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「子どもにイライラする」「良い母親でいなければならない」って、ほんとにそう?

こんにちは。

ゆきよちゃんです🌿

先日、みゆさんの記事を読んでいて、

「母親だから我慢する」

という言葉が目に留まりました。

みゆさんが書いていたのは、

「『母親だから我慢する』を手放して、自分を整える時間を持てるようになった」

というお話。

読んでいて、

「ああ、私もそうだったな」

と思いました。

子どもにイライラしても、

「母親なんだから、ちゃんとしなきゃ」

疲れていても、

「子どもを優先しなきゃ」

本当は嫌でも、

「母親なんだから我慢しなきゃ」

そんなふうに、

自分の気持ちよりも、

「良い母親であること」を優先していた時期があったんです。

でも、

今振り返ると、

私は「良い母親になろう」としていたというより、

「良い母親でいなければならない」

というものを、

いつの間にか自分の中に作っていたのかもしれません。

だから、

今日はこの問いを、

自分自身にも向けてみたいと思います。

「良い母親でいなければならない」って、ほんとにそう?



🌿 娘の癇癪が、本当に大変だった

娘が小さい頃、

本当に大変な時期がありました。

娘は、

一度泣き始めると、

酷いときは6時間くらい泣き続けることがありました。

しかも、

地球が割れんばかりの声で。😂

学校でも、

1時間目に同じクラスの誰かが先生に叱られる。

すると、

自分のことのように泣き始める。

そして、

6時間目までずっと泣いている。

「え?

