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石破首相辞任:自民党を出られなかった自称改革派についてまとめてみた

石破茂首相が、自民党総裁前倒し論の高まりに抗することができず、辞任を発表したのは、遠い昔のように感じます(笑)。

やれ、高市早苗だ、小泉進次郎だ、いや、中道の候補がいいとか、自民党総裁選に政局は集中していますが、そこから一歩引いて、

「自民党を出られなかった自称改革派」

でも、やってみましょうか(笑)。 

「故きを温ねて新しきを知る」

ということも大事。自民党総裁・内閣総理大臣の交代という事態をみるにあたり、石破首相のように「自民党を出られなかった自称改革派」を振り返るのも、いいんじゃないかと思う。

というのは、私は学者になる前の子どもの頃から、50年くらいは自民党政治をみてきた。さすがに「角福戦争」は知らないが、福田赳夫首相(当時)が

「天の声にも変な声がある」「敗軍の将、兵を語らず、ヘイヘイヘイ」

といって首相・総裁の座から去った初めてのフルスペックの総裁選は知っている(党員票の、当時予備選と呼ばれた結果で、福田首相は本選を辞退)。

後継の大平正芳首相は、福田前首相ら反主流派と激しく対立。反主流派が、大平退陣を求めて自民党本部にバリケードを築いた。この時、「悪いハマコー」こと、浜田幸一がバリケードを破壊して、

「いいかお前ら、自民党はお前らのためにあるんじゃない。子どもたちのためにあるんだ!」

と迷言を発した「40日抗争」。その後、野党提出の不信任案に反主流派が同調して可決。解散総選挙中に大平正芳首相が急病で死去。反主流派も一転して大平首相の弔い合戦を展開し、なんと選挙で自民党圧勝する。

自民党の権力闘争の激しさと、自民党という政党の凄まじいまでのしたたかさを示すエピソードだ。

要は言いたいことは、自民党の権力闘争というのは、魑魅魍魎跋扈し、百鬼夜行。血で血を洗う、生き馬の目を抜く、生きるか死ぬかの世界だった、ということだ。

過去形だよね。。。

そういうのをみてきた人間(子どもだったけどね)からすれば、近頃の自民党は腰抜けの集まりだよ(涙)。

自民党を変えるとかいう話が出始めたのは、80年代の後半、

「リクルート事件」

が、きっかけだったかなと思う。それまでは、造船疑獄とか戦後のゴタゴタ期の事件から、首相の収賄「ロッキード事件」まであったが、自民党を変えるという話まではならなかった。

リクルートというのは、今の若い人にとっては、人生を決める「就職活動」で非常に重要な役割の大企業だと思うけど、私らが学生だった頃は、出てきたばっかりのベンチャーだったんだよ。

その創業者が、「うちの会社の株、これから上がりまっせ」と、未公開株を有力政治家に配りまくったことが明らかになった。

株を受け取った政治家には、安倍晋三のお父さんなど、次の首相候補がみんな含まれていた。

この大スキャンダルの責任を取って、竹下登首相(当時)が退陣した後、後継首相のうーやんが「三本指でどうや」の更なるスキャンダルで参院選に大敗。自民党が今日に至るまで続く「参院で単独過半数を切る」状態に陥った。うーやん辞任後の総裁選、首相候補は誰も立候補できなくなった。

それで、リクルートの創業者も

「この人は株を配らなくていいかな」

と思ったほど、誰もが力量なしと思っていた

「海部俊樹」

が、首相になった(笑)。その時の総裁選には、石原慎太郎と、今回総裁選に出馬する林芳正官房長官の父・林義郎が出ていたんだよね。

この、当時としては自民党結党以来の危機に対して、「政治改革」が叫ばれるようになった。

猫も杓子も、それこそ自民党だけでなく、社会党や民社党、公明党を通り越して、共産党までもが「改革の党だ!」とアピールするほど、「改革アピール合戦」が繰り広げられた。

今の、「猫も杓子も減税」というのと同じだよ。どうしてこう、猫も杓子もになるんかねえ、いつも。。。。

「改革」も、結局、ほとんどの期間政権を担当する自民党が中心だったのだけれども、長年みてきた結論からいえば、

「自民党を中から改革する」

という政治家には、絶対に改革はできない。もう、これは絶対的な真理ですね。

自民党とは、権力そのものであり、日本全国津々浦々に張り巡らされた利益を生み出し、みんなで分け合おうという人脈、金脈の既得権そのものである。

自民党から政治家になるということは、その既得権を守る人たちや組織に乗るということだ。まずは、その既得権を作り、守ってきた政治家の息子が選ばれるのは当然だ。誰もいなければ、優秀な大学を出て、役所か大きな会社に入るような、見栄えのいい若者が選ばれる。

だけど、既得権側からすれば、求められるのはあくまで、「見栄えの良さ」なのだ。やってほしいことは、その見栄えの良さで、例えば「改革」を訴えるとか、世の中に綺麗に見せながら、既得権をしっかり守っていくことだ。

