃかしながら次回へつづく、 

 


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