そこなの?」

と、

私は何度思ったかわかりません。

娘自身も今、

当時の自分を振り返って、

「スーパーネガティヴ思考だった」

と言うくらい。

お箸が転げても泣けるような子でした。

今思えば、

当時の娘は、

ものすごく心が揺れやすかったんだと思います。

でも当時の私は、

そんな娘を見て、

「どうして?」

「なんで?」

「どうしたらいいの?」

と、

ずっと考えていました。


🌿 しかも、家にいても気が休まらなかった

当時は、

ひとり親での子育て。

引っ越しをするだけでも、

かなり大変でした。

ひとり親だと、

借りられる物件が限られたり、

審査の面で苦労することもあります。

3か月くらいかけて、

ようやく予算内で見つけたのが、

東京の笹塚近くの家でした。

ちょうどコロナ禍で、

物件価格も上がり始めていた頃。

「やっと見つかった」

と思って、

ようやく入居しました。

ところが、

入居して1週間。

近隣から、

「子どもの声がうるさい」

というクレームが入りました。

そこから、

不動産屋さんやオーナーさんから、

毎日のように連絡が来るようになりました。

「子どもたちの声がうるさい」

と。

娘が泣いていなくても、

です。

さらに、

児童相談所からもコンタクトが来るようになりました。

仕事もしている。

子どものことも見ている。

家のこともしなければならない。

そのうえ、

毎日のように、

不動産屋さん、

オーナーさん、

児童相談所など、

いろいろなところから連絡が来る。

今振り返っても、

あれは本当にしんどかった。

追い込まれるんですよね。

「また何か言われるんじゃないか」

「どうしたらいいんだろう」

「ちゃんとしなきゃ」

そんな気持ちが、

どんどん強くなっていきました。

最後には、

不動産屋さんからの連絡を仕事の時間中は、着信拒否しました。

🤫

今だから笑って言えるけれど、

あのときは、

それくらい、

もういっぱいいっぱいだったんです。


🌿 土日は、家にいないようにした

私たちは、

近隣に迷惑がかからないように、

できるだけ家にいないようにしました。

土日は旅行に行く。

子どもたちが家で騒がないようにする。

できることは、

できるだけやりました。

それでも、

旅行先にまで、

「子どもが騒いでいる」

と電話が来る。

「今、家にいないんですけど……」

と何度お伝えしたことか。

今でも覚えています。

隣人が、

まるで私たちを敵のように感じているようで、

家のドアを叩かれることもありました。

警察や児童相談所まで呼ばれたり。

正直、

怖かった。

結局、

その家には1年ほどしか住まず、

別の場所へ引っ越しました。

でも、

引っ越しには、

敷金礼金や引っ越し費用など、

いろいろなお金がかかります。

平気で100万円くらいのお金が飛んでいく。

精神的にも、

金銭的にも、

本当に大変でした。


🌿 「娘をどうにかしなきゃ」と思っていた

そんな状況だったから、

私はいつも、

「娘をどうにかしなきゃ」

と思っていました。

もっと落ち着かせなきゃ。

ちゃんとさせなきゃ。

周りに迷惑をかけないようにしなきゃ。

娘のマイナス思考を、

なんとかプラスにしなきゃ。

「このままだと、うちの母みたいになってしまうかもしれない」

そんな不安もありました。

そして、

いつの間にか、

娘の行動が、

「母親である私の評価」

にまでつながっていたんです。

たとえば、

こんなことがありました。

冬なのに、

娘がタンクトップで外に出ようとする。

私が、

「コート着なさい」

と言う。

娘は、

「いや」

と言う。

私は、

「なんで着ないの?」

と思う。

もちろん、

寒いから体調を崩さないように、

という気持ちもありました。

でも、

今振り返ってみると、

それだけじゃなかった。


🌿 「そんな格好で出たら、私がどう見られる?」

冬に、

子どもがタンクトップで歩いていたら、

周りから見たら、

「この親、ちゃんと子どもを見てないんじゃない?」

と思われるかもしれない。

「ちゃんとした親なら、

冬にこんな格好で子どもを外に出さないよね」

そんな意識が、

私の中にありました。

つまり、

娘にコートを着せたかった理由の中に、

「娘のため」だけではなく、

「私はちゃんとした母親に見られたい」

という気持ちがあったんです。

これ、

今考えてみると、

ものすごく外側の意識ですよね。

娘がどうしたいか。

娘がどう感じているか。

それよりも、

「周りから私はどう見える?」

を気にしていた。


🌿 「良い母親」って、誰が決めたんだろう?

考えてみれば、

私たちは、

「良い母親とはこういうもの」

というイメージを、

いつの間にか持っています。

子どもに優しくする。

ちゃんと食事を作る。

子どものことを考える。

ちゃんとしつける。

周りに迷惑をかけない。

子どもの服装にも気を配る。

子どもをきちんと育てる。

そして、

子どもが何か問題を起こしたら、

「親の責任」

と思われる。

だから、

子どもが泣けば、

「泣き止ませなきゃ」

子どもが騒げば、

「静かにさせなきゃ」

子どもが周りと違えば、

「ちゃんとさせなきゃ」

となる。

でも、

ここで一度、

立ち止まってみたい。

「良い母親でいなければならない」って、ほんとにそう?


🌿 私の母は、詩吟の先生だった

そして、

もう一つ、

後になって気づいたことがあります。

私の母は、

詩吟の先生でした。

だから、

声がものすごく大きかったんです。

詩吟の声って、

遠くまで響きますよね。

子どもの私にとって、

母に怒られるということは、

ただ「怒られた」というだけではなく、

大きな声そのものに圧を感じることでもあったのかもしれません。

もちろん、

当時の私が、

そんなことを言葉で理解していたわけではありません。

ただ、

大きな声で怒られる。

身体が固まる。

怖くなる。

そして、

「泣くな」

と言われる。

そんな経験が、

積み重なっていたんだと思います。


🌿 「泣くな」と言われていた私

私は子どもの頃、

泣いていると、

「泣くな」

と言われていました。

理由を聞いてもらう前に、

泣くことそのものを、

やめさせられていた。

そして、

不思議なことに、

私に「泣くな」と言っていた母が、

後になって、

精神的に不安定になり、

大声で何時間も泣きわめくようになった時期がありました。

その姿を見ながら、

私は、

自分の中にも、

何か心の傷があるのかもしれない、

と気づいていきました。


🌿 娘の大きな泣き声に、私は何を感じていたんだろう?

