見出し画像

【週1書評】絶望して救われた。それでもライターでいたい(三行で撃つ:近藤康太郎)

ライターになった直後、この本を読まなくてよかった。
もしそのタイミングでこの本を読んでいたら、私はライターを諦めていたように思う。

近藤康太郎『三行で撃つ<善く、生きる>ための文章塾』(CEメディアハウス)は、いずれ必ず読まなければいけない本として、私は認識していた。2026年6月、文庫版が出版されたのをきっかけに購入して読んだ。
読んでいる途中「ああ、私は本当のライターではない」と恥ずかしくなった。過去自分が書いた文章すら恥ずかしい。まずい、この先何も書けなくなるのではないか、と恐れた。
以前、今村翔吾『作家で食っていく方法』(SB新書)を読んだとき、「ああ、だから私は作家になれなかったんだ」と思った。「本当に作家になりたいのなら、日本中のすべての編集者に営業するぐらいの覚悟がいる」と今村氏は言うのだ。作家に、小説家なるには、私には努力も胆力も足りない。
今となっては、作家になりたいという気持ちはない。しかし、ライターとして食っていきたい私にとって、それと同じ感覚を『三行で撃つ』にも感じた。つまり、「ああ、このままだと私は本物のライターになれないぞ」と思ったのである。
これを、ライターを志したすぐに読んでいたら、どうなっていただろうか、文章を書くという行為から逃げ出していたかもしれない。無知というのも、ときには役に立つものだ。

ところで、著者は文筆業を35年以上、第一線で続けてきた猛者である。培われたテクニックから哲学まで、この一冊にまとめられている。
この本の中で、人生に大きな影響を与えてくれた本たちを私は想起していた。佐藤友美『書く仕事がしたい』、土門蘭『ほんとうのことを書く練習』、浅生鴨『ぼくらは嘘でつながっている。』、井上新八『続ける思考』、永井玲衣『世界の適切な保存』……。あげればきりがない。
過去に読んだ本のエッセンスが点と点でつながっていく。もし、読む順番が『三行で撃つ』の方が先だったなら、きっと、これらの本を読んだときに「あ!『三行で撃つ』で書かれていたことだ!」と思ったに違いない。
それぐらいに、私の人生を揺さぶるエッセンスが、この本には詰まっていた。

さて、この本との旅も終盤に差し掛かり、「ああ、明日から私は書けるだろうか、いや書くけれども……」と半ば絶望しながらページめくっていた。そして、この文章に私は救われた。

 ところで、書いている最中に表れるのは、女神ではない。悪魔だ。
 ・わたしは作家ではない。偽物だ
 ・わたしは、ただの記者だ。会社員だ。主婦だ。フリーターだ。書く資格 などない
 ・わたしの書くものに、なんの価値もない
 ・わたしの書くものは、だれも興味を持たない。読んでも、だれも喜ばない
 ・わたしよりも〇〇のほうがすぐれている
 ・わたしは、わたしがなにを書きたいのか、わからない
 ・わたしは、だめだ
(中略)
 自分の敵は、自分だ。ライターになる人と、そうでない人の違いは、こうした悪魔に立ち向かった人か、どうかだ。内なる悪魔と戦い、いずれは現れる女神の訪問を受け、書き上げた人だけが、ライターになる。作家になる。

近藤康太郎『三行で撃つ<善く、生きる>ための文章塾』(CEメディアハウス)pp.321-322

本文の中で著者は「こんな文章を書く人はライターではない」「ライターならば本を千冊は読むべし」など、辛口で厳格なことを書いている。しかし、終盤にきてこの文章だ。光を感じた。ああ、やろう。私は、ライターでいたい。そう思った。

著者からすればライターと名乗る資格など私にはないのだろう。けれど、一度この道に足を踏み入れてしまったのだ。もう、元の正気の世界には戻りたくない。戻れない。
まだまだ私は生ぬるい。やるしかない。やってやりたい。
きっとこれからも、私は何度もこの本を読み返すだろう。この一冊との出会いに、ひたすら感謝したい。

それではまた来週。


近藤康太郎『三行で撃つ<善く、生きる>ための文章塾』(CEメディアハウス)


こちらもおすすめです。

そのほかの書評はこちらから。

ポートフォリオはこちらです。


いいなと思ったら応援しよう!