#99【雑記】「完全機能不全家庭」の父と母と娘のお話。②
前回のお話はこちら。⬇️
「生きづらさ」というのであれば、私は中学校時代が、人生で最も、「生きづらい時代」だった。父方の叔父や母方の従兄弟達は、みな教員が多く、所謂、地域では、ちょいと有名な「教員一族」である。
当時は、「校内暴力」も横行し、学校は、生徒と先生の「主戦場」となっていた。そんな中で、「生徒指導」や「同和教育」など、教員として胆力のいる役職を父は歴任しており、一番上の叔父と供に、「龍虎」と呼ばれる”武闘派の教員”として、名を馳せていた。
父や叔父の教え子達で教員になった者も多く、20代や30代の新任の先生からは、「あなた、○○先生の娘さんだよね?」と、どこへ行っても、すぐ”身バレ”した。(当時は、体育着にでっかい名札が必修だったからね。)
「おっかないけど、いい先生だよ。俺(私)は、あなたのお父さんに憧れて、教員になったんだ。あなたは、○○先生の娘さんで、幸せだね。」
目をキラキラ輝かせた新任の若い先生達からそう言われる度に、
”は?そうですか。ウチでは、全く違う、嫌な親父ですけど。”
父の「職場での顔」と「家庭での顔」の違いに、大きな違和感と不信感しかなかった。
とにかく、地域でも名だたる「武闘派教員の娘」という、「枠」に、自動的にハメられ、「○○先生の娘だから、成績優秀で当たり前」とか「運動できて当たり前」とか、「将来は、○○先生の様に立派な教員になるんだろう?」とか・・・。
周囲の大人達に勝手に人生決められて、それが息苦しかった。それもまた「親ガチャ」の苦しみだったよね。
そういう意味では、例えば、2世タレントのプレッシャーとか、無情にも壊れていく2世の気持ちにも、心あたりがある。
母も「教員一族の妻」だったから、何よりも「世間体」を重んじ、ひとり娘を、なんでかんで、”自分の理想通りに立派に育てよう”と執着した。
生きづらかったな。あの頃・・・。
まさしく、機能不全家庭だった。当時はまだ「聖職」という部類に入っていた「教員の家庭」なのに。
一般サラリーマンや商家の家の同級生は、グレるのも自由、成績悪くても気にされず、みんな自分の生きたい様に、やりたいように自由に生きている様に見えて、羨ましくてしょうがなかった。
その不満は、親の望む地元の某有名「女子高等学校(母の母校)」への進学を拒否し、「親の目」も、「教員の娘」という「世間の目」も届かぬ隣街の共学普通高校へ進学を決めた事で爆発させた。
見た目は、大人しいそうな、極々、普通の高校生の様に振る舞う傍ら、酒、タバコ、夜遊び・・・と、親の嫌がる事は、”見つからない様に”何でもやったw
「親の言う事を聞かないなら、お小遣いはあげない! ご飯もあげない!」と、母に言われ、「あ、そう、いいよぉ~。飲食でバイトするから~🩷」と、高校に入学して早々から、地元の高校生には人気の飲食店でバイトを始めた。
バイト先での大学生やパートのおばちゃん達との交流は、それまでの鬱屈した「家庭」という「ミニマム社会」を脱し、私の将来を大きく開いてくれた。「自分の持つ可能性」というのに、ようやく胸がときめいたのだ。
今から思えば、高校時代のバイト先が、最も「良い職場」だったなと思う。
サービス業や接客業、調理、会計に至るまで、「仕事とはこうあるべき」という、社会的モラルと基本を身に付けた。不良ではない、「スマートな遊び方」というのも学んだ。何より、働くことが楽しかった。
この頃、「教員の娘さんがバイトをしている。」と、世間様から「母親である自分が責められている=私はダメな母親なんだ。」と、思い込んでいた母との確執も決定的となった。
私は「世間知らずな母親の言う事を聞くには値しない。」と、母とはもう精神的に決別していた ―――。
そんな17歳のある日、言う事を聞かずに、どんどん自分から離れて行ってしまう娘の事に悩みに悩んでいた母の落ち込み、悲しみようとその陰々鬱々とした愚痴に耐えられなくなった(と、思われる)父が、突然、私の部屋へ入って来た。
「お前は、なんでお母さんを泣かすんだ?なんで親の言う事を聞けないんだ?!このアマっ!!! 💢」
そういいながら、顔を殴りつけられ、張り倒され、倒れた私に父は馬なりになって、私の顔を何度も殴り出した。父もまだ48歳、身体が大きく腕っ節の強い父の猛攻を食らえば、一溜まりもない。
「言って利かないなら、”犬畜生”みたいに殴られねーと、わからねんだろうがっ!!このアマっ!!💢💢💢」
私も必死で父の胸を叩く、腕を引っ掻く、仕舞いには、父の腹を思い切り蹴り飛ばした。(急所を外したのは武士の情けだw)
そして私は、父にこう言い放った。
「うるせーっ!!💢 あたしは、”犬畜生”ではないから、どんなに殴られたって、言うことなんて聞くもんかよ!!💢 あたしは、”人間”なんだよ!! 」
「あんたは、殴る事でしか、教育できねーのか???人を正せねーのか???教員のクセにっ!!!💢それでも、あんた教師かっ?!💢」
父の荒息と攻撃がピタリと止んだ。
丁度その時、母が部屋へ駆け込んで来た。
”良かった。止めに入って来てくれた・・・。”
私はホッとした。
しかし、母は、部屋に駆け込んで来た勢いのまま、いきなり私の部屋の雨戸をガシガシと慌ただしく閉め始めた。
「大きい声を出さないでよっ!! 近所に聞こえるでしょっ!!💢」
父も私も唖然とした。
「あんたが悪いんだからね!! 💢あんたが私の言う事を聞かないからだよ!!💢お父さんにぶたれるあんたが悪いんだよ!!💢」
母は私にそう言い捨てると、サッサと部屋を出て行った。その後を追う様にして、父も黙って部屋を出て行った。
身体の大きな父にガチでフルボッコにされた私の顔は、まるでプロボクサーに殴られた後の様に、片方の目は腫れ上がり、唇は切れ、両頬が紫色に腫れ上がり、顎がズレて、口がうまく開けられない。
殴打の衝撃で首を上げる事も出来なくなった・・・。
まさしく、「機能不全家庭」で発生した「DV事件」である。
続く。