そう考えると、

娘の泣き声に、

私があれほど反応していた理由も、

少し見えてきました。

娘が泣く。

しかも、

地球が割れんばかりの声で泣く。

その声を聞いた私は、

「早く泣き止ませなきゃ」

と思う。

でも、

もしかしたら、

そこには、

子どもの頃の私自身が感じていた「大きな声への圧」

もあったのかもしれない。

娘を見ているようで、

自分の過去にも反応していたのかもしれません。

娘が泣く。

私は、

「泣かないで」

と思う。

「ちゃんとしなきゃ」

と思う。

「周りに迷惑をかけちゃいけない」

と思う。

「私はちゃんとした母親でいなきゃ」

と思う。

そうやって、

いろんなものが、

一本につながっていたのかもしれません。


🌿 あるとき、「娘は娘」と思えた

そんな私に、

あるとき、

ふっと変化がありました。

「娘は娘」

と思えたんです。

娘は、

娘の人生を生きている。

私は、

私の人生を生きている。

娘の感情は、

娘のもの。

私の感情は、

私のもの。

もちろん、

親としてできることはする。

危険なことなら止める。

必要なら助ける。

でも、

娘のすべてを、

私がコントロールしなくてもいい。

そう思えるようになっていきました。


🌿 娘を変える前に、自分の中を見てみた

そこで、

「娘をどうにかしなきゃ」

ではなく、

自分の中を見てみるようになりました。

「私は、なんでこんなにイライラするんだろう?」

「なんで娘に泣き止んでほしいんだろう?」

「私は、何を怖がっているんだろう?」

「誰にどう思われるのが嫌なんだろう?」

「私は、何を守ろうとしているんだろう?」

そして、

「私は、いつからこう思うようになったんだろう?」

と、

少しずつ、

過去に戻っていきました。

すると、

「泣いてはいけない」

「迷惑をかけてはいけない」

「ちゃんとしなきゃ」

「良い母親でいなきゃ」

そんな、

たくさんの「こうあるべき」が、

自分の中にあることに気づきました。


🌿 「こうあるべき」は、どこから来たんだろう?

私たちは、

生まれたときから、

「良い母親とはこういうもの」

なんて知っているわけではありません。

子どもの頃に、

親から言われたこと。

学校で教えられたこと。

社会の中で見てきたこと。

誰かに褒められた経験。

怒られた経験。

傷ついた経験。

そうしたものの中から、

「こうしたほうがいい」

「こうしなきゃ」

「こうあるべき」

というルールを、

少しずつ身につけていく。

そして、

いつの間にか、

それが、

「自分の考え」だと思うようになる。

私も、

そうでした。


🌿 「娘は娘」と思ったら、何かが変わった

そして不思議なことに、

私が、

「娘は娘」

と切り替えられるようになっていくと、

娘の癇癪も、

少しずつ落ち着いていきました。

これは、

私の感覚だけではありません。

娘自身も、

当時の私の変化と、

自分の癇癪が落ち着いていったことを、

理解しています。

もちろん、

子どもの状態には、

いろいろな要因があります。

だから、

「親が変われば子どもの癇癪が必ず治る」

と言いたいわけではありません。

ただ、

私たち親子の場合は、

私が自分の中にあるものに気づき、

娘を「娘」として見られるようになったことが、

大きな転機になりました。

これは、

私自身が経験したことです。


🌿 「子どもにイライラする」って、ほんとにそう?

子どもにイライラする。

子どもが泣くと、

イライラする。

何度言っても聞かないと、

イライラする。

言うことを聞いてくれないと、

「なんで?」

と思う。

そんな自分を、

「私は母親失格だ」

と責めてしまうこともあるかもしれません。

でも、

イライラしたからといって、

あなたが悪い母親だとは限りません。

むしろ、

一度、

自分に聞いてみてもいい。

「私は、何に反応しているんだろう?」

母親だって、

神様じゃない。

人間なんですよね。


🌿 子どもに求めているのは、本当に子どものため?

たとえば、

「静かにして!」

と思ったとき。

本当に、

子どものためだけでしょうか。

「周りに迷惑をかけたくない」

という気持ちはないでしょうか。

「ちゃんとした親だと思われたい」

という気持ちはないでしょうか。

「私が恥ずかしい」

という気持ちはないでしょうか。

「こんな母親だと思われたくない」

という気持ちはないでしょうか。

もちろん、

子どもの安全を守ることは大切です。

でも、

安全や健康のための注意と、

「周りからどう見られるか」を気にして子どもを動かそうとすることは、

同じではありません。

そこに気づけるだけでも、

親子の間に、

少し余白ができるのかもしれません。


🌿 「良い母親」という役割を、背負いすぎなくていい

私は、

母親であることを、

大切にしなくていいと言いたいわけではありません。

子どもを愛すること。

見守ること。

育てること。

一緒に成長すること。

どれも、

とても大切なこと。

でも、

母親という役割と、

一人の人間としての自分の価値は、

別なんです。

母親として失敗した日があっても、

あなた自身の価値が下がるわけじゃない。

子どもにイライラした日があっても、

あなたが悪い母親になるわけじゃない。

疲れて、

「もう無理」

と思う日があってもいい。

子どもから離れて、

一人になりたい日があってもいい。

「今日は自分を優先したい」

と思ってもいい。


🌿 「母親だから我慢する」って、ほんとにそう?