コバホークが最高のいい例だ。東大、財務省、ハーバード、見栄えは最高の若者だ。だけど、しょせん「壺議員」でしょ。選択的夫婦別姓は、じいさんばあさんしか周囲にいないから、「まだ議論が熟していない」など、とんちんかん。

見栄えは新しそうだが、実は、誰よりも「古色蒼然」、実に「古臭い」「昔風の日本のエリート」でしかない。

結局、コバホークのような見栄えのいい人ってのは、最初に公認候補になって地元に入る時、右も左もわからんわけだから、前任から引き継いだ後援会のいいなりだ。

「あそこに挨拶に行け、この人に頭を下げてこい」 

言われるままに、選挙区を回る。そのうち、もれなく「壺の人たち」に頭を下げて、支援をお願いすることになる。エリートだの、ハーバード出たなど、まったく関係なく、壺議員になっていくわけよ。

こういう人には、絶対に自民党の改革などできない。自民党そのものですからね。むしろ、自分で地べたを這いながら地盤を築いたのではなく、既得権に乗るエリートこそ、自民党そのものなんじゃなかろうか。だまされてはいかんよね。

そろそろ本題に入りたいが、改革を強く叫びながら、ここぞという時に腰砕けに終わった政治家の列伝をやってみたいと思う。

まずは、「加藤の乱」で、党内に混乱を引き起こすだけ引き起こして、結局なんにもなかった加藤紘一。

自民党幹事長として、90年代中盤、自民党・社民党・さきがけの「自社さ政権」を支えて、「将来の総理」間違いなしと言われた加藤紘一。当時

「YKK」

と呼ばれた、小泉純一郎、山崎拓と形成したグループの中でも、ダントツにトップの存在だった。

しかし、消費増税を巡る迷走の果てに、自民党は98年の参院選に大敗。橋本龍太郎政権が崩壊し、自社さ連立は終焉。加藤も幹事長を退任した。

後継の小渕恵三首相は、自社さと真逆の保守系の連立、自民党・自由党・公明党の自自公連立に動いた。財政再建路線を放棄し、バラマキに走った。

それに反発した加藤は、自民党総裁選に打って出たが、景気対策が効果を表し始めて内閣支持率が回復し、自自公連立を形成して安定政権を築きつつあった小渕に敗れた。

だが、病に倒れた小渕の後継首相・森喜朗が失言を連発するなどで内閣支持率が再び低迷した。

2000年11月、野党が森内閣不信任決議案を提出する動きをみせた。なんと加藤がそれに賛成、もしくは欠席すると宣言した。盟友・山崎拓もそれに同調する構えをみせた。

加藤派と山崎派が造反すれば、内閣不信任案が可決される。森内閣は総辞職か衆院解散を余儀なくされる。また、加藤派の自民党からの独立、政界再編など様々な憶測を呼んだ。

加藤は、マスメディアやウェブサイトなどを通じて世論に直接訴えた。

NHKの日曜討論に出演して、

「国民の7割の人が支持しないと言っている内閣に対し、不信任決議を反対と言えるのか?自民党員であっても、賛成もありうる」

と、事実上の造反発言をした。

一方、普及し始めたばかりだったインターネットを駆使し、世論に訴える戦術を採った。今思えばこれが、政治がインターネットを通じて国民の支持を得ようとする動きの始まりだったかもしれない。

加藤は、インターネットでの反応に、手ごたえを感じていた(なんと加藤は、「2ちゃんねらー」であることを公言していた)。

だが、加藤に対して、自民党はしたたかに動いた。まず、「YKK」と呼ばれた加藤・山崎の盟友だった小泉純一郎。

「政策の小泉から政局の小泉になる」

と宣言した。ところが、森派を割って加藤と行動を共にするかと思えばさにあらず。

「加藤は本気だ」「加藤が不信任案に賛成する」

とマスコミや党内実力者に積極的に情報を流し、加藤の決起が本物だということを一気に認知させた。野中広務幹事長ら執行部が、加藤派の切り崩しを始めた。

加藤は、派閥の一部の離脱は想定したが、不信任案を否決する人数まで切り崩されることはほとんどないと楽観していた。

だが、野中ら執行部は、加藤派切り崩し手段として、公認権を最大限活用した。内閣不信任案が可決された場合、森喜朗首相が解散総選挙に打って出る。その際、不信任案の採決に賛成したり欠席したりした議員は除名もしくは公認しない。刺客の対立候補を擁立すると圧力をかけた。