母親だから。

母親なんだから。

子どものためだから。

そうやって、

自分の気持ちを後回しにしていないでしょうか。

本当は疲れているのに、

「大丈夫」

と言っていないでしょうか。

本当は嫌なのに、

「子どものためだから」

と我慢していないでしょうか。

本当は一人になりたいのに、

「こんなことを思う私はダメ」

と自分を責めていないでしょうか。

そして、

本当は子どもに任せてもいいことまで、

「私がちゃんとしなきゃ」

と背負っていないでしょうか。

子育ては、

母親だけでするものでしょうか。

家族だけでするものなのでしょうか。

私は子どもの頃、

家が安心できる場所ではありませんでした。

だから私は、

両親だけではなく、

叔父や叔母など、

たくさんの人に育ててもらいました。

今振り返ると、

人は、いろんな人に育ててもらっていい。

そう思うんです。

母親一人が、

全部を背負わなくてもいい。

一度、

聞いてみる。

「ほんとにそう?」


🌿 子どもを変える前に、自分に聞いてみる

私は、

娘をどうにかしようとしていた頃、

ずっと外側を見ていました。

娘はどうしたら泣かなくなる?

どうしたら周りに迷惑をかけない?

どうしたらちゃんとできる?

どうしたら私は、

「ちゃんとした母親」に見える?

でも、

自分の中を見てみると、

そこには、

たくさんの

「こうあるべき」

がありました。

母親なら、

こうあるべき。

子どもは、

こうあるべき。

泣いたら、

こうしなきゃ。

周りに迷惑をかけちゃいけない。

ちゃんと育てなきゃ。

ちゃんと見せなきゃ。

その一つひとつに、

気づいていきました。


🌿 「良い母親」を目指すほど、苦しくなることもある

「良い母親になろう」

と思うこと自体は、

悪いことではありません。

でも、

「良い母親でなければならない」

になった瞬間、

苦しくなることがあります。

子どもが泣いたら、

私のせい。

子どもが怒ったら、

私の育て方が悪い。

子どもが学校で問題を起こしたら、

私がちゃんとできていない。

子どもが周りと違ったら、

私が何とかしなきゃ。

そうやって、

子どもの人生まで、

自分の責任として背負いすぎてしまう。

でも、

子どもは子ども。

そして、

私は私。

親子であっても、

別々の人間です。


🌿 「娘は娘」と思えたとき、私も私に戻れた

娘を、

「私がちゃんと育てなきゃいけない存在」

として見るのではなく、

一人の人間として、

「娘は娘」

と見られるようになった。

すると、

私自身も、

「母親」という役割だけではない、

一人の人間に戻っていきました。

疲れたら疲れた。

嫌なら嫌。

悲しいなら悲しい。

嬉しいなら嬉しい。

私にも、

私の感情がある。

そして、

娘にも、

娘の感情がある。

それでいい。


🌿 「自分を大切にする」と「子どもを大切にする」は、対立しない

以前の私は、

自分を優先したら、

子どもをないがしろにするような気がしていました。

でも、

今は違います。

自分の気持ちに気づくことと、

子どもを大切にすることは、

対立しない。

むしろ、

自分の中にある

「こうあるべき」に気づいて、

少しずつ自分に戻っていくことで、

子どもを一人の人として見られる余白が生まれることもある。

私は、

そんなふうに感じています。


🌿 「子どもにイライラする」って、ほんとにそう?

もし今、

子どもにイライラしている自分を、

「私はダメな母親だ」

と責めているなら。

一度、

その言葉にも、

問いかけてみてください。

「私はダメな母親だ。」

……ほんとにそう?

「良い母親なら、イライラしない。」

……ほんとにそう?

「母親なら、子どもを最優先にしなきゃ。」

……ほんとにそう?

「子どもがちゃんとしていないと、私の育て方が悪いと思われる。」

……ほんとにそう?

「母親だから我慢しなきゃ。」

……ほんとにそう?