また、野中は加藤の側近・古賀誠を説得し、加藤派の大半を反加藤でまとめさせた(乱の鎮圧後、論功行賞で古賀は野中より幹事長ポストを譲られた)。

野中らの切り崩しで不信任案が否決される見通しになると、加藤・山崎は自民党を離党し、民主党と合流するとみられていた。

「私の携帯には菅さんの電話番号が入ってます」

と、野党との関係の深さを強調するようなことを語っていたからだ。加藤を軸に、自民党が分裂し、政界再編が起こるのではないかと、国民の注目を集めた。

だが、加藤にはその気はなかった。

加藤派が切り崩され、敗北を確信した加藤、山崎は、両派合同総会を開いた。それは、テレビで放送された。

加藤・山崎の2人だけが単独で議場で不信任票を投じに行くと発言する。だが、谷垣禎一が加藤の肩をつかみ、

「加藤先生は大将なんだから! 独りで突撃なんてダメですよ! 加藤先生が動く時は俺たちだってついていくんだから!」

と、懸命に慰留した。加藤は折れて、「加藤の乱」は終わった。そして、期待された不信任案否決後の、加藤の離党はなかった。テレビ出演した加藤は、

「私(加藤)は自民党内部での変革を望んでおり、国民は自民党を超えた政界の変革を望んでいた。これが大きな誤算だった」

と発言した。要するに、加藤は野党と仲良くはしていても、「二軍」のような勢力だとみなしていた。自分は、一軍で首相になる人材だと思っていたので、二軍に移るつもりはまったくなかったのだ。

そして、「加藤の乱」を鎮圧する側に回った小泉は、森首相と派閥を守ることに徹して、後に首相の座を射止めた。

首相として、「構造改革」を訴えたが、同じく改革を唱えた野党・民主党を一切相手にせず、「自民党がまだマシだ」と言ってはばからなかった。2005年の「郵政解散総選挙」では、自民党内の抵抗勢力を粉砕したが、その副産物(?)として、野党民主党にも壊滅的な打撃を与えた。

どうですか?なんか、いくつかの部分、似てると思いませんか?「加藤の乱」と「石破続投政局」。

石破首相だが、おそらくあと2日、説得を拒否し続ければ、総裁選は行われなかったと思うんだよね。そうしたら、続投となり、これは大きなことが起きたと思う。

自民党から保守派が去り、野党と自民党の穏健派で、党というしがらみがない、ほんとの意味で「ケミストリーの合う」政治家の間で、コンセンサス政治が行われる、政界再編も進んでいったと思う。

石破首相は、そういう戦いをやるつもりだった。加藤よりはその気はあっただろう。首相はかつて、自民党を離れて野党側にいたことがあったしね。

しかし、野党側を知るからこそ、野党側とかつて行動を共にし、ケミストリーが合う政治家が多数いたとしても、しょせん「二軍」と考えたのかもしれない。

結局、菅元首相と小泉農水相の「このままでは自民党は割れる」の説得に、屈してしまった。

私は、政治改革以来、30年くらいみてきて、つくづく思うのは、

「自民党の中から変える」

というのはないということだ。改革派をきどっていても、「自民党を変える」というのはダメだ。「自民党をぶっ潰す」もダメだね。しょせん、自民党の事しか考えてないからだ。

繰り返すが、自民党とは既得権の塊だ。ときほぐすことが困難な、ガチガチに固まった利益構造であり、議員とは、その中で議席を得た人。既得権の中で生きている。その前提で、改革といっても、いろんな新しいものも出てくるから、それも少し取り入れるかという話に過ぎない。

そして、その既得権の塊とは、世界の動きから離れてしまってるんですよ。それが、30年以上続いているわけだ。その動きに追いつくために日本を変えようとすれば、自民党の外に出るしかない。自民党の外にいる人しか、変えることはできない。

そのことをずっとやってきたのが

「小沢一郎」

だよね。私は、小沢に常々

「早く引退してください」

と言い続けてきた。違いも多く犯してきたからね。

自民党と二大政党になりえた「新進党」を自ら壊したこと。民主党の最初の政権交代の好機をつぶし、今の「自公政権」につながるきっかけを作った、小沢自由党と自民党・公明党の「自自公連立」。

自民党の延命に手を貸したわけだ(笑)。

消費増税政局で、民主党政権を叩き壊した離党。そして、共産党との野党共闘を推進したりとか、時に百害あって一利なしだからだ。

「壊し屋」だからね(笑)。でも、それでも、「細川護熙政権」「民主党政権」の、二度の政権交代を実現したのは、自民党を割って出た小沢だ。

失敗の経験から、痛感した部分もあるだろう。今でも、チャンスがあれば、自民党を分裂させようと手を突っ込んでくる。

今でさえ、東京都知事選の石丸現象で蓮舫惨敗、野党共闘の限界を悟るや否や(遅すぎたけどね)、野田佳彦に接近し、「中道保守路線」になんのためらいもなく舵を切る。

さらに、高市早苗に接近し、自民党を離党することを促したという噂さえある。何度も指摘してきたが、高市が政界入りした時の師匠は小沢。

政治家は、自分を政治家にしてくれた師匠との関係が一番深いものだ。あくまで噂でしかないが、小沢ならやりそうだと思ってしまう(笑)。

小沢のことをいいとか悪いとかいうつもりはない。ただ、これくらいの執念を持ち続けて、自民党を割ろうと仕掛け続けないと日本政治は変わらない。

自民党も世代交代したいっても、若手は3世議員、4世議員ばかり。先祖代々守ってきた権力と既得権を引き継ぐことばかりしか考えてない。守るために、少し改革みたいなこともやってみないとと思うくらいなんだよ。

その中で、非世襲でやっていくことの苦労の壮絶さが、茂木と高市の顔ににじみ出ているように思うけどね。








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