そして、

「私は、誰の目を気にしているんだろう?」


🌿 子どもを変える前に、自分に気づく

子どもの行動を、

全部変えようとしなくてもいい。

子どもの感情を、

全部消そうとしなくてもいい。

まずは、

自分の中にあるものを、

一つ見つけてみる。

「私は、こうあるべきと思っているんだ。」

「ああ。

だから私は、

ここでこんなに苦しくなるんだ。」

それだけでもいい。

何かを足す必要はありません。

もっと良い母親になろうとしなくてもいい。

もっと我慢できる母親にならなくてもいい。

ただ、

今まで無意識につけてきた「こうあるべき」に気づく。

そして、

「これは本当に今の私にも必要?」

と、

自分に聞いてみる。


🌿 本当の自分に戻ると、子どもとの関係も変わる

私自身、

娘との関係を変えようとしていたとき、

最初は娘を変えようとしていました。

でも、

変わっていったのは、

娘だけではありませんでした。

私自身が、

「こうあるべき」から少しずつ自由になっていった。

「ちゃんとした母親に見られなきゃ」

ではなく、

「私はどうしたい?」

と考えられるようになった。

そして、

「娘は娘」

と思えるようになった。

その頃から、

娘の癇癪も落ち着いていきました。

今思えば、

娘を変えたというより、

**私が娘を見る目が変わったことで、

親子の間にあったものも変わっていった**

のかもしれません。


🌿 「良い母親」にならなくてもいい

もしかしたら、

私たちが目指さなくてはいけないのは、

「良い母親」になることではなく、

自分と子どもを、一人の人間として見ること

なのかもしれません。

子どもにも、

その子の人生がある。

私にも、

私の人生がある。

子どもの感情も、

私の感情も、

どちらも存在していい。

子どもが泣いてもいい。

私が疲れてもいい。

子どもが怒ってもいい。

私がイライラする日があってもいい。

その感情があることと、

それをどう扱うかは、

別の話だから。


🌿 あなたの中の「良い母親」は、誰が作った?

もし、

「私は良い母親でいなきゃ」

と思うなら、

一度、

こんなことを考えてみてください。

あなたにとっての「良い母親」って、どんな母親ですか?

いつも優しい?

怒らない?

子どもの気持ちを全部受け止める?

家事をちゃんとする?

子どもをいつも優先する?

周りに迷惑をかけない?

子どもをきちんと育てる?

では、

その基準は、

どこから来たのでしょう。

あなた自身が、

本当に望んでいるものですか?

それとも、

親から教えられたもの?

学校や社会から教えられたもの?

周りの目を気にして身につけたもの?

誰かに褒められた経験から、

「これが正解なんだ」

と思ったもの?


🌿 「良い母親でなければならない」って、ほんとにそう?

私は、

「良い母親にならなくていい」

というより、

**「良い母親」という誰かが決めた基準に、

自分を合わせ続けなくてもいい**

と思っています。

子どもにとって、

どんな母親が正解なのか。

それは、

誰かが決めるものではないのかもしれません。

そして、

母親だって、

一人の人間。

迷う。

怒る。

泣く。

疲れる。

間違える。

やり直す。

それでいい。

完璧じゃなくていい。


🌿 私は、「娘は娘」に戻れた

あの頃、

娘の癇癪に困り果てていた私は、

「どうしたら娘を変えられるんだろう」

と考えていました。

でも、

本当に必要だったのは、

娘を変えることではなく、

私自身の中にあるものに、

気づいていくことだったのかもしれません。

「泣くな」と言われていた私。

大きな声に圧を感じていた私。

「ちゃんとしなきゃ」と思っていた私。

「周りに迷惑をかけちゃいけない」と思っていた私。

「良い母親に見られなきゃ」と思っていた私。

そんな、

たくさんの「こうあるべき」を、

一つずつ見ていく。

そして、

あるとき、

ふっと、

「娘は娘」

と思えた。

娘を、

私の評価の一部にしなくていい。

娘の人生を、

私が全部背負わなくていい。

娘は、

娘の人生を生きていい。

私も、

私の人生を生きていい。


🌿 「子どもにイライラする」から始まってもいい

だから、

もし今、

子どもにイライラしているなら。

その自分を、

まず責めないでください。

「私はダメな母親だ」

と決めなくていい。

その代わり、

少しだけ、

自分に聞いてみる。

「私は、何に反応しているんだろう?」

「子どもの行動?」

「周りの目?」

「ちゃんとした母親でいたい気持ち?」

「昔の自分が傷ついた記憶?」

「大きな声への怖さ?」

「こうあるべき、という思い込み?」

そして、

もう一つ。

「これは、本当に今の私が選んでいること?」


🌿 何かを足すのではなく、気づいていく

私は、

自分らしく生きるために、

新しい何かを身につける必要はないと思っています。

もっと良い母親になる。

もっと優しくなる。

もっと我慢できるようになる。

もっと子どもの気持ちを理解する。

そうやって、

「足りない自分」に何かを足していくのではなく、

今まで無意識につけてきた、

「こうあるべき」

に気づいていく。

一つ気づく。

一つほどく。

すると、

少し呼吸が深くなる。

そして、

少しずつ、

自分に戻っていく。

私は、

そんなふうに、

人生が変わっていきました。


🌿 「良い母親でいなければならない」って、ほんとにそう?

もし今、

「私は良い母親じゃない」

と思っているなら。

一度、

問いかけてみてください。

ほんとにそう?

子どもにイライラした。

ほんとにそう?

母親なのに我慢できなかった。

ほんとにそう?

子どもを優先できなかった。

ほんとにそう?

周りの目が気になった。

ほんとにそう?

ちゃんとした母親になれなかった。

ほんとにそう?

そして、

「そもそも、私が目指している『良い母親』って、誰が決めたんだろう?」


🌿 あなたの中の「こうあるべき」を、一つだけ見つけてみる

今日、

もし一つだけ、

自分の中にある

「こうあるべき」

を見つけるなら、

何でしょう。

「母親なら、こうするべき」

「子どもには、こうさせるべき」

「母親なら、我慢するべき」

「子どもを怒ってはいけない」

「ちゃんと育てなければならない」

「周りに迷惑をかけてはいけない」

その一つに、

そっと聞いてみる。

「私は、いつからそう思うようになったんだろう?」

そして、

「これは、本当に今の私にも必要?」

答えを急がなくても大丈夫。

気づくだけでもいい。


🌿 今日も、自分に戻るための問いを

私は、

「こうしてください」

とは言いません。

子育てに、

一つの正解があるとも思っていません。

ただ、

一緒に問いかけたい。

子どもにイライラする私は、

悪い母親なのかな。

良い母親でいなければならないのかな。

母親だから、

我慢しなければならないのかな。

子どもが周りと違ったら、

私が何とかしなければならないのかな。

そして、

私は、誰の目を気にしているんだろう。

私は、本当はどうしたいんだろう。

その問いの先に、

少しだけ、

自分の本当の気持ちが見えてくるかもしれません。

何かを足すのではなく。

新しい「良い母親」を作るのでもなく。

ただ、

今まで無意識につけてきたものに、

気づいていく。

一つ、

気づく。

一つ、

ほどく。

そして、

少しずつ、

自分に戻っていく。

「良い母親でいなければならない」って、ほんとにそう?

今日も、

ここから。🌿


🌿 今回この記事を書くきっかけになった記事

今回、

「母親だから我慢する」という言葉について考えるきっかけをくれた、

みゆさんの記事をご紹介します。

「『母親だから我慢する』を手放して、自分を整える時間を持てるようになった」

私自身、

この記事を読んで、

「そういえば私も、母親だからと自分を後回しにしていたな」

と、

自分の過去を思い出しました。

みゆさん、

この記事を書くきっかけをくださって、

ありがとうございました🌿



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🌿 あなたの声を聞かせてください

最後まで読んでくださり、

ありがとうございます😊

この記事を読んで、

「私にも、こんな『こうあるべき』があった」

「子どもにイライラしていたのは、こんな理由だったかもしれない」

「これって、いつから思っていたんだろう?」

そんな気づきがあれば、

よかったら教えてください。

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誰かの自己対話のきっかけになるかもしれません🌿

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いただいた声は、

「人はどんな思い込みによって生きづらさを感じるのか」

を考えていくための、

大切な研究データとして活用させていただきます。


🌿 最後に

私は、

あなたに、

「もっと良い母親になってください」

とは言いたくありません。

もっと我慢して。

もっと優しくして。

もっと子どもの気持ちを理解して。

もっと頑張って。

そうやって、

また新しい「こうあるべき」を、

自分につけてほしいわけではないから。

ただ、

一緒に、

問いかけたい。

「私は、いつからこう思うようになったんだろう?」

「これは、本当に今の私にも必要?」

「私は、誰の『こうあるべき』を握っているんだろう?」

そして、

「ほんとにそう?」

子どもは、

子どもの人生を生きている。

私は、

私の人生を生きている。

親子だからこそ、

一緒に歩くことはできる。

でも、

同じ人生を生きる必要はない。

娘は娘。

私は私。

その二人が、

それぞれの自分でいられること。

それが、

私にとっての、

「自分に戻る」ということなのかもしれません。

何かを足さなくてもいい。

もっと良い母親にならなくてもいい。

ただ、

自分の中にあるものに、

気づいていく。

一つ、

気づく。

一つ、

ほどく。

そして、

少しずつ、

自分に戻っていく。

「良い母親でいなければならない」って、ほんとにそう?

今日も、

ここから。🌿

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